のどかな村

 その村は実にのどかな村のように見えた。

 山脈とは言え、山を一つ越えただけでこれだけ環境が違うものかと少し驚かされる。死の覚悟が必要という山の一つを越えるのも、今の私にとってしてみればただの散歩同然だったからその印象を強くしたのかもしれない。

 霧に覆われ、常に寒さが澱のように漂っている世界から比べれば、山を越えた暖かさは季節が冬と春でくっきりと線引きされているのではないかという錯覚を覚えたくらいだ。

 村の周囲には柵が張られ、物見やぐらもいくつか見える。あれは魔族に対してではなく、野盗などの賊の類に備えてのもののように見えた。

 ただ、一応の物見やぐらがあっても、ここに緊迫した雰囲気はない。気狐が集めている人間世界の情報によると、王国は別に帝国と長く争っていたそうだが、その帝国とは二十年ほど前に同盟を組んだとのこと。今もその同盟が蜜月のものかはわからないが、少なくとも今にどうにかなってしまうというようなことはないのだろう。おまけにここが裕福な村という情報もない。野盗や賊にとっても『おいしい』村ではないだろう。


「おや、お嬢ちゃん、見ない顔だね」


 ある程度村に近づいた時、畑で作業をしていた農夫が声をかけてきた。

 角を隠すように外套のフードをかぶっていたから間違っても魔族とは思わないだろう。


「その成りからすると行商人って感じじゃないね。旅人かい?」

「はい。ついさっきここに着いたんです」

「どこからだい? この辺りじゃそうめぼしいものもないだろう? 観光出来るような面白いところもなければ、特産品もない。ただの田舎っていうのがピッタリな場所だからな」

「ですが、珍しい何かが流れてきたりはしないのですか?」

「珍しい何か? どんなもんだい?」

「ここは魔族の本拠地……かくりよが近いと聞きました。そういった関係で何か珍しいものがあるんじゃないかな、って……」


 私がそう言うと、農夫は、『そう言われるとは思わなかった』という表情を見せた後に、はっはっはっと大声で笑った。


「そうだね、確かに近いと言えば近いよ」


 言って、おもむろに山脈の方を指差して見せる。


「かくりよはあっちだね。魔族どもはあの山脈の向こうにずっと引きこもってるよ」

「魔族がこちら側に来るようなことはないのですか?」

「少なくともこの三十年は人間の側に来たって話はないねぇ。三十年前……私がまだ若い頃に一度あったけど、それだってほんの些細なものだったさ。まぁ、彼らなりに細々やってるんだろう。お嬢ちゃんはあれかい? そういった変わり種の品物を探して回ってるのかい?」

「あえて言えばそのようなものです」

「じゃあ生憎だな。仮に魔族に由来するような物があってもこの辺にまでは流れてこないよ」

「僅かな流通もないのですか?」

「まぁね。行商人でも、魔族と取引してるっていうヤツがいるってのは聞いたことがない。それだけの価値すら魔族にはないってことなんだろう。その辺の石ころさえ商売に変えるような連中だからな、行商人は」


 そんな冗談を農夫が一つ言って再び笑う。


「しかし、なんだってまたそんな物を探して? 目的があるのかい?」

「大した目的があるわけではありません。ただの興味本位……と言った方が良いでしょうか?」

「興味本位か。だけど、だからと言ってあっちまで探さなきゃいけないとしたらちょっと面倒だな」

「やはり魔族の本拠地だからですか?」


 問うと、再び農夫は笑った。


「違う違う。そりゃ、多少は危ないのかもしれないけど、そこに行くまでにあの山があるだろう? 魔族なんかに比べたらあの山越えの方が何十倍も危険で恐ろしいさ」

「この村の人たちはあの山には?」

「深くには滅多に入らないね。奥に行くと、がらりと天気が変わって万年雪が積もっているような場所になるんだよ。あっち側に行こうと思うならそれなりの準備をして行った方が良いんじゃないかな?」

「仮に山を無事に越えられたとして、その先にいる魔族はどうなんでしょう?」

「うーん……心配なら町に戻って傭兵を雇えば良いし、この開拓村には冒険者あがりの連中もいる。山越えの分高くふっかけられるし、それだけの価値があるようにはとても思えないけれど、それでも払うものを払えば護衛くらいは引き受けてくれるはずさ」

「魔族に対してその程度の考えで大丈夫なんでしょうか?」

「それで対応出来ないってことはないだろう」


 呑気な農夫の言葉に迷いはない。断言と言ってもほぼ良かった。


「この辺にも山や森に住みついてる魔物が月に一回くらいは出るけど、オオカミと同程度。正直、魔族だって魔物と分けて特別扱いする必要があるのか疑問に思うね」

「知性がある魔族も魔物……ひいては動物と同等の扱いで構わない、と?」

「そうだね。確かに魔族は大昔、人類と争っていたのかもしれないが、もはやそれは神話のお話さ。お嬢ちゃんも聞いたことくらいあるだろう?」

「はるか昔、神話の世界では人間と魔族はその領地をめぐり争っていた、というやつですか?」


 その本の類なら城にもいくつかあって私も目を通していた。大人が読むために書かれたお堅いものもあれば、子供向けなのか、半ば絵本のようなものまであった。


「そうそう、それさ。そうやって何千年も争っていたんだけど、永延と続く争いに辟易とした神さまが魔族から多くの知恵を奪い、逆に選ばれた人間たちに力を与えた。これが今も脈々と続いている『神の祝福』を受けた人たちの始まりだね」


