第十話

 大川と優花は、谷崎係長に呼び出されていた。事件の状況報告と今後の捜査方針の確認だ。捜査情報を書いたホワイトボードの前で、大川は事件の概要を再度整理した。

「最初の被害者の名前は、北川由理恵。二十八歳。秋田県出身。上京し東京の外語大学に通い始めるも、経済的な理由で中退。歌舞伎町でソープ嬢を続ける。遺体は住宅街のゴミ捨て場で、全裸の状態で発見。死因は内臓破裂による出血性ショック死。ご存知の通り、長時間にわたって肉体的な苦痛を与えられた可能性が高いです。性的な行為の痕跡はありません。同場所で彼女のバッグが発見され、身元確認」

「わかった。もう一人は?」

「二人目の被害者の名前は、奥田彩。二十九歳。笠河電気株式会社の社員。遺体は公園の公衆便所の裏で、やはり全裸の状態で発見。死因も北川由理恵と同様に、内臓破裂による出血性ショック死。性的な行為の痕跡はありません。二人とも死体発見の四日前の深夜に拉致、監禁され暴行を受けており、極めて類似性が高く、同一犯による犯行の可能性が高いと判断しています」

「それで、容疑者は?」

「一ノ瀬明夫、三十四歳。奥田彩と同じ笠河電気の社員。三年前にE社を退社後、同社に就職。ソフトウェア開発部門の部長。彼は一件目の殺害事件の被害者の北川由理恵のソープ店へは頻繁に通っており、事件の四日前にも店を訪れ、彼女を指名しています。同日午後十一時に彼は店を出ていますが、その直後から彼女は行方不明になっています」

「奥田彩との関係は?」

「先ほどもご説明しましたように、一ノ瀬明夫と奥田彩は笠河電気の同僚で、かなりの頻度でホテルに行く姿を目撃されています。およそ一年前から不倫関係にあったのではないかと。目撃証言によりますと、奥田彩の死体発見の四日前の午後七時に、駅前のホテルDへ被害者と共に向かっています。また、同日午後十時に二人がホテルから出て行く姿が監視カメラに残っていました。その後、奥田彩は行方不明に。四日後の早朝に遺体で発見」

「動機は?」

「男女関係の問題ではないかと。いわゆる痴情のもつれ。一ノ瀬明夫は北川由理恵のところへ足繁く通っており、おそらく北川由理恵が何らかの個人的な関係を一ノ瀬明夫に迫ったのではないかと。それを迷惑に感じた彼は彼女の殺害に至った可能性が。また、彼と奥田彩は、五年前にE社で出会い肉体関係に。一度は別れるも、奥田彩の笠河電気への移動にともなって、関係再開。重複しますが、この一年間、かなりの頻度でホテルでの逢瀬を繰り返しています。おそらく、奥田彩が、一ノ瀬明夫の離婚、つまり妻美佑との夫婦関係の解消を求め、トラブルになったのではないかと」

「衝動的に殺害したとしても、連続して二件も・・・しかも、そういう怒りによる衝動と、長時間の暴行や惨殺には結びつかないな・・・いずれにしても、まだ推測ということか・・・」

「はい。問題なのは犯行現場です。三日間にわたる拷問および殺害行為が行われた場所が未だ特定できていません。ホテル周辺、遺体発見現場の近辺、一ノ瀬明夫のアパート近くにある工場跡地や空き家、倉庫、コンテナなどを徹底的に洗い出しましたが、発見できず。不審な大型ワゴン車、トレーラー車のたぐいの目撃情報もありません。おそらく、残るは、一ノ瀬明夫のアパートの部屋です・・・係長、一ノ瀬明夫の自宅の捜査をさせていただきたい。家宅捜査の令状をお願いします」

「自信は?」

「まず、間違いないかと。自宅を捜査すれば、必ず何かしらの証拠品を発見できると考えています。また、すでに一ノ瀬明夫を参考人として事情聴取しており、彼はおそらく警察の動きを認識しております。証拠隠滅を図る前に、早期に自宅捜査を実施すべきだと考えています」

