従属

 町に戻っても、直接に出来事を見ていた私はすぐに冒険者ギルドでその場にいた面々と一緒に事情を聞かれた。

 人間の歴史で言えばもう何十年もなかった魔族側からの強烈なアプローチ。

 ギルドマスターを含め、聞く側はどうしても疑い半分のような雰囲気が否めなかったが、兵士や同じ冒険者があの時現れた存在をリアルに語っていくにつれてその雰囲気は消えていった。

 特に集められた冒険者の中で一番腕利きだと言われていたBランクの冒険者の「あれは俺一人……いや、あの場にいた全員で戦ってもどうにか出来る相手じゃなかった。見逃してくれなきゃ、ここにいる全員が死体になっていただろうな」という発言は重みがあったようだ。それほどか……とギルドマスターは表情をかげらせた。

 結局、それから少しして私たちは解放された。ギルドの雰囲気がいつもより違うのは二階の部屋から出ると同時に感じ取った。

 臨戦態勢。

 そう言って差し支えはなかっただろう。


「キョウカっ!」


 一階に降りると、ずっと待っていたらしいロレットが私に飛びついてきた。よろけそうになるのを慌てて受け止める。少し目の付近が赤くなっている。泣いていたのだろう。後ろにはリストとメレデリックの姿もある。


「キョウカ……無事で、本当に良かった……」

「ロレットさん……」


 あやすように抱き込み、ポンポンと背を叩く。


「命拾いしました。どうやら私は悪運が強いみたいです」


 冗談めかしてそう言うが、ロレットはぐりぐりと私に頭を押しつけて離れようとしない。


「キョウカ」


 そうしている内に後ろの二人も私のところにやってきた。


「別のヤツから簡単に事情を聞いたが、本気でヤバかったみたいだな」

「ええ。正直、よくあの場所で腰が抜けなかったのか不思議なくらいです」

「あんたがそこまで言うような……魔族、だったのか?」

「あれが本物の魔族だったかどうか正確にはわかりません。ですけど、それでも該当する言葉を選べと言われたら魔族と答えるしかないと思います」

「くそ、このご時世に魔族かよ……御伽話じゃあるまいに」


 そうメレデリックが吐き捨てる。


「今日はどうするつもりだ? こんなことがあった後だ。今日は俺たちも実家に戻ろうと思ってるんだが、良かったら来るか?」

「いえ、そんなご迷惑はおかけ出来ません。ギルドの方で宿を用意してもらえるようなのでそちらに泊まります」


 強く勧めるのもどうかと思ったのか、リストはそうか、と言っただけだった。

 と――


「じゃあ、あたしが一緒に泊まる」ロレットが言った。


 その瞳にはただの心配以上の色があるように見えた。


「ロレット……こんな時に迷惑を……」


 言いかけ、リストが「いや」とガシガシと頭をかく。


「こんな時だ。荷物にしかならんかもしれんが、こんな妹でもあんたの役に立つかもしれん。それに、正直言えばこいつも俺と一緒にいるより、あんたと一緒にいた方が安全だろうしな」

「そうでしょうか?」

「ああ。あの副官の剣が全く通じなかったって聞いてる。ちらりと見ただけだったが、あの副官は相当に鍛えてあった。冒険者で言えばBクラスには十分匹敵するだろう。となりゃあ俺の剣なんて通じるわけがない。時間稼ぎだってロクに出来るかさえ怪しいもんだ。そうなったら、魔法を使えるあんたの方がまだ可能性がある」

「あんなのが出てきたら私だってとても勝てる気がしませんよ」


 力なく笑ってみせたが、


「それでも、どうか一晩こいつを頼む」と私はリストに頭を下げられた。



 ギルドが用意してくれた宿はそう広い部屋じゃなかったが、この際そんなことは関係なかっただろう。中に入って扉に鍵をかけると、後ろからおずおずといった様子でロレットが抱きついてきた。


「ロレットさん?」

「……キョウカが死んじゃったらどうしようって、今もそればっかりが頭の中をぐるぐるしてるの」


 ポツリと呟いた言葉が静かな部屋に溶け込むように染み入っていく。


「私は生きてます。さっきも言いましたが、どうやら悪運が強いみたいで」

「でも!」


 ロレットが強い口調で言葉を切った。


「キョウカは今回の事件の目撃者ってことになるんでしょう? もしその魔族が誰かを狙ってくるとしたら、目撃者だったキョウカは一番に危なくなるんじゃないの?」

「あの魔族が目撃者を消そうと思っていたならあの場でやっていたと思います。少なくともあの魔族にはそれだけの力があったでしょうから。今更目撃者がいようがいまいが関係ないんでしょう」

「だけど……」


 再度抱きしめる力が強くなる。

 ああ、こんなに純粋無垢な想われ方をしたのは久しぶりだ、と場違いなことを思う。

 城の女中たちにも最初はこういう無垢さがあったが、伽をさせてきた今となってはそれはすっかりなくなっている。彼女たち自身、自分たちが姫である私の所有物でしかないという意識が強くあるのも関係しているのかもしれない。

