新たな動き

忠告

 謁見の間で私は母の前で片膝をついていた。

 他には誰もいない。しんと静まり返った空気には一部の隙も無く、動けばそれだけで身が傷けられそうな鋭利なものを含んでいた。母はそんな空気を十分に部屋に満たしたのを確認したかのようにしてから重々しく言った。


「最近、多少の遊びを覚えたようだね」

「遊び……でございますか?」

「人間相手に色々とやっているのだろう?」


 町から城に戻った際、神妙な面持ちの咲耶に母からの呼び出しを伝えられこうして来たわけだが、彼女の表情の意味が部屋に入ると同時にわかった。

 ただでさえ並の者なら圧倒させる母が、私を見るなり落ちくぼんだ目をギラリと向けてきた。かなり老いてはいるものの、それでも魔族の女王。その鋭さは私も軽く気圧されるほどだった。


「多少は目を瞑るが、過ぎると我も口を出さねばならなくなる」


 その言葉に私もすっと目を薄くする。

 最初に人間の村を襲ったことはもちろん、タマ吉に襲わせた村、そして先日の騎士をとりまく騒動。この雰囲気からすると、ロレットを隷属させたことを含め全てが母の耳にも入っているようだ。


「しかしお母さま、何か不都合がございますでしょうか?」


 今度は私が口を開く。


「私もまだまだ幼いのでしょう。城の者たちはみなよくしてくれますが、それでは心が満たされません故、人間どもで遊ぶのもまた一興と思っています」

「多少は目を瞑ると言っているだろう?」


 母の視線がさらに鋭くなる。


「しかし、我らは魔族を統べる立場。同族を不必要に危険にさらすことからも避けねばならぬ」

「お母さま。よもや人間どもを恐れておいでで?」


 問うと、母は何も見ていないような瞳を私に向けて重たく、


「口を慎め」言った。


 その語調に思わずゾクリと背が震える。

 私の力は並じゃない。その気になれば母といえど……と思っていたが、それは思い上がりだったのかもしれない。

 肉体的能力は私の方が全盛期の母よりも上だと前に気狐が言っていた。しかし、妖術に関しては私はまだそこまで絶対の力があるとは言えない。魔族の女王だ。圧倒的肉体的能力差を簡単に覆す妖術の術者であっても何の不思議もないだろう。


「……失礼いたしました」


 私の一応の謝罪に母が小さく息をもらす。


「永く生きていれば多少のことが耳に入ってくる。人間どもがただの脆弱個体の集団だけなら我もこうして籠ってはおらぬ」

「それは……忌々しい『神の祝福』を受けしものどものことでしょうか?」

「それもある」


 それ「も」ある? ということはまた別の何かがあるということだろうか? わからないが、母はそのまま言葉を続ける。


「目立つモノは打たれる。驕り高ぶれば視野は狭くなる」

「どういう意味なのでしょう? それは、私の知らぬ何かがある、と?」


 私はそう問うたが母は何も言わなかった。どうやら何もかもを教えてくれるような過保護な性格ではないらしい。


「繰り返し言うが、多少の遊びは許す。しかし、過ぎるとそれは己の手を焼きかねんぞ」

「……肝に銘じておきます」


 下がってよい。

 そう言われ私は謁見の間を後にした。

 そして舌を打つ。


「姫さま?」


 見るからに何かあっただろうとわかる私に今日の傍仕えの女中がハテナと首を傾げる。


「ねぇ?」

「はい、なんでござい――んっ……」


 不意に口づけるが女中は反抗的な態度はこれっぽっちも示さない。

 口を離すと、「どうされたのですか?」と僅かに頬を紅くして小首を傾げる。


「その……伽が必要であればいつでもおっしゃってください。この身は常に姫さまのものにございます」

「ええ、ありがとう」と今度は感謝のキスをするが、本当の私が求めているのはこれではない。

 これでは、私の渇きは到底潤せないのだ。



 自室に戻ってから転移の魔法を使ってクーベルクの町の拠点に戻る。


「おかえり、キョウカ」


 転移のために使っている部屋から出ると、ロレットが笑顔で出迎えてくれた。

 あの騒動の後に借りた家はそう広いものじゃない。住宅地の中でも外れにあるアパートの一室で、寝室とダイニング、そして部屋が別途に一つあるだけのものだった。ただ、駆け出しの冒険者二人が暮らす部屋としては適当だっただろう。


「何か変わったことはありましたか?」

「ううん、特には……あ、ちょっと前にお兄ちゃんが来て、明日はギルドに顔を出して何か依頼を受けようって。お土産も持ってきてくれたよ、テーブルの上」


 見やると町で有名な店で売ってる蜜菓子が皿に二つ乗せられていた。


「別に一々いらないって言ってるんだけど、なんか持ってこないと気が済まないみたいで」

「リストさんは妹さん想いですもの。私がいないことについては何か言っていましたか?」

「買い物に出てるって言ったら特には何も。ただ、わがままばっかり言って愛想つかされるような真似は絶対にするなよって釘は刺された」


 リストとメレデリック。パーティーの二人は私と彼女が純粋な恋仲だと思っている。

 最初は流石に都合の良すぎる展開に驚いたようで、一緒に暮らすと伝え、実際に同棲し始める前に私はリストに内緒に呼ばれて事情を聞かれた。本気で妹のことが心配なのだろう。


