第72話

里美は流しの下から取り出したゴミ袋に、脱いだ服を乱暴に放り投げた。


口を結ぶために中の空気を抜く。


ツンと鼻を突く嫌な臭いが、血で固まった前髪をかすかに揺らした。


2重にきつく結び、シャワールームの前に置く。


袋の周りの空気だけが、暗く沈んでいるように感じられた。


彼女の無念さが、ゴミ袋を通して伝わってくる。


携帯彼氏さえ、ダウンロードしなければ……。


服に染み込んだ血液がそう里美に語りかけているような気がしてならなかった。


シャワールームの扉を開くと、温かい湯気が里美の体を包み込んだ。


途端に訪れた安堵感が、里美の緊張感をほぐしていく。


少しずつ落ち着きを取り戻してきた里美は、ホームでの出来事を思い返した。


あの時、里美は女の手を掴もうと、必死に腕を伸ばした。


あと数センチで届きそうというところで、その手を突風が遮った。


まるで邪魔をするように、助けさせまいとするように。


一体あれはなんだったのか……。


心に浮かんだ疑念を払拭するかのように、里美は熱めのシャワーを頭からかぶった。


立ち上る湯気が、血の臭いと融合しバスルーム内に充満する。


その臭いは、温かな湿気と交わったことでより一層強烈な臭いへと変化した。


吐き気がこみ上げてくる。


いったんシャワーを止めようと、しっかりと瞑っていた目を開いた。


クリーム色のバスルームが、ピンク色に染まっていた。


排水溝に向かって、体からピンク色の筋が何本も伸びている。


ホームで見た血液と同じものとは到底思えなかった。


流れる血液は、とても美しかった。


この血液は、少し前まで彼女の中を駆け巡り、生命を刻んでいた。


生きていた証……。


それなのに――。


この血液は見ず知らずの女の体にかかり、そして排水溝へと流される運命をたどっている。


本来あるべき場所である彼女の体は、元の形がわからないほどバラバラになってしまった。


死体に留まることすら許されなかった血液を、里美はただ黙って眺めていた。

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