魔族の姫

 気がついた時、私は上質な布団に寝かされ、知らない天井を見やっていた。

 住み慣れたアパートの薄汚れたものと違う、綺麗に木を組んで造られた天井はどこか高級な旅館か何かを思わせる。

 少しの間ぼんやりの天井を見やったままで動かなかった。何かを考えようとしていたわけではない。と言うよりも何も考えられなかった。ただ、ぼぅっと綺麗な天井を見て、不思議な感覚に身を任せていた。

 どのくらいそうしていただろうか?

 ようやく頭に酸素がいったのか、頭を振って私は起き上がり、布団から抜け出した。十畳はあろうかというほどの和室。ふすまには桜が散っていくような模様が描かれている。壁に寄ってみるが、コンクリートや石の類ではなく木材に思えた。

 と、部屋の一角に鏡台があるのに気がつき、その前に立つ。映るのは間違いなく自分の身知った自分の顔だ。どこも変わった様子はない。

 しかし、着ている服装は浴衣であるように思うのだがどこか元々いた日本の物とは違うように感じるし、おまけとばかりに頭の両端からは頭蓋骨に沿うようにうねった角が生えていた。


「これ……」


 触ると固く、ひんやりとした感触がある。装飾品などではなく、どうやら自分の頭蓋から直に生えているらしい。軽く叩くと頭蓋に僅かな振動が伝わってくる。

 あまりファンタジー色の強い小説には触れてこなかったから詳しくはわからないけれど、分類するならそういう類のものだろう。

 ただ、不思議なことにこんな状況にあっても私は特段戸惑わなかった。

 奇妙な感覚。

 初めての衣装に身を包み、頭からは訳のわからないものが生えているのに心はいたって平然としている。それどころかそれを何の疑問もなく受け入れている気持ちさえあった。

 夢?

 それとも走馬灯?

 頭にある知識がそんなことを思うが、そんなものではないと感覚が悟ってしまう。


『姫さま』


 不意の声。

 ドキンと心臓が跳ね、反射的に「はい!」と声が裏返る。そんな私の返答に「失礼いたします」と一人の和装の女性が入ってきた。肩口辺りで整えられた髪がさらりと揺れる。それだけなら私は彼女を人と思ったかもしれないが、彼女の頭には大きな獣の耳が生えていた。

 いわゆるそういった装飾品……じゃない。ピクピクと今も音を集めるように僅かに右に左に動いている。


「微かに音がしたのでお声をかけさせていただいたのですが、やはりお目覚めになられたのですね」


 その声に、「は、はい、一応は……」と戸惑いながらも声を返す。


「紹介が遅れ申し訳ありません。お初にお目にかかります、姫さま。わたくしはこの城にて女中の長を務めさせていただいております咲耶さくやと申します。どうぞ、お見知りおきを」


 言って彼女は三つ指をついた非常に丁寧な挨拶をした。こんな挨拶を見たのはテレビドラマ以外では初めてだ。


「早速ですが、お加減の方はいかがでしょうか? どこか痛んだり、不自由な部分があったりはいたしませんか?」

「いえ、そういったのは特にありませんけれど……姫さまって……?」

「まだ記憶や自覚があやふやなのですね」


 女性……咲耶が凛々しい表情を少しだけ優しく崩して微笑んだ。


「御前さまの一族は前世の記憶を部分的に引き継ぐという二つとない珍しい特徴を持っておられます」

「前世の記憶を引き継ぐ?」

「はい、その通りでございます。実際、今の姫さまには前世の記憶の何がしかが残っているのではないでしょうか?」


 彼女は部分的にと言ったが、自分の記憶に欠落を見出すことの方が難しかった。

 と、そこで自分がむごい仕打ちを受け、その後で死神を名乗る変な骸骨と会話をしたことを思い出した。

 ツキリと頭が痛み、思わず手をやった。


「姫さま、いかがされましたか?」

「いえ……なんでもないです」


 死神なんて絵空事にもほどがある。おまけにその続きがこのヘンテコな状況ときている。あまりのひどい暴力を受けたがために頭か精神がおかしくなってしまったんじゃないだろうか?

 少なくともこの状況をそのまま現実として受け取るより、そちらの方が可能性が高いように思えた。

 けれど、感覚がそれを否定する。

 目の前に差し出されたものの方が現実なのだと訴えかけてくる。


「混乱するのも仕方のないことだと存じます」


 咲耶が言った。


「姫さまの前世がどのようなものだったのかわたくし共には知る術はございません。ですが、少なくともその記憶が残っているために戸惑われてしまうのは当然でしょう。しかし、姫さまは間違いなく魔族の主であらせられる御前さまのご息女としてお生まれになられました。直に姫としてのご自覚が芽生え始めてくるのではないかと考えられます。今はあまり深く考える必要はないかと」

「それじゃあ、私が覚えている記憶は今のものとは全く関係のないものなんですか?」

「はい、全く関係のないものと推察されます。そして姫さまは此度、魔族の姫としてお生まれになられたのです」

「生まれたと言われても……」


 薄っすらともやがかかっている記憶をたぐる。


「私は何か、こう……おかしな入れ物から吐き出された気がしたんですけれど」

「御前さまの一族は我々のような一般的な生物とは一線を画しております。雄雌による生殖活動ではなく、自身の血肉を糧に造られた卵核の中で様々なものを吸収した上でお生まれになるのです。姫さまがおっしゃった入れ物とは御前さまの卵核でございます」


 卵核による生殖……全く知らない知識だった。あえて言うのなら分裂に近いのだろうか?


