ゴミ掃除
そこにいたのはここに来てからまだ見たことのない存在だった。
灰色の皮膚にでっぷりとした身体。身長は私の倍……三メートル以上あるように見える。このだだっ広い謁見の間でも窮屈に思えそうだ。しかも、体格こそそれよりは小さいが、それでも十分に巨人と言えるような連中を五人従えていた。
ちらりと扉の外に先ほどの甲冑の武士二人が転がっているのが見えた。どうやら合意の元の来訪、というわけじゃないらしい。
そんな奴らがずいずいと肩をゆらして歩いてくる。
それに記憶の嫌な部分が刺激された。連中がまとっている雰囲気というものがどこか、私を車で連れ去り輪姦した男たちと重なって見えた。
「おうおう、そこにいるちっこい嬢ちゃんが今回生まれた姫さまってやつか」
大声は野蛮なものに聞こえた。衣服もただの布を簡単に縫って体にまとったようなもので、手に持っているのは大木を粗削りにしただけのこん棒だ。
そこまで考えて、私はこんな相手を前にして恐怖を指の先ほども覚えていないことに気がついた。
確かに昔から私は周囲から気が強いと評されることは多かった。けれど、それでも恐怖心がなかったわけじゃない。実際、あの男たちに囲まれた時には相当な恐怖があった。
それが、なぜあの男たちより何倍も危険で野蛮な存在に思えるコイツを前に心が委縮しないのか不思議だった。それどころか、男たちとどこか重なって見えるコイツらに怒りの感情さえ覚えている。これも魔族の姫として生まれついたからだろうか?
「下がれ無礼者。ここをどこだと心得る?」
武将である天羽々斬が腰に下げた刀に手をかけて近寄ろうとするが、御前さま……母が手を出してそれを制した。
「騒々しいな、醜鬼。数多いる魔族の族長の内の一人とはいえ、無断に入ってくるとは許されることではないぞ?」
「なんでぇ、御前さまよ。次の御前さまは別の種族の族長から選ぶはずだっただろう? それが、跡取りが生まれた途端に邪魔者扱いかい?」
「確かにそのような話も進めてはいた。しかし、状況は大きく変わったのはその愚鈍な頭でもわかろう? 加えて言うなら、醜鬼。主はその選定ですでに除外されたはずだ。品性の欠けた種族に地位を譲る気は小指の先ほどもないのでな」
「はっ、好き放題言ってくれるじゃねえか」
こん棒を片手でバシバシとやりながら醜鬼と呼ばれたデブがニィと笑う。確かに品性に欠けた種族のようで、ついでに言うならあまり知性も感じられない。
「だがよ、この世の中、力があってなんぼのもんじゃないんですかい、ええ? 血と暴力が支配する世界。強いやつが弱いやつを支配する世界。それが理ってものでしょう?」
「………………」
「第一、俺は前から気に食わなかったんだ。人間の真似事をして決めごとだ権力だなんてやってるから、魔族はいつまで経ってもこんな狭苦しい森に押し込められているんじゃねぇのか? 絶対的な力を持つ種族が長となれば、弱小種族なんて簡単に蹴散らせる。世界はあっという間に俺らのもんだ」
それに母はため息を吐いた。
「愚かなものよ。そのような頭しか持たぬから選別からも除外されると気づかぬのだ」
そこに参謀である気狐が言葉を続ける。
「確かに人間は肉体的にはあまり強くはありません。けど、それだけを見て弱小種族と呼ぶのは浅はかですよ。知恵や団結力は並の魔族以上ですし、繁殖力は高く、数は安定しています。剣技や妖術……彼らなりに言えば魔法ですね。それを巧みに操る者も少なくない。逆に貴方は何が出来るというのですか? 誇れるのはせいぜいその馬鹿力のみ。妖術は使えず団結力も低い。自己を何よりも優先し、裏切りもいとわない。そんな者たちが主となったところで早々に滅びるがせいぜいです。いい加減、身の程をわきまえては?」
「ヒョロガリの金魚の糞が随分偉そうに言ってくれるもんだな。その尻尾を振るのだけは上手いのか?」
言いながらデブが母の方に視線を戻す。
「御前さまよぉ。確かにあんたは長く生きてきて多くの魔族の族長連中が従ってるから俺もしぶしぶ大人しくしていたんだ。それが、次の主となるのがこの小娘だと? そんなのは間違っても許せねぇ」