 そうなると、私をただの人間の一人として純粋に好いてくれているのは彼女が初めてなのかもしれない。


「ロレットさん」


 名を呼び、また少し涙目になっている彼女が顔を上げた時に私は彼女の唇を奪った。

 戸惑いや驚きはあったが、嫌悪の類はほとんどなかった。

 もしかしたら、彼女もこうなることを承知で私の宿に泊まると言ったのかもしれない。


「キョウカ……」

「ロレットさんが嫌ならこれ以上は何もしません。今のは……心配してくれたことに対しての単なるお礼とでも思ってください」


 そう言うが、ロレットは首を左右に振った。そして今度は彼女の方から唇を合わせてくる。

 下手くそなキス。誰ともしたことがないのだろう。カチリと小さく前歯が当たって少し痛んだが、彼女はそれでも私を放そうとしなかった。

 遊ぶようなキスを繰り返してからこちらから舌を差し出すとビクリと彼女の身体が驚きに震えた。が、それも一瞬のこと。すぐに口内に導かれて、私は彼女の中を遊ぶように舌を動かした。

 少しして唇を放す。

 呼吸のタイミングがわからなかったのか、彼女は僅かに息を切らせていた。そんな彼女を横目に私は自身の服に手をかけた。

 その晩、私とロレットは濃密に交じった。

 彼女はもちろん初めてで、どうすればいいか戸惑っていたが、私は決して乱暴に扱うようなことはせず、今までの経験で得たものをフルに使って愛のあるセックスをした。

 私の愛撫に恥ずかしながらも喘ぐロレットを見ながら、私もまだこういう風に人を愛せるのだと、少し不思議な感じがした。

 セックスを終え、心地良い疲れに身をゆだねていると、


「ねぇ、やっぱり一緒に暮らさない?」


 私に甘えるように身を寄せていたロレットが言った。


「こんなことがあって、これからどういう危険があるかもわからないでしょう? あたしでも、いないよりかはいる方がまだマシだと思う」


 その言葉に私は「そうですね」とおざなりに同意するが、それに彼女の顔が喜びに染まる。

 初めてのセックスに初めての恋人。

 こんな中にあって彼女は今その心地良さのただなかにあるに違いない。

 が、今はこういうのも悪くないが、これから恋人だなんだとなると面倒事が必ず起こってくるし、第一私が魔族の姫である以上それをするのも望めないし、望まない。彼女は単に容姿が私の好みだっただけで、それ以上の何かがあったわけじゃないのだ。


「ただ、そのためには少し条件があります」


 言って、そのままするりと彼女から離れてベッドから抜け出す。


「条件?」


 ロレットはなんだろう、という声色で言った。


「こうなった以上、一緒にいるとなったら色々と不自由があると思いますから」

「不自由って、あたしは別にキョウカのことを束縛しようとか、そういう風には考えてないよ? それは……ヤキモチくらいは妬くかもしれないけど……」


 そんな可愛らしいことを言うロレットに思わず私は笑ってしまいそうになる。

 いや、一般的な少女ということを考えたら身分相応と言えるかもしれない。


「そうじゃありません」

「そうじゃないって、それじゃあどんな条件なの?」

「貴女が、私に絶対の忠誠を誓ってくれる、という条件です」


 変身を解き、角の生えた姿をあらわにすると、彼女はぽかんとした表情を浮かべた。


「今まで隠していましたがキョウカ・アキツネは仮の名前。私の本当の名前は月詠。一応、この世界の魔族の姫をやってるんです」

「キョウカ……魔族の姫って、何を言っているの……?」


 まぁ、角が生えたくらいじゃあまり実感もないだろう。

 大きく騒がれては面倒だ。下唇を歯でプツリと破き、血がにじんだ状態で彼女の頭を捕らえてキスをする。深いキス。自分の血を舌ですくって彼女の口内に塗りつけるように飲ませていく。

 今まで手下の創造をメインに使ってきたが、私の血は思った以上に様々な使い道がある。

 その一つが言葉でなく直に頭に情報を送り込むような、一種のテレパシーのような能力だ。女中相手に何度か試したが、誰もが私の考えていること、伝えたいことを実に明確にとらえてくれた。

 キスを終え、そっと離れる。


「どう? 私に従ってくれるかしら?」


 問うと、血で全てを理解した彼女が「もちろんでございます」と答え、その場で片膝を折った。

 元より私のことを好いていた人間だから、少し背中を押してやれば隷属させるのはあまりにも容易いものだった。もしここで少しでも嫌悪や拒絶の反応があれば私の血は脆い人間の脳を内部から破壊しただろう。


「月詠さま。知らぬこととは言え、今までの散々なご無礼、ここに謝罪します」

「態度は今までと一緒で構いません。変に敬語になったり態度が恭しくなったらリストさんたちが怪しむでしょうし。私も皆の前では今まで通りの態度で接することにしますから」


 言って姿をキョウカのものに戻すと、彼女は「ありがとうございます」と一層深く頭を垂れてから顔を上げ、それまでと変わらない無垢な笑顔で「うん、じゃあそうするね」と答えた。

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