「ただ、生殖の方法としてはそうなのですが、普通は姫さまよりはるかに幼く、まだ歩くことすら困難な無力な赤子としてお生まれになるはずなのです。それが、姫さまほどまでに成長してお生まれになるケースは稀という言葉ですら収まりきりません。はるか古の書物に記された中にそういった場合が万に一つの可能性であると記されていたのを見つけましたが、詳しいことは何もわかっておりません。これは一族……ひいては魔族そのものの繁栄に繋がるものではないかと御前さまも非常に喜んでいらっしゃいました」


 残っている記憶の最後はおかしな死神を名乗る骸骨との会話だ。

 そして、次に意識が戻ってみればこの状況である。

 普通なら「理解しろ」と言われたところで困惑するだけだろう。それなのに、どういうわけか私はこの状況を受け入れることが出来た。少なくともこれは『異常』ではなく『普通』であると頭が判断しかけている。


「本日は十分に休息をお取りください。謁見は後日で構わないと御前さまもおっしゃっておられました。大切な御身です。万一のことがあったら大変にございます。何かありましたら鏡台の鈴をお鳴らしください。すぐに担当の者がかけつけます」


 そう言って彼女は部屋から下がった。

 それと同時に私の身体をどっとした疲れが襲ってくる。色々考えるのさえ面倒くさくなってくるほどの倦怠感。

 どちらにしろこれが夢なら次に目が覚めた時には現実世界に覚めるだろうし、もし死の間際に見るおかしな何かであれば今度こそ永遠の眠りにつくだけだろう。


「………………」


 まぁ、それならそれで構いやしない……。

 あまりの倦怠感に私は思考を放棄して布団に潜り込んだ。



 次に薄っすらと意識が浮かび上がってくると、私は見慣れた学校の中庭で何かを懸命にしゃべっていた。

 日差しは暖かく、ベンチはポカポカと心地が好い。話題はとりとめもないことで、特に何がというわけでもない。それでも、私の前にいる一条先輩はくすくすと笑ってくれる。

 友人作りは小さな時から苦手だった。

 幼稚園の頃だ。砂場でみんなが先生と一緒になって大きなお城を作っているのに、私は隅っこの方で一人スコップを持って砂をほじくり返していたのを今でも覚えている。

 寂しさがなかったわけじゃない。けれど、どう声をかけて輪に入れば良いのかわからなかった。

 小学校でもそれは変わらず、むしろ年を重ねていくにつれ周囲から『お堅い』と揶揄される性格も相まって人の輪に入ることはますます難しいものとなっていった。

 そんな中、一条先輩がふっと私の前に現れ、手を差し伸べてくれた。

 あぁ、あれは夢だったんだ。

 私は笑顔を崩さない先輩の前で安堵する。こちらが日常で、あちらはあまりにも悪い夢。その夢をかき消そうとするかのように私は口を開き、先輩はますます笑ってくれる。


『そんなに面白いですか?』


 先輩にたくさん笑ってもらえて気分が良くなってそう問う。

 普段から熱心に私の話を聞いてくれる先輩だけれど、今日はひどく笑い上戸のように見えた。それに、先輩が『ええ、とても面白いわ』と笑顔のまま答える。


『貴女があまりにも滑稽でね』

『――えっ?』


 不意に後ろから腕を掴まれる。振り返ると、顔をニタニタとさせた男が四人、私のすぐ背後にいた。

 先輩、助けて――

 咄嗟に私は目の前の先輩に片手を伸ばすが、先輩は『汚らしい手で触らないで』と容赦なく手を払った。


『尻尾を振るのはこういうサルみたいな男たちだけにしときなさい』


 蔑んだ目。

 先輩がベンチを立ち、そのまま虚空へと消えていく。さっきまで学校の中庭だったはずなのに、気がつけば周囲はボロボロの廃ビルに変わっていた。私はそのまま男に仰向けに組み伏される。


『気の強いブスだって一条さん言ってたのに、普通に美人じゃん』

『まだ処女って話でしょ?』

『はいはーい、俺一番もらっていい?』


 やめろ!

 放せ!

