姫として

 僅かな光を目の奥に感じ、まぶたを開く。

 あれからどれくらいの時間が経ったかはわからないが、感覚として随分眠ったように思う。

 右に左。手を出して握ったり開いたりを繰り返す。

 起きたらベッドの病院で、見知らぬ真っ白の天井があって、顔や体のあちこちに包帯が巻かれ、腕には点滴のチューブが繋がれている……なんてことも考えたけれど、どうやらそういうわけじゃないらしい。

 となると、これは夢や死の間際の何がしかではなく、現実ということになるのだろうか?

 わからないけれど、今はなるようにしかならない。このまま試しに部屋の外へ出てみようかと考えてみたが臆病風が吹いた。少し考えてから、結局部屋の鏡台に置かれていた手持ちの鈴を鳴らしてみた。

 チリリンと不思議に音が波紋を広げていく。

 単純な音ではないように思えるが、それが何かまではわからない。と、ややあって『咲耶でございます』と部屋の外から声がかかった。


「えっと、入ってください」


 戸惑いつつも返事をすると彼女はしずしずとふすまを開けて入ってきた。


「おはようございます、姫さま。随分と深く眠っておられるようでしたが、体調はいかがでしょうか?」

「特に悪いとかはない……と思います」

「それはようございました」

「その、昨晩はありがとうございました」

「いえ、傍仕えの女中として当然のことをしたまでです。それで、自覚の方はいかがでしょう?」

「自覚?」

「魔族の姫君としての感覚が芽生えるといったような変化は?」

「そういったものは……正直あまり変わっていないと思います。ごめんなさい」

「そんな、謝罪などおやめください。御前さまの種族がお生まれになるのは数千もの時を経て久方ぶり。わたくしどももわからないことが多いのです。今から一つずつ知っていけばよろしいでしょう。そのためにわたくしたち女中が出来ることがあればなんなりとおっしゃってください。この身に代えてでもお仕えいたします」


 そう言って深々と頭を下げる。


「それでは、まずお召し物を」

「あ、着替えないといけないですよね。これ、寝間着ですし」

「はい。姫さまにお似合いになるだろうものをいくつかそろえてございます。どうぞ、こちらに」


 言われるまま寝室から隣の和室へと移る。

 こちらの方が寝室より大きく造られていた。真ん中には和風ではあるものの、私が知っている和服、着物とは少し違う服が数枚飾られていた。


「どちらがよろしいでしょうか?」

「どちら、と言われても……どれも高そうという印象しか……」

「お気に召すものはございませんか?」

「い、いえ、そうではありません」


 結局、数枚ある和装の中から彼女の意見も参考に一枚を選んだ。


「それでは、失礼いたします」

「着替えくらい自分で出来ると思いますが……」

「姫さまはまだわたくしからお役目を奪うおつもりなのでしょうか?」

「え? あ、いえ、そういったつもりじゃなくて――」

「冗談でございます。ただ、他者を使うことだけは早くに慣れた方がよいでしょう。このままではいつまで経っても同じ問答を繰り返すこととなってしまいます」


 言われ、私は彼女によって実にテキパキと着替えが済まされた。

 何と言えば良いか、私の知っている和服を少しアレンジし、下半身を十分に動かせるような恰好だった。これも上等な布であつらわれたのだろう、肌に触れる部分は絹のような心地良さがあった。


「よくお似合いでございます」

「馬子にも衣装というやつでしょう」

「そうだとしたら、その馬子はこの世界でも一、二を争うほどの美貌を持った、類稀なる馬子ということになりますね」


 褒められ、少し小っ恥ずかしい。


「それと、姫さまの準備が出来次第、問題がなければ連れてくるようにと御前さまから仰せつかっております。ただ、無理をされる必要は本当にございません。姫さまは伝承でのみ伝わっているような非常に稀有な存在です。昨晩のようなこともありましたし、何か不具合があるのであれば遠慮なくおっしゃってください」


 そう言われても特別言えることもない。「大丈夫です」と返すと、彼女は「それでは、どうぞこちらに」と私の道案内を始めた。

 きょろきょろと周囲を見渡しながら、親鳥を追うヒナのように彼女の後ろをついて歩く。

 建物は純和風と言って良かっただろう。広く豪奢な造りは相当にお金のかけられたものに思える。

 しかし、それ以上に気になったのはところどころは汚れたり破損していたりする部分があったことだ。

 加え、建物の外は見た限り森が広がっているらしく、どうにも薄暗い印象がある。陽の光があるなしの薄暗さではなく、濃い霧による薄暗さだ。聞こえてくるのは鳥か何かの鳴き声もその不気味さに拍車をかけている。

