偽の友情
地下牢にはもちろん見張りがいる。自害なんてされたら興ざめだし、軽装の甲冑を着た魔族が槍を片手に立っているのだが、今の見張り番というのは暇なものだろう。なんせ地下牢に繋がれているのは娘一人だけだ。
階段を下りて兵の視界に入る。と、彼は外見が違おうともすぐに私が姫だとわかって最敬礼をしようとしたので、私は慌ててそれを止めた。そして手ぶりで彼を傍に呼び、耳打ちのような形でこっそりと話をすると、彼は「わかりました」と頷いて元の位置についた。
続いて私も階段を下りて、背後を確認するふりをしてから娘が囚われている牢にかけよった。ちなみに私の手には一つの盆が持たれていて、そこには固くなった黒パンではなく、小麦で作られた白いパンと水が乗っている。なんだろうかと少女が私に目を向けたので、私はそっと問うた。
「えっと、貴女がこの前姫さまに連れてこられたという方ですか?」
「そうだけれど、貴女は……?」
「私はクルルと申します。この城に勤めている女中の一人です」
そう答えるが、少女の目には深い疑いの色があった。
ここに来てから私に犯され続け、他の女中には事務的に冷たく接せられるのみ。疑ってかかるのも当然というものだろう。
「僅かですけど水と食料を持ってきました」
そう言ってパンと水が乗った盆を地面に置いて娘に差し出す。
「あいつの命令?」
「あいつとは……姫さまのことでしょうか?」
つっけんどんな言葉にそう返すと、それだけで彼女は相当な嫌悪を顔に浮かべた。相当な嫌われようだと我ながら内心笑いそうになるが、それは辛うじて堪えて、「違います」と答える。
「ここの女中は多くが志願してのものですが、中には私のように無理矢理に女中として取られた者もいるのです」
「無理矢理って?」
「その……私の家は貧しくて、たまたま姫さまの目に留まった私が好みだったから、と……。だから、貴女のことも少しだけわかる気がするんです」
その言葉で私の言いたいことは通じたようだ。それに「あの女の考えそうなことね」と、彼女は唾棄するように言った。たったこれだけの会話だが、それでも娘の目の疑いの色は一気に薄くなる。共通の相手を敵と認識した際に出来上がる仲間意識というのは実に恐ろしいものだ。
「これ、もらっていいの?」
「もちろんです。そのために持ってきたんですから」
「でも、大丈夫なの? 見張りもいるし……」
言って少女が兵を見やる。
「今日の兵士さんは大丈夫です」
「どういうこと?」
「魔族の兵と言っても、誰もが姫さまの味方というわけではありません。姫さまは遊びが過ぎると母上であられる御前さまからも言われていて、御前さまの派閥に属する者からはあまりよく思われていないのです」
「つまり、今日の見張りは……」
「御前さまの派閥に属している兵士さんです」
実際そんなことは微塵もないのだが、私がそう言うと合点がいったというような表情を彼女は見せた。
「だからこうしてお目こぼしもしてくれるんです」
そう付け加えると、まだおそるおそるではあったが、娘はパンに手を伸ばし、ちぎって口に入れた。普段に渡される黒パンとは違った上等なパンだ。おまけにかなりの空腹ということもある。彼女はぺろりと一つのパンを平らげた。
最後にグラスに入った水を渡すと「ありがとう」と彼女はそれも飲み干した。
「最近まともに物を食べてなかったから、おいしかった」
「それなら私もここに来たかいがあるというものです」
私は小さく微笑んだ。
「ところで、貴女はなんというお名前なんですか?」
「……ソフィーよ。ソフィー・フリス」
「ソフィーさん、ですね」
姫として来ていた時には何もどころか名前すら言わなかった少女が、こんなに容易い方法で名前を言うことに内心鼻で笑った。もちろんそんな素振りは外には微塵も出さず、言葉を続ける。
「毎日は無理ですが、週に何日かはこうして食料を持ってこられると思います。他にも何か必要なものがあったら言ってください。なるべく持ってこられるように頑張ります。今は大変でしょうが、姫さまは飽き性でもあります。こんな生活も長く続くわけじゃないはずです」
「そうなったら私はお役御免で殺されたりするの?」
彼女……ソフィーは自嘲するように言った。
「でも、それが良いかもしれないわね。弟たちも殺されて……何も守れなかった。村もそう。なのに、私だけが生きてるなんておかしいもの」
それに私は「おかしいですね……」と呟くように言った。
「おかしいって何が?」
食いついた。
私は心でほくそ笑み、「いえ……私はその場面を見てはいないんですが」と断ってから、
「貴女がこの城に連れてこられた際、確か他に男の子が二人、一緒に連れて来られたと聞いていたもので」言った。
「えっ!?」
ソフィーが驚きの声を上げる。
「それって本当っ!? 本当の話なの!?」
「え、ええ……怪我はしていたみたいですけど、今は別の場所に捕らえられているはずです」
「場所……っ! 場所はどこ!?」
「お、落ち着いてください。私も詳しいことはよくわからないんです。貴女の弟さんかどうかも……」
言うと「そ、そうだよね……」とソフィーは落ち着きを取り戻したが、その目には期待の光が灯るのが見えた。
「とにかく希望を捨てちゃいけません。連れてこられたはずの男の子についても出来る限り調べてみますから」
その励ましに、ソフィーは「ありがとう」と、この城にきて初めて年相応の表情を見せた。
*
そうして女中に化けた私と彼女の仮初めの友情が――おそらくは彼女の中で始まった。
最初はたどたどしかったのは確かである。私に対しての疑いや不信の心もわずかにあったようだが、半月もするとそれは解けていった。
私が足しげくパンのようなものから果実、時にはちょっとしたお菓子のようなものを運んだことももちろんだけれど、月詠……つまりは私の悪口を言ったのもきっかけの一つだった。貴女みたいな考え方を持った魔族も城にはいるのね、と彼女は大層驚いたようだった。
その頃に、「何か欲しいものがあったら言って欲しい。出来るものなら何でも持ってくる」と言ったら、彼女は弟の情報が欲しいと言った。
その日から私はありもしない情報をデタラメにしゃべったが、少女はその一つひとつに励まされているようで、それがあまりに可笑しく、あまりに愉快で、そういう時、私は部屋に帰ってから咲耶をはじめ、特別私のことを好いている女中たちに褒美として伽をさせてやった。
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