第72話

村瀬は電話を切ると、身支度を整え始めた。


「どうしたの? また出かけるの?」


亜矢が不満そうな表情を浮かべて聞いてくる。


村瀬はひとりになりたかった。


ひとりになって、頭を冷やしたかった。


絵理香のことが心配なあまり、正確な判断ができなくなっている。


色々考えたいことがあるが、亜矢が部屋にいてはどうしようもない。


村瀬は亜矢に行先も告げずに家を飛び出した。


行くあてはなかった。


ひとりになれればどこだってよかった。


村瀬はブラブラと歩きながら、頭の中を整理していた。


一体何が本当で、何を信じればいいのか。


絵理香の部屋で見つけた日記とプリクラを見たとき、井上が怪しいと思った。


でも、さっきの電話を聞く限りでは、井上を疑うのは間違っているような気もした。


頭の中がグルグルと渦を巻いて歪んでいく。


「誰かを疑うのはもうやめよう。絵理香の無事を信じることのほうが大事なはずだ」


村瀬は自分を奮い立たせるために、強く頷いた。


不意に幼かった頃の絵理香の声が蘇る。


『誰とも結婚しない』


兄をかばうために発せられたこの言葉に、村瀬は不安を覚えた。


――誰とも結婚しないんじゃなくて、結婚できないんじゃないのか。


再び胸のうちに湧き上がる不倫の2文字。


村瀬は大きくかぶりを振った。


頭を冷やすために来たはずが、余計なことを考えすぎて、さらに混乱してしまったようだ。


村瀬はコンビニへと入った。


一直線にアルコールコーナーへと進み、ビールの缶を手に取った。


村瀬はあまり酒が強いほうではない。


だが飲まずにはいられない気分だったのだ。


ひとりきりになれない部屋で、モヤモヤとした気持ちを解消するにはこれしかないと思ったのだ。


――ほろ酔い気分のまま、今日は早めに寝てしまおう。


村瀬は会計を済ませると重い足取りを、我が家へと向けた。

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