 こういったものが……まぁ、いわゆる『あやかし』という存在の城だと言われたら確かにそれらしいと感じと言えるのかもしれない。

 ただ、それにしても城内は静まり返っているように感じられた。たまに他の女中や明らかに人間とは違うような生き物とすれ違い、出会えば相手は即座に廊下の端に寄って頭を垂れるのだが、どうにも活気というものが感じられなかった。それは一時のものと言うより、この城に寂寞という文字がすっかり染み込み、木材の芯まで侵されたかのようなものだった。


「あの、咲耶さん。一つ聞きたいことがあるんですが」


 私は前を歩く彼女に声をかけた。


「姫さま、どうか咲耶と呼び捨てになさってくださいませんか?」


 歩きながら彼女が言う。


「加えて申し上げれば、先ほどまでは黙認しておりましたが、そのように丁寧な言葉遣いをされるのもそろそろおやめいただければと思います」

「そうは言われても……」


 彼女は明らかに私より年上だ。特別厳しく躾けられた覚えはないけれど、少なくともそういった相手にタメ口でしゃべるように教わったことはない。それに、そもそもとして私はタメ口で話せるような友人の類をもっていなかった。

 それを見越してか、咲耶は小さく笑った。


「未だ前世の記憶が強く残っているために現状の把握に苦心されていらっしゃるのはわかります。しかし――」


 表情が真剣なものに変わる。


「姫ともあろう者が配下の者に敬称をつけ、丁寧な言葉で話されるなど、他の者に見られては示しがつきません」

「そうでしょうか?」

「はい。まだ実感がないのかもわかりませんが、姫さまはゆくゆくは魔族の頂点に立たれるのです。物の道理として姫さまの偉大さをわかる種族はさておき、そうでない種族も魔族の中では少なくありません。同じ魔族を悪く言うのは少々気が引けますが、あまりにも不遜で傲慢な種族もおります。姫さまが実にお優しい方だというのはこの短い間でも重々にわかりました。ですが、そのような態度では道理のわからぬ連中にいらぬ誤解を与えかねません。つけあがらせる原因にもなりましょう。そうなった際、苦労されるのは姫さまご自身に他なりません」


 そう言われるとすんなりとそれを受け入れることが出来た。

 前の私なら「そうは言われても……」と戸惑ったはずだ。だが……。


「それでは……咲耶」

「はい、なんでしょうか、姫さま」


 言葉にすると、まるで乾いた砂に水分が吸い込まれるようにすっと身体に馴染むような感じがした。

 そっと角に触れ、自分の頭の中で何かが変わっているのかもしれないと思った。

 少なくとも今までの自分の言葉とは思えなかった。

 別に相手を下に見ているわけではない。この世界に来てから初めて会った彼女のことをある種尊敬していると言ってもいいだろう。それでも、呼び捨てにすることにためらいはなかった。自分が圧倒的強者にあるとわかっているからこそのもののように思えた。

 魔族の姫としての自覚が芽生える。

 咲耶はそう言ったが、これもその一つなのかもしれない。

 ……まぁ、それを今考えても詮無いことだ。


「一つ聞きたいことがあるのだけれどいいかしら?」

「もちろんでございます」

「私は御前さまの子として生まれたということだけど、他に兄弟……兄さまか姉さまはいらっしゃないの?」

「残念ながら、と答えざるをえません」


 咲耶は答えた。


「御前さまははるかに永く、千以上の年月を生きてこられましたが、御前さまのお造りになる卵核は今まで一つとして上手く育たなかったとのことなのです」

「上手く育たなかった?」

「そう聞き及んでおります。私も生まれる前のことゆえ詳しくは存じ上げませんが、まともな子が出来たためしがなかった、と。そして、この百年はもはや跡取りを作ろうともせず、仕来りである世襲を諦め、次の御前さまを別の魔族種の族長の誰にするべきなのか、そんな話まで真剣に話されていたそうです。そんな中、最後にもう一度、と試された卵核に宿られたのが姫さまなのです」


 階段を上り、ひと際大きな襖の前につく。

 襖の両側には甲冑を着た武士が立っていて、恭しく頭を下げてきた。こういういわゆる人もいるのかとよく見たら、兜や甲冑から見える中は空っぽで、濃淡のある闇が中でうごめいていた。そういう種類の生き物が甲冑を着ているのか、それとも甲冑まで含めてそういう生き物なのかはわからない。

 咲耶がコホン、と声を整え、名乗り、「御前さま。姫さまをお連れいたしました」と言うと、向こうから『入れ』と重たく渋い、年老いた女性のものとわかる声が聞こえてきた。

 ここが城ならこの部屋はいわゆる謁見の間ということになるのだろう。確かに広い空間で所々に金と思しきものが使われていて豪華に造られているように思う。しかし、中はがらんとしていて廊下と同じような寂しさを覚えた。

