ホンモノ

 咲耶が部屋に来たのはその日の夜だった。

 入浴と夕食を済ませ、私は城の書庫を漁り、今後この世界で私が『楽しく』生活を送るのに役に立ちそうなめぼしい本を片端から集めてその内の一つを読んでいる最中だった。夕食の後にこちらが呼ばないのに女中が来るのは珍しい。


「何か用かしら?」ときょとんと問うと、


「飯綱の件なのですが……」

「イヅナ?」


 言われ、一瞬誰のことかわからなかった。けれど少しあってから、昼間に犯した女中のことではないだろうか、と思い至った。結局私は彼女の名前を聞かずにいた。


「姫さまは飯綱のような子が好みなのでしょうか?」

「彼女が何か言っていたの? 姫である私になにをされた、これをされた、みたいな」


 問うと、咲耶はいえ、とかぶりを振った。


「ただ、わたくしとてここの女中を束ねる立場です。何があったかくらいのことは大体ではありますが察せます」

「彼女には悪いことをした……という風には思えないわね」

「当然でございます。姫さまの寵愛をいただけたのですから、感謝こそすれ、悪いことをされたなどと思うはずがございません」


 物の方便かと思ったが、咲耶は本心からそう言っているようだった。


「その幼さゆえか今はまだ少しショックを受けているようですが、直に自分が姫さまに愛されたのだという幸福を覚えることでしょう。なんとも羨ましい限りでございます」

「そう、彼女は飯綱という名なのね。私の寵がどうのこうのはわからないけれど、無理をさせたのは事実。家が大変だというようなことも言っていたからよくしてやってちょうだい」

「了解いたしました。そう言えば、彼女はこの間に相次いで両親を亡くしたのだとか……」

「相次いでっていうのは病気か何か?」

「流行り病のようです。元々あまり裕福な家ではなかったらしく、薬師にも満足に見せられなかったのでしょう。彼女もまだ子供と言って良い年ごろ。なのに、家には年の離れた弟や妹が三人ほどいると」

「そう言えばそんなことも言っていたわね」


 一番の年上ということで弟や妹を守らなければいけないという自覚は強かったのだろう。城を追い出されたら一巻の終わり。私の理不尽な要求にも従うわけだ。


「城ではそういった事情も鑑みて女中を採用したりするの?」

「いえ、特にそのようなことは。ただ、彼女は見目こそ多少幼かったですが、仕事は一通り出来るようでしたし、何より顔立ちが整っておりましたので」

「事情は考慮しなくても外見にはこだわるのね」

「女中として姫さまを始め、皆々さまの視界に入るのです。出来るだけ格好の整っていないものは見たくないかと存じますので」


 その回答に私はくすくすと笑った。


「確かにその通りかもしれないわ。この世界に姫なんていう立場で生まれるまであまり気にしたことがなかったけれど」

「もしなんでしたら、今後人員を採用する際には姫さまも場に立ち会いますか?」

「結構よ。今まで通り貴女の基準でお願いするわ」


 かしこまりました、と咲耶が頭を下げる。


「それで話は戻るのですが、姫さま。飯綱のような子が好みでいらっしゃるなら、今後彼女を含め、似たような容姿や年齢の者に伽をさせますがいかがいたしましょう?」


 どうやらそれがここを訪ねた目的らしい。

 それも悪くない提案なのだけれど、と私は断ってから、


「少し面白いことを考えているの」と答えた。


「面白いこと、でございますか?」

「ええ。今はまだどうなるかもわからないから内緒なのだけれどね。目途が経ったら話をするかもしれないわ」

「それは、この……妖術に関する書物と関係があるのでしょうか? 見た所かなり古いものまで用意されていらっしゃるようですが……」

「本当にほんの思いつきなのよ。現実的かどうかすらもわからない。けれど、私には妖術の才があるのではないか、ということらしいから、もう失われてしまったような妖術まで調べてみても良いかと思ってね」

「左様でございますか。姫さまは類稀なる存在。きっと妖術に関しましても相応の才があることでしょう。もしわたくし共に出来ることがあればどうぞ遠慮なくお申しつけください」

