第67話

ホーム内に、地下鉄到着のアナウンスが響く。


女は携帯電話から目線を動かさず、少しずつ前に進んでいく。


唸る轟音と風が、強さを増す。


「ね、あの人前も見ないで危ないよ。携帯彼氏に夢中になりすぎじゃない?」


由香の言葉は、ほとんど耳に入ってなかった。


彼女は、携帯彼氏に夢中になんかなっていない。


顔は恐怖に歪み、携帯を握る手は小刻みに揺れている。


ホームに強い風が吹き抜けた。


レールの軋む音に混ざり、苦しそうにすすり泣く声が聞こえてきた気がした。


第6感が里美の鼓動を早打ちする。


「危ない!」


そう叫んで、女の腕を掴もうと駆け寄った。


必死で手を伸ばす。


その手を突風が遮った。


何かがおかしい。


背後に気配を感じた。


――あの時と似てる……。


視界の端に、大きな黒い影が映った気がした。


女はゆっくりと、確実にホームの端まで歩を進める。


「止まって!」


女の右足が、床を求めて左右に揺れた。


あと1歩、左足を踏み出せば、ホーム内に転落してしまう。


地下鉄のライトが近づく。


「きゃぁー」


女の上げた叫び声は、恐怖と絶望が入り混じる低く濁った声だった。


床に携帯電話が叩きつけられ、中からバッテリーが飛び出した。


それは回転しながら里美の足下へと転がってきた。


滑り込む地下鉄。


そこへ吸い込まれるように、女の体がゆっくりと傾いていく。


全てがスローモーションになった。


地下鉄の先端を初めて見た気がした。


新幹線のような湾曲したフォルムでもなく、電車のように角ばってもいない。


車両の端と、中央上部に、心もとないライトが備えられていた。


運転席の窓は大きく、雨が振るわけでもないのに、なぜかワイパーが取り付けられていた。


運転手が大きな口を開けた後、今度は思いきり頭をもたげ目を瞑る。


レールがヒステリックに甲高い音を鳴らし、辺りには火の粉が舞った。


それでも地下鉄は止まらない。


女の体は、完全に宙に浮いた。

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