「許せぬならなんだと言うのだ?」
「簡単なことよ」
ずいとデブがさらに一歩私の方に進んできた。そして、ニタリと気色の悪い笑顔を浮かべる。
「この小娘をぶっ殺し、ついでにこの城ごと俺さまの一族がもらってやるよ!」
「――姫さまっ!!」
咲耶の悲鳴。
こん棒が一気に私めがけて振り下ろされる。
まともな速度じゃない。
並の存在なら原型を留めはしないだろう。
が……
「っ――!」
振り下ろされた圧に風が起こり、周囲にシンとした静寂が降った。
「阿呆のうえに力量も測れぬ。そういう馬鹿者を世では雑魚と呼ぶのだ」
そんな空間に母のしらけたような言葉が聞こえた。デブは驚愕の表情を浮かべている。
「姫、さま……」
咲耶も驚いたように私を見ている。
私は左手一本でそのこん棒の一撃をピタリと受け止めていた。
静寂に私が言葉を発する。
「やめるつもりはないか、こんなくだらないやり取りは?」
左手の力を抜いてこん棒を放すと、ソレはわなわなと震えるような仕草をしてから、さらに右手に力を入れたように見えた。けれど、それに気づかぬ素振りで言葉を続ける。
「詳しいことはまだよくわからないが、魔族という同じ仲間なのだろう? いがみあってもいいことはない。それとも、そんな簡単なことすらわからないか?」
「こ、この――っ!」
再び振りかぶられ、全力で繰り出されたこん棒の一撃は先ほどの倍の速度と威力があったかもしれない。
ただ、それは今の私にしてみれば『誤差』の範囲だった。
同じく左手一本で受け止めるが、痛みも圧も感じない。彼らが脆弱……というわけではないように思う。たぶん私の方が何かしら特別なのだ。
「残念だが、話し合いが出来る相手ではないようだな」
そのまま御前さまの方を向く。
「お母さま」
その言葉はすんなりと口から出てきた。先ほどまで母という言葉に違和感があったはずなのに、不思議なものだ。
「なんだ?」
「少々お見苦しいところをお見せしてしまうことになってしまいますが、よろしいでしょうか?」
「構わん。好きにすると良い」
それを聞いて私は左手に少し力を入れた。
「うおっ――!」
大きく上に弾かれたこん棒にデブがバランスを崩す。
軽く床を蹴って宙へ。
悠々と高く跳んだ私の眼前にデブの驚いた顔がくる。
醜悪な顔だ。私を笑いながら犯した男たちに似通っている。
そう思うと自然と右手に力がこもった。
そのまま顔面目掛けて殴る。
破裂音。
同時にデブの顔面が大きく弾けた。
すたりと着地して息を一つ。
一瞬にして命を失った巨体はぐらりと傾くと糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
首からはこんこんと命を失った血が溢れ出す。身体に返り血を浴びたが、それもひどく鼻についた。見た目も醜悪なら流れている血も汚物をこれでもかというくらいに混ぜ込んだヘドロのようなものなのだろう。だから名前が醜鬼なのかもしれない、と一人納得する。
後ろにいたデブの連れたちは何が起こったのかわからない様子だった。
ただ、想像を絶することとは理解出来たようで、似たような知性の感じられない顔に恐怖と戸惑いを張りつけている。
「こちらの連中はいかがいたしますか? 共にここに押し入ったのです。連帯責任として片づけても良いと思いますが」
「放っておいても仔細ない。愚昧ゆえに、これだけの力の差を見せつけられれば二度と逆らったりはせんだろう」
「しかし、それはあまりにも寛大な措置ではありませんか?」
「そうか?」
母の言葉に私は「はい」と言葉を返した。
「愚かな味方は時として敵よりも恐ろしい存在になり得ます。障害となる前に排除するのも一つの手かと」
「ふむ……その考え方も一理あるな」
方便だった。
ただ、私はこの連中に怒りをぶつけたいだけだ。
暴力……ましてや殺生を好んで生きてきたつもりも毛頭ない。が、今は彼らを殺すことが悪いことという風にも微塵も感じられなかった。
「良いわ、処理はお前に任せるとしよう」
「ありがとうございます、お母さま」
