渇望 ~リーリラ・ヴィ・フラーレン~

 ギルドに着くとチビデブを殺した時にいた冒険者たちが集まっているようだった。どうやらもうすでにみながそのリリーラとやらから事情を聞かれた後で、私が最後の一人のようだ。

 マスターに指示され、二階の応接間をノック。

 すると、『はい』と凛とした冬の大気を思わせる声が返ってきた。

 思っていたよりも芯の通った声に少し驚いて、


「キョウカ・アキツネです。入ります」と慌てて言ってから部屋に入る。


「わざわざ呼び立てて申し訳ない」


 座っていたソファから立ち上がってそう言った女性を見た瞬間、私は胸が詰まり、体中を電気が駆け巡ったかのような感覚がした。

 年は私より十ほどは上だろうか?

 大きな目は目じりにかけて少し上がっておりきつめの印象を受けるが、軽く流された前髪や整えられた眉が鋭さだけでない柔らかい女性らしさを含んでいる。

 銀に輝く籠手や胸当て。脚を守るグリーフという防具はまるで彼女を引き立てるための装飾品のようですらあった。


―― 欲しい ――


 直感的に思う。

 何があっても私は彼女を手に入れたい。

 こういうのを一目惚れと言うのかもしれない。

 人間相手……いや、この世界に生まれてからここまで思った相手は誰一人としていなかった。

 人間だろうが関係ない。

 何が何でも私のモノにしてみせる。

 そういった衝動が身の内から燃え滾るマグマのように湧き上がって来た。


「どうぞ、座って欲しい」


 そう言われ私はハッと我に返り、彼女と対峙する形でソファに腰を下ろした。

 彼女の後ろには二人の兵が立っていたが、彼女が称号だけを無駄にもらった人間でないことは彼らを見ても十分にわかった。主に尊敬を抱き、彼女と共にあることを誇りに感じている。あのチビデブの配下たちには一ミリも持てなかった感情だろう。


「私の名前はリリーラ。リーリラ・ヴィ・フラーレンだ」

「リリーラさま、ですね」

「早速で悪いのだが……」


 言いかけて彼女が小さく微笑む。


「そう緊張しないで大丈夫だ。別に何も私は貴女をとって食おうってわけじゃない」


 虚を突かれた感じがした。

 私の性癖や人間に対する嫌悪を除いてもなお余りある欲望が顔をのぞかせ、私の仕草に歪さを含ませたらしい。


「す、すいません。魔法騎士さまと会うのなんて初めてのことなので……」と言葉を濁らせるが、彼女はそれにクスクスと笑った。


「無理な注文なのかもしれないが、そういったことはあまり気にしないでくれるとありがたい。私自身、常に国の騎士であろうと自分を律しているつもりはあるが、それを威光として使いたくはないんだ」


 それは謙遜でなく彼女の本心だっただろう。

 さて、とたたずまいを直す姿は自然なもので、だからこそその人となりを表しているように感じられた。


「確か貴女はキョウカさんといったかな?」

「はい。キョウカ・アキツネ。どうぞキョウカと呼び捨てにしてください」

「ではそうさせてもらおう。確かキョウカはこの前襲われたフィノイ村の出身だと聞いていたように思うが……」

「その通りです」

「こちらに上がってきている資料では、村は何者かに襲われ、一人の少女を除いて全滅だったとなっている。その少女もこの町で突如として行方不明になったと」


 こくりと頷きながら、それじゃあなんで私だけが無事なのだろうかと我ながら疑問に思われそうに思ったが、「それはさぞかし辛い思いをしたことだろう」と目の前の女性は顔を曇らせた。

 まぁ、彼女たちからしたら私はただの冒険者になりたての小娘だ。裏で糸を引いているなんて考えは想像すら出来ないに違いない。


「その何者かは見たこともない存在……ただの魔物ではなくもっと化け物めいた存在、例えるのであれば魔族のようであったと」

「私もそう聞き及んでいます」

「そして、二週間ほど前に貴女はそれと類似した……もしくは同一と思われる存在を目撃している」


 リリーラの視線が鋭いものに変わる。


「もう記憶もあやふやになってしまっているかもしれないが、それは全体的にどんな風貌だったのかは覚えているだろうか?」


 正直、領主町から来た人間に話を聞かれると知った時には「あまりの出来事でよく覚えていない」と誤魔化すつもりでいた。変に興味を持たれても面倒だし、巻き込まれて何かいいことがあるとはとても思っていなかった。が、彼女が相手なら話は別だ。

 私は少し思い出すような素振りをした後に、出来るだけ詳細にあの時即席で創った傀儡の容貌を口にした。

 それは今までに聞いたどの冒険者よりも詳しいものだったらしく――私が創った傀儡なのだから当然と言えば当然なのだが――彼女は紙にペンを走らせながら熱心に私の話を聞いた。