 そう叫び、もがきたいのに体は鉛のように重く、喉は声帯が潰れてしまったかのように何も口に出せない。


―― 助けて! ――


 叫ぼうとするが、ふと気がつく。

 誰に……?

 私は、誰に助けを求めれば良いのだろうか?




「――姫さまっ!」




 急の声。

 バッと目を開けると、薄暗い中で見慣れない天井と一人の女性の顔が目に入った。

 ぜぇぜぇと繰り返す荒い呼吸に、寝汗がひどい。ぐっしょりとした感触がたった今見ていた夢と繋がっているようであまりにも気持ち悪かった。


「大丈夫でございますか、姫さま」

「貴女は……」

「咲耶にございます。あまりにもひどくうなされ、お声をかけても返事がいただけなかったので、無礼を承知の上で入らせていただきました」


 頭に手をやってゆっくりと上半身を起こす。からからに喉が渇いている。悪夢のせいか、寝汗のせいか……。

 そんなことを思っていると、「どうぞ、お飲みください」と湯呑に注がれた水が差しだされた。受け取り、そのまま咲耶を見やった。どうして水が欲しいと思ったのがわかったのだろう? そう考えると、彼女は表情を少し柔らかくした。


「この程度、感じ取れなければ女中の長はやっておられません」

「貴女は他者の考えていることがわかるんですか?」

「まさか」


 優しい表情で笑う。


「女中として出来ることをしている内に自然と身についたまでです」


 湯呑に口をつけて水を飲む。

 今のが夢だとしたらこれは……いや。

 心の中でかぶりを振って考えを頭から追い出した。今は何をどう考えたところで良い考えにはなりそうもない。

 水を飲みほして息を一つ。


「寝汗にまみれたままでは気持ち悪いでしょう。すぐに手拭いと代えの服を用意いたします」


 そう部屋から出ようとしたが、思わず私は彼女の和装を握ってしまった。


「姫さま?」

「あの……その……」


 言い淀む。何を言えば良いか……わからないまま、心に思ったことを言う。


「すみませんが、もう少しここにいてくれませんか……?」


 そんな私の弱音に彼女は非常に柔らかい笑顔を浮かべると、「姫さまがそう望まれるなら当然そうさせていただきます」と言って座り直した。

 そして、パンパンと二度手を叩くと襖の向こうから『なんでございましょう?』と別の女性の声がした。


「姫さまのお召し物の替えを。あと、湯と手拭いを準備してください」

『かしこまりました』


 そう言って女性の気配が消えるが、ほんの数分も経たないうちに『お待たせしました』と向こうから再度声がかかった。


「姫さま、申し訳ありませんがお手を少々離していただいてもよろしいでしょうか?」

「え? あっ――ご、ごめんなさい!」


 その時まで私は彼女の服を握り続けていたことに気づかなかった。

 慌てて手を離すと、彼女は襖を開けて用意されたものを受け取ってすぐにそばに寄って来た。


「どうぞ、お召し物を脱いでください。汗をふかせていただきます」

「だ、大丈夫です。一人で出来ますから」

「そうはおっしゃられても……姫さまの前世では女中はいなかったのですか?」


 彼女の疑問に首を縦に振る。女中……いわゆる家政婦がいた家庭は裕福な一部の家庭だけだっただろうし、私の家はそれとは対照的な位置にあった。爪に火をともすような、というとやや大げさだが、裕福という言葉は縁のないものだった。


「であるなら、早く他者を使うということを覚えていただかなければなりませんね」

「そういうのは、あまり得意じゃないんですけど……」

「それでは他の者……特にわたくしたちのような女中が困ってしまいます。わたくしたちは姫さまたちにお仕えすることが至上の喜びなのです。それをどうか奪わないでくださいませ」


 そうとまで言われて拒否出来るほど強くない。

 結局、おそるおそると服を脱ぐ。無防備に肌をさらす行為が嫌な記憶をチクチクと刺激してきたが、その度に咲耶が優しく手でさすってくれた。前は自分でやる。後ろを終えた後に言ったが、それも彼女は許さなかった。下着もないまま湯でぬらされた手拭いで全身をふかれる。暗がりではあったけれど、私の頬はきっと羞恥で真っ赤に染まっているだろう。


「珠のような肌でございますね。きめが細かく、白く、美しい」

「そう、ですか?」

「はい。我々魔族の姫君が姫さまのような姿でお生まれになってくださり、感謝の言葉もございません」


 そう言われてもそれは私の力でもなんでもない。

 全身をふかれ、さっぱりしたところで新しい和装に袖を通す。


「まだ夜も深くなってきたばかりにございます。もうしばしお休みいただいた方がよろしいかと」


 言われ、私は何も考えないまま布団に横になった。

 あんな夢を見た後であったが、彼女が優しく手を握ってくれていたからかもしれない。私は時間がそう経たない間にそのまますとんと再び意識を失った。

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