325g の日常。

早朝の研究室。朝倉裕太(35)は、すでに論文の校正に没頭していた。窓から差し込む柔らかな光が、彼の濃紺のセーターを照らす。


「これで、やっと...」


裕太は深いため息をつき、椅子の背もたれに身を預ける。目の前には、量子力学の最新理論に関する論文が広がっていた。


午前の講義が始まる。大教室は学生たちの熱気で満ちている。


「では、シュレーディンガー方程式について考えてみましょう」


裕太の声は落ち着いているが、目は輝いていた。複雑な数式を板書しながら、時折学生たちの反応を確認する。


「難しいですか? でも、この美しさが分かれば、きっと物理の虜になりますよ」


講義後、一人の学生が質問に来る。


「朝倉先生、この部分がよく分からなくて...」


「ああ、ここですね。こう考えてみてはどうでしょう...」


裕太は丁寧に説明を始める。学生の目が次第に輝きを増していくのを見て、彼は密かな喜びを感じる。


昼食時、同僚の河野教授と学食で談笑する。


「朝倉くん、今度の国際会議で発表するんだってね」

「はい、少し緊張しています」

「大丈夫さ。君の研究は素晴らしいよ」


裕太は照れくさそうに頷く。


午後、研究室に戻った裕太は、机の上の家族写真を見つめる。妻と5歳の娘の笑顔が、彼に安らぎを与える。


「そうだ、今日は早く帰って、娘と遊ぶ約束をしていたんだ」


裕太は急いで荷物をまとめ始める。廊下を歩きながら、娘とのピクニックの計画を考える。


「明日の天気はどうかな...」


キャンパスを出る裕太の姿は、夕陽に照らされて長い影を落としていた。彼は、自分の人生がこれほどまでに輝いていることを、心から幸せに思っていた。


しかし、その幸せが永遠に続くわけではないことを、彼はまだ知らない。


図書館にて。


薄暮の図書館。書架の間を静かに歩きながら、私は彼を見つけた。


30代半ばくらいだろうか。がっしりとした体格、知的な雰囲気を漂わせている。丁寧に手入れされた髭、深いしわの刻まれた額、そして沈思的な目。その姿は、まるで古い彫刻のようだった。


彼は歴史書のコーナーに立ち、真剣な面持ちで本を選んでいる。その仕草には、どこか儀式めいた厳粛さがあった。


私は彼の近くの書架で、さりげなく本を手に取る。彼の存在感が、静寂な空間に満ちていく。


彼が本を手に取る瞬間、私は彼の指先に注目した。太く、力強い指。しかし、ページをめくる仕草は驚くほど繊細だ。


彼は本を開き、没頭し始める。その姿勢からは、長年の読書習慣が窺える。背筋をピンと伸ばし、目と本の距離を一定に保つ。全身から、深い集中力が滲み出ている。


私は彼の生活を想像してみる。早朝の散歩、質素だが栄養バランスの取れた食事、昼間は大学での研究職か、それとも博物館の学芸員だろうか。そして夜はこうして図書館で過ごす。週末は古美術展を巡り、たまに山登り。


厳格で、知的で、そして孤独な生活。そんな日々が生み出す深い叡智。それは間違いなく、彼の内に眠る宝石をより輝かせているはずだ。


彼が本を閉じ、メモを取り始める。私は彼の筆跡を盗み見る。力強く、整然とした文字。それは彼の内なる秩序を表しているかのようだ。


時が経つのも忘れ、私は彼の一挙手一投足を観察し続けた。彼の周りの空気が、少しずつ濃密になっていくのを感じる。


やがて彼は立ち上がり、本を借りて図書館を後にする。私も少し間を置いて、彼の後を追う。


夜の帳が降りた街で、私は彼が消えていった方向をじっと見つめる。彼の歩み方、姿勢、周囲との距離の取り方。全てが私の中で反響を呼ぶ。


これから始まる新たな探求に、期待が膨らむ。彼の日々の習慣、行動パターン、そして何より、彼の内に秘められた宝石の輝きを、じっくりと見極めていこう。


街灯の明かりが、闇の中でぼんやりと揺れている。



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