「彼は異常者なのか?」

「その可能性はあります。本事件発生後にも、一ノ瀬明夫は別の女性社員、菅原姫奈二十四歳とホテルでの密会を繰り返しています。仮にも自分の不倫相手が死亡した直後に、また別の女性と不倫行為を繰り返すというのは、性的な異常者である可能性が非常に高いです。常習性がある可能性もあり、菅原姫奈が第三の被害者になる可能性もあるかと。一ノ瀬明夫の異常行為を止めるためにも、早期の逮捕が必要であると判断しています」

「それも同じ会社の人間なのか?」

「はい。菅原姫奈は一ノ瀬明夫の直属の部下です。彼は日頃から、社内の若い女性社員に対して肉体関係を迫るという行為を繰り返しているようです。これは多数の社員からの証言が得られています。また彼が以前働いていたE社では、パワハラ問題を起こして、部門を移動させられたという経緯がありますが、この時にも、一部では女性関係の問題も指摘されています。E社の人事記録でも、部下の女性に対して、性的行為を強要した可能性が指摘されていました。これらのことから、現在の笠河電気においても、同様のことを繰り返している可能性が高いと判断しています。ただし、この会社は従業員三十二名の小規模な会社であり、社長や副社長によって社内が統制されているため、今は問題の声が抑えられているのだと想定しています。いずれは、社内の人事問題にエスカレートするのではないかと」

「セクハラか・・・しかし、それと、今回のような残忍な行為を行う異常犯罪とはちょっと系列が違うような気がする。犯人像が結びつかんね」

「現時点では何とも言えません。これらの事件が、男女間の恋愛感情が発端となった殺人事件なのか、それとも、単に一ノ瀬明夫の異常な快楽性によって引き起こされている事件なのか、判断することができていません。彼が快楽殺人者だと考えた場合でも、このような異常な行為を繰り返す犯罪者は、多くの場合、その異常性を内部に隠蔽しておりますので、外見での判別が難しいのです。つまり、彼らは日常生活において、他人には異常性をほとんど見せません。それは家族や親しい親友に対してもです。だから、この段階で、彼の行動の異常性の有無ということだけで、犯行内容を判断するのは早計です。いずれにしても、早期に一ノ瀬明夫の自宅の家宅捜査を行い、物証を掴むことが重要だと判断しています」

「わかった。捜査令状をとろう」

 谷崎係長は立ち上がりながら言った。


 部屋を片付けてから会議室を出た大川は、廊下を歩きながら優花につぶやいた。

「どうしてもわからん」

「何がでしょうか・・・」

「どうして、この期に及んで、俺たち二人だけで、捜査してんだろうなあ」

「それは最初から疑問ですよね」

「係長だって、異常犯罪と言っておきながら、大規模捜査に踏み切ろうとしない。警視庁の捜査一課は例の前官房長官の息子さんがからんでいるっていう事件にかかりっきりだろう」

「なんか、一課から応援が来るって噂が・・・」

「あれもおかしいぜ。二名だろう。二名来て何の意味があんだよ。二名ぐらいなら、来なくていいよな。もしかして、俺たちを監視しようとしてんじゃないか。迷惑な話だよな」

「監視ですか?」

「それにさあ、なんかよくわからんけどさ、捜査一課がやってる、例の事件さ、S国の人間が関係してるんだろう。この事件のさ、一ノ瀬明夫が被害者の奥田彩と出会ったのも、S国だろう。何となく、いやな感じだな」


 その時、大川の携帯が鳴った。彼は電話に出ながら、廊下のソファーに腰を下ろした。きっと話が長くなるのだろうと思い、優花も横に座った。電話の声は聞こえなかったが、会話の内容から、大川が例のミクという探偵と話をしているのがわかった。