言って、私はぐっと足に力を込め、一気に連れどもとの距離を詰めた。連中には私が瞬間的に移動したようにしか見えなかったはずだ。
品位の欠片も感じられない顔に一様に戸惑いの表情を浮かべていた。
「悪いが、無能であることは罪なことだ。そして、それを理解していないということはさらなる大罪に他ならない」
軽い一撃で一体の胴体に大きい風穴が出来る。
しかし、それを周囲のヤツが認識した時にはさらにもう一体のヤツの首が胴から離れていた。
そしてその首が地面に落下する前にもう一体の巨体が血しぶきをあげて絶命する。
残り二体。
何が起こったかは知れずとも、底知れぬ恐怖は覚えたのだろう。我先にと出口に向かって逃げようとする。
もっとも、私がそれを許すわけもない。
「どこに行くつもりだ?」
先回りして前方を塞ぐ。
「まさか、己の無能ささえ理解していない狼藉者をみすみす見逃すと?」
私の圧に押されるように二体の顔が引きつる。
が、どうにもならないとわかったからか、窮地に追われた獣風情がそうするように私に襲い来る。
そんな愚か者たちをまとめて蹴りで一蹴。
二体とも数メートル以上吹っ飛び部屋の壁に激突する。
なるべく部屋を壊さないように加減したからか、片方は瞬間的に命を失えず、微かにピクリピクリと身体を痙攣させていたが、それでもあと数分の命だろう。パタパタと少しほこりのたった装束を整える。
「見苦しいところをお見せして申し訳ありませんでした」
「構わん。取るに足らん連中だと思っていたが、確かにお前の言う通り邪魔ですらあったかも知れん。生まれて早々ゴミ掃除をさせて悪かった」
四方八方に散らばった連中を死体を見ても何も思わない。せいぜい子供がお菓子を食い散らかした程度の感覚。ただの人間として生きていた頃だったらこんな状況に置かれたらとても平常心ではいられなかっただろう。
それが、今は大した感情もなく冷静に物事を考えられている。
この世界に目覚めてから考え……いや、それ以上に脳全体の造りが変わってきているのは確かなようだ。思考の変化、なんて単純な言葉で片づけて良いものではない。これが魔族となったということなのかもしれない。
「さて、少々邪魔が入ってしまったが、そろそろ本題に入るとしよう」
部屋が落ち着きを取り戻してから母が言った。
「本題ですか?」
「ああ、お前に名を授けようと思ってな」
「名前……」
「いつまでも名無しの姫では存在もあやふやだろう?」
落ちくぼんだ目がそう私に語りかける。名前ならあった。
秋常鏡花。
それが私の名前で、もう十年以上当たり前以前のように使っていた。それが、今その意識はひどく薄くなっているように感じられた。自分の名前であるはずなのに、どこか膜を張った向こう側にあるような存在に感じられる。
「そうだな……」
母が目を薄っすらと細め、少し考えるようにしてから、
「月詠、などはどうだろうか?」
隣の気狐をちらりと見やる。
「死をつかさどりしものの名ですね?」
気狐が、まるで花が咲くかのように表情をぱっとさせて言った。
「死をつかさどりしもの?」
「左様です、姫さま。月詠。まだ我ら魔族が世界に広くあったはるか古。その言葉は自我を持ち、死をつかさどっていたと言います」
月詠……悪い名前には思えなかった。
「もはや知っている者もほとんどおるまい。だが、お前にはただならぬ何かを感じる。であるなら、名もそれにふさわしいものが好かろう?」
母はそう左右に視線をやるが、側近の二人は一片の異存もないようだった。
「では、今ここに名を与えよう」
言うと、突然足元に幾何学模様が漆黒の光のように浮かび上がった。
それが回転し私の周囲を紫の光が包む。
と、不思議な力が湧いてくるようだった。先ほども結構な力があったはずだが、それにさらに幾分の力が足されていくような感覚を覚える。
数十秒して不思議な光は消え去った。
「娘よ、こうしてお主は月詠として生きることになった。滅びの中途にある魔族の中で、どれだけの働きが出来るか期待しているぞ」
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