「おっしゃった通り、少し昔のことなので曖昧なところがあるかもしれませんが、全体的には今申し上げたような感じだったと思います」


 最後にそう言って言葉を締める。

 リリーラはペンを走らせ終わってから、ふむ、と真剣な表情を崩さなかった。そして自分の書いた文章にもう一度目を走らせてから、


「よくここまで詳しく覚えていたな。正直、ここまで覚えていた人は町に帰って来た兵の中にも、先ほどまで話を聞いていた冒険者の中にもいなかった」言った。


「全部が正しいというわけはないと思います。自分で勝手にそう思い込んでいる部分もあるかもしれません」

「いや、貴女の言った特徴は他のものとも矛盾していないし、大方正しいのではないかと思う」


 後ろの兵から紙を受け取り、ペラペラとめくりながら彼女が言う。


「なら、無駄に覚えが良いのが役に立ったのかもしれません」

「そう言えば、貴女が冒険者になったのはついこの間だと聞いたが、今はもうDランクに昇格している。マルチウィザードで、この数年の中では間違いなく一番の逸材だとギルドのマスターもおっしゃっていた」

「ありがたくも、過分な評価をいただいているようです」

「私も一応は魔法騎士だからこういった荒事のなんたるかは多少は知っているつもりだ。記憶が良いのは間違いなく役立つだろう」


 次いで、一言二言後ろの兵と言葉を交わしてから彼女は一枚の紙を私の方に差し出してきた。


「この図柄に見覚えは?」

「これは……フィノイの村に残っていた謎の魔法陣の一部、ですか?」

「その通りだ」


 彼女が頷く。


「魔法使いの家系で、多く数を知っているだろうということもあってこの度私がこの調査に選ばれたようだが、恥ずかしながらこのような魔法陣を私は見たことも聞いたこともない」

「この間こられた騎士……ザムントさまは高度な炎を操る魔法だとおっしゃっていたように思いますが……?」

「貴女もそれに同意するのだろうか?」


 そう問いかける目がすでに私の答えを知っていると物語っていた。だとしたらあのチビデブの名誉はこの際考えなくて良いということだろう。


「いえ、正直に申し上げるとそうとはとても思えません。あの場でも魔法兵の方が指摘されておりましたが、炎を操るのであればここに特徴的な図式があるはずです。しかし、これはそうではありません」


 それにリリーラが「その通り」と言うように首を縦に一つ振る。

 このくらいは魔法を多少知っている人間なら誰でも指摘出来るだろう。そこで私はもう一歩踏み込みこんでみることにした。


「これは私の勝手な考えなんですが」と前置きをしてから、

「ここの文字列……ここは連絡、伝達……もっと曖昧な表現で良いのなら何かを遠くに伝える、といったような意味を表す言葉の一部ではないかと思うんです」と言った。


 それに案の定彼女はピクリと反応した。


「どこだろうか?」


 のぞき込むようにした彼女に、ここの部分ですと指し示す。


「文字が潰れて少し読みにくくなっていますが、ここがこういった記号だった場合、合致する単語を考えるとそういう意味を示すものになるんじゃないかと……」


 そんな指摘にリリーラは紙を手に取ってきゅっと目を細めて真剣な表情を見せる。

 ここまでずっと穏やかな雰囲気を保っていたが、それは私のような子女が相手だったからだろう。普段の彼女はこのような凛々しい雰囲気を常にまとっているに違いない。

 凛とした年上というのも悪くない、と私は内心でほくそ笑む。

 元来私ほどの年齢の頃は――もっとも、それは人間で考えればの話だが――年上の女性にどこか魅かれるものがあるものだ。


「……なるほど、言われてみれば確かにそのように考えることが出来るな」


 ややあって彼女はポツリと呟いたかと思うと、凛々しさを幾分柔和なものに変え、驚きの表情で私を見やった。


「どうやら私は既存の知識に囚われてすぎていたようだ。これが私たちが知らない魔法の陣であった場合、そうなる可能性は当然ある」


 言って、紙を後ろの兵士の一人に渡し、「今の話の線での検討と、類似したものが今までに記録されていないかどうかの調査を頼む。出来るだけ急いでくれ」と言伝をする。それに兵は「はっ!」という言葉と共に敬礼を一つ、部屋から退出した。

 そして私の方に向き直って彼女は口を開いた。


「前に何かの書物で読んだことがある。今はもう失われたはずだが、過去には遠くに言葉を伝えるような魔法もあったと。ともなれば、この魔法もその一つという可能性があるわけだ」