「おお、どうした?」

「ちょっと相談したいことがあるんですけど、今、いいですか?」

「いいよ。ちょうど打ち合わせが終わったところだから。何かあったのか?」

「一ノ瀬明夫のことなんです」

「ああ、妙なことになったな・・・」

 ミクと大川は互いのことを信頼していた。だから、捜査情報を共有することもよくあった。しかし、今回のように、全く同じ人間を同時に調べるというのは珍しいことだった。そのことに対しては大川も違和感を持っていた。

「うん」ミクの声はいつになく自信なさげだった。「私たち、彼の素行調査をしてたの。あの高木副社長の依頼で」

「ああ、聞いたよ」

「それで、報告したら、その直後に殺人事件があって。しかも、私たちが調べてた奥田彩さんが、被害者になって。それで、警察は一ノ瀬明夫さんのことを犯人だと考えているんでしょう」

「まあ、今のところはな・・・」大川は隣に座っている優花の視線を気にしながら、言葉を濁した。

「もしかしたら、私たち、悪用されたのかも・・・」

「悪用? 何に?」

「まだ、わからない。でも、何かに利用されたのかもしれないって思ってる」

「まあ、そういうこともあるだろう。依頼人が探偵の調査結果をどう利用しようと、君らには文句を言う権利なんてないだろう」

「うん。文句を言っているんじゃなくてね。あのね、大川さん、変なこと言ってもいい?」

「おお、どうした?」

「私、一ノ瀬明夫が犯人じゃないと思ってる」

「どうして?」

「ごめん。どうしてか、わかんない」

「もしかして、何か見えたのか?」大川は小声で尋ねた。

「うん。でも、そんなのどうでもいいよ。あんなの幻覚なんだから。私、頭が狂ってるんだから」

「で、何が見えたんだ?」

「何でもないの。ただ、奥田彩さんがいたの。奥田彩さんが私にお願いしてきたの。一ノ瀬明夫さんを助けてくださいって。それだけ。だから・・・それだけじゃないんだけど・・・でも、私、一ノ瀬明夫さんが犯人じゃないような気がするの」

「ちょっと、よくわからんな・・・いずれにしても、捜査は進めるが・・・」

「うん。大川さん、ごめんね、変なこと言って。あのね、私、大川さんの仕事を邪魔するつもりなんかないよ。でも、知っててほしいの。私は彼が犯人じゃないと思ってるって。もしかしたら、これから、何か大変なことが起きるかもしれないから」

「わかった。また、何かわかったら教えてくれ」

「うん」


 大川が携帯をポケットにしまいながら立ち上がったので、優花も一緒に腰をあげた。

「ミクさんですか?」

「ああ」

 大川は何かを考えているような表情だった。優花には彼が何を気にしているのかわからなかった。さっきの電話のことだろうか。それとも、今回の捜査のことだろうか。

「それにしても、今回、あの探偵さんの情報には随分助けられましたね。あのミクさんとかいう女性探偵の・・・」

「そうだろう・・・あいつは優秀だからな。あいつの左目には俺たちにも見えないものが見えるから・・・でも、あいつに情報をもらってもいいのかどうか、ちょっと気になるな」

「どういうことですか? 外部に情報を漏らすのはまずいですけど、外部から情報をもらうのは全然問題ないでしょう。それが、聞き込みなんですから・・・」

「いや、そういうことじゃないんだよ。彼女は目の前にあるものがちゃんと見えるんだよ。だから、彼女の言うことに間違いはない。でも、彼女が見てる方向が正しいかどうかは、わからん。特に今回はな・・・」

「捜査の方向性が違うんじゃないかってことですか?」

「わからん」

「先輩、今回の捜査では、『わからん』という言葉を連呼しますね」

「そうか? でも、わからんもんはわからんからな」

「まあ、そうですけど・・・」

 しばらく二人は黙って廊下を歩いた。優花はふと気が付いたように、大川の方を見た。

「もしかして、先輩、ミクさんのことを心配してるんですか?」

 彼は返事をしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る