『無理強いをされたり、同情の類から来ている何かなら正直に言って欲しい』

『兄として、これ以上あいつが傷つく姿は見たくない』


 そう深く頭を下げられた。


「それより、なかなか来ないね」


 蜜菓子を食べながら、もう少ししたら夕食を食べに行こうと話していた時に思い出したようにロレットが言った。


「領主町から来るっていう追加調査のこと?」

「うん。もう結構経つし、そろそろ動きがあってもおかしくないと思うんだけど」

「そうね……だけど、こうも動きがないとなると……」

「あんまり信じられてないのかな?」


 ロレットがそう首を傾げる。


「いくら複数の証言があっても、今の時代に魔族だのなんだのって。実際、あたしだってキョウカに隷属してなかったら信じたかどうかわからないし」

「その割にあの日は随分と情熱的に心配してもらったように思いますけど?」


 そんなからかい言葉に、「もぅ、あんまり意地悪言わないでよ……」と頬を赤らめて膨らます。


「まぁ、確かに信頼性の欠けた情報だと思われても仕方ないですね。それならそれで別に構いませんが、厄介なのは魔族だという情報を真なるものと考えられ、真剣に対策を考え、準備をしている場合ですね」

「『神の祝福』を受けし人が直々に討伐しにきたり?」

「簡単に言ってしまえばそういうことになるかもしれません。実際、世にはそういう人がいるんですよね?」


 それにロレットは少しむずがゆいような表情を浮かべた。


「まぁ確かにいるって言えばいるけどさ。全部オープンになってるわけじゃないからあたしもよくわかんないってのが正直なところかも」

「そうなんですか?」

「確かに崇められてる人もいるけど、秘密主義で隠されている部分もある、なんてことも聞くし、それも含めて、いや、そんなものはない、第一、魔族との戦いなんてもうわからないくらい昔の話、所詮は人間社会での権力争いで生まれたものだ、なんて言う人もいるよ。どっちが本当なのかあたしもよくわかんないや」

「でも、少なくともそういう方々がいるのは確かな話みたいです」

「そうなの?」


 私は小さくため息をもらした。


「ええ。その件で先ほど母に小言を言われましたから」

「御前さまから?」


 ロレットが首を傾げる。

 隷属させてはいるが彼女は一度も母に謁見させていない。

 彼女は血による隷属をさせているだけで純粋な人間だ。それに、美人は三日で飽きるではないが、隷属をさせ、従順なしもべとなってしまった今、そこまで手厚い扱いをするのはなんとなく気が引けていた。


「永く生きてきた母が言う以上、そういう存在がいるというのは事実なんだと思います。もっとも、実際にそれがどの程度の脅威になるかどうかはわかりませんが」

「そうだよね。いくら強いって言っても人間だもん。キョウカに勝てるようにはあたしには思えないけどなぁ……」


 言って残っていた菓子を彼女は一口に放り込んだ。咀嚼して飲み下し、指についた蜜をなめとってから、


「そう言えば、今日はどっちに泊まるの? ここ? それともお城に戻る?」と問うてきた。


「もしお城に戻るならあたしもついて行って良い?」

「……どういうこと?」


 それにすっと私はついと彼女に視線を滑らせた。


「キョウカに仕えて少し経つし、魔族のお城ってのも見てみたいなって思ったりしてるんだよね。キョウカがお姫さまをしている場所ってこともあるから、一度は――」

「――思い上がるなよ?」


 彼女の言葉を乱暴に切る。


「人間でありながら貴様を隷属させているのは便利な駒だからよ。それを特別な寵とでも思っているのなら、今一度自身の立場というものを考えてもらうことになるわ」

「ご、ごめん」


 焦ったようにロレットが言った。一気に顔が青くなる。


「あ、あの、そういったわけじゃなくて、あたしは単に――」

「――もういいわ。今日は城に戻るから」


 深く息をつくと「出過ぎたことを言い、本当に申し訳ありませんでした」と彼女はあまりにか細い声で言った。

 ガリガリと頭をかく。

 こんな些細なことで苛立ったのは、私自身先ほど母に叱責をもらったからだろう。八つ当たりなどなんと幼いことか、と思わないでもないが、いくら隷属させていても人間風情が自ら「城に行きたい」と言うのは大それたことだというようにも思えた。

 最近は人間と接していることが多く、そういう態度でいることが多いから私自身人間相手に優しい態度をとることも多いが、基本として私は『魔族の姫』なのだと思う。

 これが産まれたばかりの頃に咲耶に言われた『魔族の姫としての自覚』なのだろう。

 考えてみれば最初のサザラテという村を襲った時には十分に自覚は目覚めていた可能性が高い。でなければ、ああも小虫のように人間どもを殺せなかったはずだ。

 転移のための部屋に入り魔法を発動させる。

 明日はパーティーで依頼を受けるというから、城に泊まるにしてもなるべく早く戻ってこなければならないな。

 そんなことをぼんやりと考えながら私の身体は虚空に消えて城へと向かった。

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