「たかが一人の冒険者の、ほとんど素人考えのものなんですけどよろしかったのですか?」

「素人考えとは言えないだろう。ガチガチに基本を教えられ、型にはまった人間ほど柔軟な発想が出来なくなってしまうものだ。今の指摘がなければこの魔法陣は全く手掛かりのない未知の魔法陣ということで放置するところだった。が、もしこれが何かを伝達するようなものであった場合、村を襲った連中はどこかと連絡を取りながらやっていた……つまり、少なくとも二つのグループに分かれていたということになる。そうなると、ただの場当たり的な野盗なんてものは見当違いもいいところだ」


 そのまま考える仕草をする彼女に私は一つ問うた。


「リリーラさまはこの魔法陣と私たちの前に現れた魔族。その二つに共通点があるとお考えなのですか?」

「……ないとは言い切れないと考えている」


 彼女の口調は慎重なものだった。


「未知の魔族であれば今となっては失われた魔法を使っている可能性もゼロとは言い切れない」

「魔族にそれだけの魔法の知識が残されているんでしょうか?」

「今は、魔族は取るに足らない存在として捨て置いている人が多い。西方の山脈の向こうのかくりよ……荒れ果ての地、誰もが見捨てた場所でひっそりと暮らしている、大した知恵も技もない弱小種族。そう考えている人ばかりだろう。だが、それでは私たちは魔族の何を知っているのだろうか?」


 問いかける口調に私は言葉を返す。


「何も知らない。そう言って過言ではないと思います。こう言ってしまうと誇大妄想と言われるかも知れませんが、生きることさえ厳しい土地で鋭利な爪を研ぎ澄ましている可能性だってないわけではありません」

「そうだな。少なくとも未知との遭遇だったのだ」


 彼女はそこで苦虫を噛みつぶしたような表情を僅かに見せた。


「こんなことならヴィヴァンヌさまにももっと強く同行の要請をしておくべきだったかもしれない」

「ヴィヴァンヌさまに?」


 問うとリリーラはこくりとうなづいた。

 一体誰だそれは、と言いたくなるが、雰囲気から察するにそれなりに知名度のあるらしい。が、生憎こちとら人間社会にはたんと疎い魔族の姫だ。人間の世界で有名な人間だろうが、まだ生まれて間もない魔族の私が知るわけがない。

 しかし、ここで変な反応をしたらおかしな疑いがかかる可能性もある。


「ですが、そこまでしなくてはいけないようなものでしょうか?」


 はったり……とは少し違うが知ったかぶりでそう問いかける。


「不確実なものを理由にそこまで踏み込むのは……」

「確かにな。資料だけでは魔族の可能性がないわけではない、といった程度の書き方だった。しかし、貴女たちの話を聞くにそれこそ今まで見たこともない魔族の可能性が高い。だとしたら少し大げさと言われようとも神の加護をお持ちのヴィヴァンヌさまに強く訴えるべきだったと今は思う」


 なるほど、魔族を相手にそう言うということはいわゆる『神の祝福』を受け、聖なる力をもった人間の子孫か何かなのだろう。


「実のところ魔族が絡んでいる可能性がある以上、万全を期してヴィヴァンヌさまにも来ていただけるよう要請はしていたのだ。しかし、情報も曖昧であるし、そこまですることじゃないだろうと教会に無下に却下されてしまった。ここに来るのもその折衝で少し時間がかかって遅れてしまってな……」

「今から来ていただくようには出来ないのでしょうか?」

「難しいだろう。教会は気位が高い」


 少し困ったように彼女は言った。


「一度断った案件について再考を願っても余程のことがなければ覆らないはずだ。それに、もし万が一覆ったとしても手続きやらなんやらでどれだけ待たされるか……流石にそこまでのんびりと時間をかけてはいられない」


 なるほど。相手が相手となるとやはりそう簡単に動かせないようだ。

 それはまぁ、こちらとしては願ってもないことである。聖なる力だかなんだか知らないが、こちらとしても未知の力といきなり戦うのは避けたいところだった。

 そうして話の聞き取りが終わり、私が席を立とうとした時だった。


「そうだ、キョウカ」

「はい?」

「もし良ければ今回の調査に対して協力を願えないだろうか?」


 不意にそんなことを彼女は言った。


「それはもちろん協力はいたしますが……私とて一介の冒険者です。言われずとも、私に出来ることなら喜んで協力するつもりでした」

「ああ、そうではない」


 彼女は小さく笑った。


「今回の件について私たちの兵とマスターが用意してくれる冒険者で専門の対策班をつくる予定になっているんだ。それに、貴女の記憶力や柔軟な発想は是非に活かさせて欲しい。わかりやすく言えば、その対策班に参加して欲しいということだ」

「私などでよろしいのですか?」

「ああ。常識という枠にとらわれない人がいるといないのとでは大違いだ」


 その申し出を断る理由が今の私にはなかった。

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