「ええ、ありがとう」

「それでは、夜分に失礼いたしました」


 そう言って下がろうとした咲耶に、「そう言えば……」と私は思い出したように言った。


「何かご用でしょうか?」

「用というより質問なのだけれど」

「はい。なんなりとお聞きください。わたくしに答えられることであれば何でも答えさせていただきます」

「咲耶、貴女は私のことが好きなのかしら?」


 その問いかけに咲耶は鳩が豆鉄砲を食らったかのような表情をした。

 普段から表情を崩すことが少なく、どんなこともある程度ひょうひょうとした態度で切り抜けることが出来る彼女にしてみたら珍しい。


「質問に質問で返すのは大変失礼だと存じますが……それは、一体どういった趣旨の質問でございましょう……?」

「別に他意はないのよ。ただ単純に咲耶は私のことが好きなのかどうか、って聞きたかったの」

「もちろんにございます」


 即答だった。


「姫さまは魔族にとっての希望です。それに加え、わたくしたち女中に対しても常に真摯な対応をしてくださいます。好意を持たない方がおかしいというものでしょう」

「つまり、私の立場や接し方、性格が好み、ということ? それは単純な好意で、性愛的なものは一切含まれないと考えて良いのかしら?」


 うかがうような私の言葉に咲耶は小さく息を吐いた。私がそういうお利口さんな『建前』の答えを求めているのではないとわかったのだろう。


「姫さまにこのようなことを言うのは失礼に当たるのは重々承知しておりますが、単純に姫さまの容姿にも十分に惹かれております。もちろん、性愛的な意味で、でございます」言った。


「女中として主人にそのような感情を抱くのは不遜だとはわかっております。ですが、一目見た時から心を奪われました。でなければ、会って間もなくあのような奉仕をしようとはいたしません」

「それでも、夜伽というのは女中としての職務の一つじゃないの?」

「確かにわたくしたちは女中です。主人がそうせよと命じた場合には伽を含め、出来ることは全てのことをさせていただきます。しかし、あの時は事情が異なっておりました」

「事情が違った……確かに、あの時は貴女の方から私を誘うような真似をしてきたのよね」

「その通りでございます。生憎、好みでもなんでもない相手に対して自ら誘うような真似をするような酔狂な趣味はありません。我ながらなんとも不敬なことをしたものだと思いますが、それほどまでにあの時のわたくしは姫さまに春情を催していたのです」

「それじゃあ、今も私を抱きたいと思っている?」

「はい」


 これも即答だった。

 ここまであっけらかんと言ってしまう人ははそうそういないだろう。素直なことは率直に好感が持てる。


「良いわよ、咲耶」

「良い、とは?」

「準備をしてきなさい。今日はとても気分が好いの。普段からあれやこれやと尽くしてくれているお礼に、今晩は貴女の好きなように抱かれてあげる」


 瞬間、咲耶は僅かに目を大きくして光を反射した。そのまま慌てた様子で「それでは、急いで準備をしてまいります」と早口に言う。


「別にそこまで焦る必要はないわよ? 私は逃げも隠れもしないもの」

「ですが、万に一つ心変わりをされてしまうということもあり得ます。もしそんなことになってしまったら、わたくしは一週間ほど寝込んでしまいかねませんので」


 それに再び私は笑った。立場をきっちりとわきまえているばかりかと思ったが、存外それだけじゃない部分も持っているらしい。


「わかったわ。それじゃあ急いで準備をしてきてちょうだい。私の気が変わらない内に、ね」


 咲耶は先ほどより深々と頭を下げ、いつもよりはるかに素早く部屋の外へと出ていった。

 十分も経たぬ内に戻って来た彼女となし崩しに接吻を交わし、彼女がしたいように愛撫される。そのまま布団に倒れ、私に接吻をせがむ彼女の姿はいつもの彼女とは打って変わって余裕のないものに思えた。そして、彼女から感じられる愛欲は一ヶ月前のものとは比べ物にならないほど充実したもののように思えた。

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