 部屋の奥は二段三段と高くなっており、そこに一人の女性がしんなりと座っていた。彼女が魔族を束ねる主なのだろう。しかし、声や見た目で判断するともうかなりの老齢のように思えた。自分と同じうねった角。顔には深いしわが刻まれ、目もひどく落ちくぼんでいる。これじゃあ親子と言われても似ているかどうかもわからない。

 そして、その横にはそれぞれ一人ずつ人が控えていた。

 一人は大正ロマンに出てくるような女学生……と表現するのが適当だろう。ただ、頭からは二つの狐の耳が生え、身長は女性にしては比較的高い。そして袴の向こうには輝くような尾が生えていた。

 もう一人は外にいた甲冑の魔族を豪華にしたような感じだ。大きな兜をつけ、装飾も豪華なものだ。女学生のような魔族が宰相か何かかとすれば、こちらは近衛兵といったところかもしれない。

 そして、この広い空間にいる存在はその三人だけだった。

 こういう場ともなればもっとこう、ずらりと兵士や家臣が並んでいても不思議ではないと思う。なのに、このがらんとした雰囲気はお世辞にも華のあるものとは言えず、侘しさが充満しているようだった。城内の様子からしてもここが魔族の主城であっても、住んでいる魔族はあまりいないのかもしれない。


「よく来た、我が娘よ」


 そう語りかけられたものの、いまいちピンとはこなかった。

 元々母子家庭なので父親の顔は端から知らなかった。けれど、だからと言って突然現れた、見た目から言えば祖母……いや、曾祖母かそれ以上に見える存在を母と思えというのは無理な話のような気もする。

 しかし、それと相反するように不思議な親近感を覚えたのもまた事実だった。


「滅びの道を進むばかりだと思っていた我らにそなたのような存在が生まれるとは思ってもいなかった。これも何かの天命か……」


 老女が「くっくっく」と口元を隠して笑う。


「そなたほどに育った存在は、古の書物にはそのような類稀なる例があったと記されているが、こうして目の当たりにするまで所詮は伝説の類と思っておったわ」


 言って、じっと私を見やる。御前さまというだけあってかその視線には確かに圧があった。

 だが、変にそれに怖じ気づいたりはしなかった。むしろその圧さえ心地良く思える。


「……ふむ、容姿はただの子女なれど、どこか芯の通ったものを感じさせるな。それでどうだ、この世に生まれた感覚は?」


 どうもこうもない。まだ頭で理解出来ていないことの方が圧倒的に多い。

 あー……と少し考えてから口を開く。


「まだ実感がありません」

「実感がない?」


 老女が怪訝な表情をする。


「魔族の姫として生まれ、なんの実感もないと申すか?」


 そこに「恐れながら御前さま」と咲耶が深々と三つ指をついて頭を下げたままの姿勢から顔を上げ、口を開いた。


「ご存じの通り、姫さまは御前さまの一族においても類稀なる存在でございます。文献に記されていたよりもはるかに深く前世の記憶が残っておられるようで、未だ混乱しているところがあるようにお見受け出来ます。先ほどまで、わたくしなぞに敬称をつけ、実に丁寧な言葉で話されていたほどです」

「そうなのか?」


 つい、と老女が私を見やる。


「混乱していないと言ったら嘘になります」


 ふむ、といった様子で手をあごにやる。しわが深すぎるせいか表情が読みにくい。

 甲冑を着た方はそれ以前の問題だが、宰相らしき狐の女性は『へぇ』とでも言いたそうな表情を見せており、彼女にはどこか御前さまとはまた違った意味での親近感を覚えた。


「まぁよい」


 言って老女がそれぞれ側近と思しき二人に視線を送る。それを合図としたように甲冑の武士が前に出て片膝をつく。


「お初にお目にかかります、姫君さま」


 不思議な音だった。声と言うよりかは機械を通した歪なノイズが言葉になっていると表現した方が良い。


「我が名は天羽々斬あめのはばきり。この城にて武の将を務めておりまする」


 次いで長身の女性が同じように前に出てきて、実に美しい所作で床に座ると深々と挨拶をする。


「私は気狐きこと申します」


 こちらはまだそう年でもないように思う。感覚的に言えば咲耶より少し上だろうか? もし私に年の離れた姉がいたら彼女のような感じかもしれない。


「微力ながらこの国の参謀として御前さまにお力添えをさせていただいております。姫さまも何かありましたら遠慮なくお申しつけください」


 武の将に参謀。いかにもという役柄に思えた。


「さて、ここにそなたを呼んだのは他でもない」


 そう王が言った時だった。部屋の外で慌ただしい音がしたかと思うと、少しあってから襖がけぶられるように飛んできた。

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