第50話

先ほどにも増して、腐臭がきつくなった。


里美は耐え切れなくなり、その場で胃の内容物を全て吐き出した。


必死で堪えていた分、勢いよく吐瀉物が吹き出た。


胃袋ごと戻してしまったのではないかと思うほど、気管に激しい痛みが残る。


充満する煙も手伝い、里美はひどく咳きこんだ。


「絵……里……」


煙と嘔吐のせいで、里美は声すら出せなくなってしまった。


――誰か来て!!


里美は心の中で必死に叫んだ。


営業時間が過ぎているとはいえ、まだ着替えの済んでいない従業員がいてもおかしくない。


だが、ロッカールームの扉は固く閉ざされたまま、誰かが入ってくる気配はない。


これだけ煙が充満しているのに、火災報知機も作動しない。


目の前の絵里を助けられるのは、里美しかいなかった。


だが、里美の足は全く言うことを聞かない。


重い鎖で繋がれてしまっているかのように、1歩も前に進めなかった。


「絵里でいい。逝こう、一緒に」


テープが伸びたような低くゆっくりとした声が聞こえる。


「絵里でもいい。逝こう、一緒に」


再び聞こえた声は、どこか寂しげでもあり、満足げにも聞こえた。


オイルのつんとしたにおいが鼻を突いた。


次の瞬間、目の前に大きな火柱が上がった。


炎の中から、耳を劈く絵里の叫び声と悲鳴が聞こえた。


里美には、もうどうすることもできなかった。


天井にまで届きそうなほど大きな炎が、絵里の体を包み込んでいた。


炎の間から、人影が見えた。


――絵里!?


里美は熱さと眩しさであまり開くことのできなかった目を見開き、凝視した。


「リク……」


そこにいたのはリクだった。


つい数時間前まで携帯電話の画面に映っていた姿で、こちらを見つめている。


リクは含み笑いをしながら、頭を掻いた。

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