第68話
最初に聞こえたのは徒競走のスタートを思わせるような、乾いた音。
里美の顔に、生暖かいしぶきが降りかかった。
粘り気のあるそれは、ゆっくりと里美の頬から滑り落ちていく。
鼻腔に纏いつく鉄の臭い。
構内には、急ブレーキをかけた時のものだろう、焦げた臭いも充満していた。
大きな石を引きずるような音が聞こえた後、地下鉄はようやく停車した。
そこまできて、里美の視覚は元に戻った。
足下は真っ赤に染められていた。
赤い塊が、いくつも転がっている。
里美は女の携帯電話とバッテリーを探した。
肉と血で汚された床から見つけるのは、困難を極めたが確認しなくてはならないことがある。
溶けているものを見ただけで、あの惨劇を思い出し取り乱すのに、これだけの肉片を浴びても平気でいられるのはなぜだろう。
それは義務感からかもしれない。
真由美と絵里を失ったことを、目の前の女を助けることで救われる気がしたのだ。
でも助けられなかった。
里美の目の前で、ほんの数メートル先で、女は息絶えた。
せめて、死の真相を確かめてあげたい。
それは由香のためでもあり、何より里美自身にとって、重要なことだった。
肉片に混ざり、淡いピンクの携帯電話とバッテリーを見つけた。
里美はまだ温かさの残る肉片を指でどかし両方を拾い上げた。
周囲の人達は、事故のパニックから騒いだり、下を覗き込んだりしていて、誰も里美の行動には気がついていない。
後方を振り返ると、由香は地面にへたり込んだままだった。
バッテリーをセットして電源を入れる。
電話にも血がべったりとついていた。
――お願い。ちゃんと立ち上がって……。
里美は祈るような気持ちで画面を見つめていた。
しばらくすると、画面がうっすらと明るくなった。
画面中央には、神経質そうな男……眼鏡をかけた色白の携帯彼氏が鎮座していた。
上部に紫色の文字が見えた。
『愛する人へたどり着くまで
未来永劫廻り続ける』
――これは!? 真由美の時と全く同じだ……。
画面下には里美の胸を抉るあの言葉も書かれていた。
『真実が知りたい?』
ラブゲージを確認する。
ゲージは――、ゼロだった。
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