 『神の祝福』を受けしものたち。

 確かにそういった人間たちがいるというのはどの本にも書いてあり、一様にそこから魔族と人間の戦いが転機を向えたとなっていた。

 所詮はよくある御伽話の一場面……と片づけたくなるが、気狐に聞いても、それはいくらかの事実だと思われる、というのが彼女の見解だった。

 そしてこんな田舎に住んでいる人間まで知ってるのだ。

 そういった魔族にとっては有り難くない存在がいるのは確かなのだろう。


「人間は『神の祝福』を受けた方々が先頭に立って破竹の勢いで魔族の軍勢を打ちのめし、魔族は遁走。ひっそりとかくりよで暮らすようになりましたとさ。めでたしめでたし、っていうところだ」


 悟られぬように私は舌打ちをした。

 今はまだ関係のないものかもしれないが、『神の祝福』を受けしものたちが障害となる日がくるかもしれない。


「まぁ、今となってはもうカビすら生えない大昔のことだよ」


 そんな思案をする私を他所に農夫は話を続けた。


「そもそも、知恵のある魔族なんて元々いないか、いたとしてもごくごく少数だったんじゃないか、っていうのが個人的な意見だね」

「そうなんですか?」

「まぁね。それじゃあ逆に聞くけど、お嬢ちゃんは魔族がとんでもない奴らだと思ってるのかい?」

「長い時間関係がなかったのなら未知の存在と言っておかしくないと思います。未知の存在にはそれなりの警戒をする。そういう心構えは必要なんじゃないかな、と」

「ほぅ、最近の若者にしちゃ随分と珍しい考えをしたもんだ」

「そうなんですか?」


 問うと、「第一、考えてもごらんよ」と農夫が持っていた農具の柄にあごを乗せるような体勢をとった。


「知恵があって強いなら、あんな暮らしにくい僻地に引きこもってこずにこっちに攻めてくるんじゃないかい? それをしてこないってことが問わず語りな気もするね」

「なるほど、確かにそうかもしれません」

「それに、若い連中はもっと過激なことを考えているヤツの方が多いだろう?」

「過激なこと?」

「ああ」


 農夫は軽く頷いた。


「気候としては最悪の部類に入ろうとも、昔はあそこだって王国の領地だったって話だからね。今すぐに魔族なんて滅ぼして、領地を取り返すべきだって意見を持った連中も少なくない。もっとも、あそこが王国の領地になったとしても、あんな暮らしにくい土地はごめんだけどね」

「そもそも、どうして今は魔族が住んでいるんでしょう?」


 気になって問うてみたが、大した興味もないのか、「その辺のことは知らないなぁ。まぁ、色々とあったりんだろう」と農夫はのんびりと言った。

 巡り巡って今は魔族が住んでいるとは聞いていたが、城にいる誰も正確なことは知らなかった。唯一母には話を聞いていないし、もしかしたら知っているのかもしれないが、母はあの見た目の通り饒舌ではない。知っていたところで娘というだけで私に話すかは疑問なところだった。


「まぁ、大方人間が住みにくいっていう理由で放棄したところに魔族が住みついたっていう感じだろう」


 農夫が言葉を続ける。


「もし本気で向こうに行くつもりなら山越えの準備はしっかりしてからにしな。魔族は算数が出来る動物くらいなものかもしれないけど、山は舐めちゃいけない。間違いなく牙を向いてくるからね」


 それに私は思わずクスクスと笑った。


「魔族は算数が出来る動物、ですか」


 自身の言葉が少女にウケたと思った農夫は気分がよくなったらしく、ああそうさ、と言葉を返してきた。


「そういう意味じゃ、もう神話にあるような、人間と対等に戦っていた魔族は滅んだんだろうよ。それか、元からいなかったかのどちからだね」


 それに私はくすりと口元に笑みを浮かべた。


「それじゃあ、今日は記念日ということになりますね」

「記念日? なんのだい?」

「決まってるじゃないですか。魔族が再び人間の仇敵となった記念日です」


 私の言ったことに理解が出来ない様子で農夫が、はて? と首を傾げる。私はフードをぱさりととった。うねった角があらわになるが、農夫はぽかんとするばかりだ。もうそういった存在の伝聞すらろくになくてわからないのだろう。


「お嬢ちゃん、その頭は……?」


 問いには答えず私は爪で指先を切る。傷から一滴二滴と血が滴り地面に染み込んでいくと、軽く地面がうごめき、泥人形のような存在が次々と生み出された。

 傀儡生成の魔法。成りはか弱く見えるが、私の血を触媒にしている分、並の人間では相手にならないだろう。

 そこまできてようやく目の前の状況が普通じゃないと気づいたらしい間抜けな農夫が顔を驚愕に変える。

 農具を放り投げ、慌てて逃げ出そうとした農夫を一体の泥人形が押さえた。

 もちろん農夫はもがき暴れるが、非力な人間の力で私の傀儡に敵う訳もない。泥人形の腕が農夫の首の骨をゴキンと折り、農夫はそれこそ糸の切れた傀儡のように動かなくなった。


「さて。パーティーの始まりといきましょうか」

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