第12話 SIGN

『YEAH! ブッ飛んでるか?

理屈がなんだ 常識がなんだ

うるせえやつらは全員ねじ伏せて

ちぎって丸めてエンジンに詰めろ

赤信号が”GO SIGN”!

俺たちゃすでに “もうDYING”!』


「……なんだこれは。平成初期のラッパーか?」

「俺達の新曲、”GO SIGN!”だぜ。いつもとテイストを変えてみたんだ。」

「いや、いつものを知らねえけど…。コードもそこのギタリストが付けたって?バカにしてんのか?」

「…バカにしていない。バカと言った方がバカだ。」

「何言ってんの?…コワ…。」

ジョニーは楽譜をスッとテーブルに伏せた。

「帰れ。こんなフザけた連中とバンドが組めるわけねえだろ。」

「いや、俺達はお前がいい。もう2人で話し合って決めた。お前が3人目だ。」

「2人で決めんな!その話し合いだけは俺も交ぜろ!…あのな、俺はお前らと違って、真剣に音楽で金稼いでやってくつもりなんだよ。こんな遊びに付き合ってるヒマはねえ。」

俺と本条は怒られて口をへの字に曲げたまま、顔を見合わせた。

「はあ…。こんなネタみたいな曲を書くぐらいなら、金払ってまともな専門家に外注しろよ…。もっと頭使ってものを考えろ。」

俺達はジョニーに向き直った。

「お前、さっきから何を言っている?」

「そうだぜ。音楽は遊びだろ?」





「…で、まあ結局その後も怒られたんだけど、” You were right”の方を見せたら、渋々タダで編曲してくれてよ。それがすげえ良かったから、何とか粘って仲間にしたんだ。」

俺は紙コップの水にアルファプラスを溶かしながら説明した。水はみるみる茶色になっていく。

「ほんとメチャクチャだな…。ほぼ無理やりじゃないか。うちのバーでセッションしたとき、ジョニーが来てなかったのは、本当は乗り気じゃなかったからじゃないのか?」

「っていうか、あいつは当時『ライブは金にならない』って言って演奏はしないスタンスだったからな。ほっときゃ勝手に作曲家として成り上がってたのかもしれねえけど、キーボードも上手かったから勿体ないと思ったんだよ。だからバンドの道に誘ったんだ。」

「でもまあ、その後俺が初めてジョニーと顔合わせしたとき、既にそんな感じには見えなかったなあ。色々文句は言ってたけど、なんだかんだ結構楽しそうに演奏もしてたよね。」

「そうだっけ?」

俺とコボが昔話に花を咲かせていると、大塚さんと白石さんがこちらのテーブルにやって来た。

「や。アルファプラス飲んでるの?水に溶かしても全然マズイから気を付けなよ。むしろ増量するから推奨はしないね。」

「げっ。マジですか。」

白石さんは、俺のコップをじっと見ながら、何か考えている。

「三木くんの方はどうなりましたか?」

コボがそう言って俺の隣に移動すると、2人は俺たちの向かい側に座った。

「合コンに参加していた三木くんゲスト2人のうち、小畑くんの方を勧誘することにしたよ。彼は現在、お金がないせいで結婚できないと説明したようだが、どうもバックグラウンドが不明瞭なのが気にかかる。これはもう少し探りを入れて正確な弱点を見つける必要があるけど、内気な性格のため、あまり自分のことを話したがらないようだからね。こういうタイプに心を開かせる達人はエリカさんだ。そこへ三木くんにABCを組んでもらうことにした。」

「あれ?結局三木くんが入るんですか?白石さんがBを引き継ぐのかと思ってましたけど…。」

「私もそのつもりだったんだけど、三木くんが『やっぱり自分がやる』って言い出したの。あの日、ジョニーくんに言われた言葉が堪えたみたい。ちゃんとゲストと向き合いたいんだって。」

なるほど。彼は少し変わりつつあるようだ。

「ま、それはそれとして…。今度はキミたちね。コボくんのゲスト、秋山さんは一旦置いておいていいだろう。白石さんとはかなり仲良くなったみたいだけど、ビジネスの話は全くしていないから、アポを続けるなら改めて時間はかかる。2人は職場が同じだから、やるならまたBの引継ぎを白石さんに頼むといい。アテンド先のAは、そのときまた僕が考えてやる。」

「分かりました。」

「問題はジョニー氏なんだよ。僕の分析はこれなんだけど…。」

大塚さんはそう言うと、鞄から一枚の紙を取り出した。ギッシリと文字が書かれている。

「これは何ですか?」

「彼の思考パターンから推察される、ネットワークビジネスに対する”アンチ論”さ。あの日やってもらったABC、面接みたいだったろ?あれは事前に、分析に必要な質問事項を白石さんに伝えておいて、その返答の記録を取るのが僕の目的だったからね。」

大塚さんは、胸ポケットからボイスレコーダーを取り出した。

「”偵察兵”って…そんなことまでやってたのか!」

あの日、実際俺の仕事はほとんどなかった。白石さんと翔吾が仲間であることをネタバラシした後は、白石さんの質問にジョニーが淡々と答えるのを横で聞いていただけだ。内容は、周囲に聞かれても問題ない、仕事や趣味の話ばかりだった。

「僕の本職はね、”臨床心理士”なんだよ。これにビジネスの知識が加われば、誰を誰に繋げればいいかなんてすぐに分かる。僕がExD(エグゼクティブディレクター)の地位を手に入れた所以さ。」

大塚さんはレコーダーをしまった。

「それじゃ、結論を伝えよう。僕が彼に推薦する”A”は、『ヤマトさん』か『アキラくん』の2択だ。」

「えっ、俺がAですか!?…いや、だって今、俺がBでやってるんですよ?」

俺は意味が分からず困惑した。

「後者の場合は、”そもそもABCなんて必要ない”って意味さ。僕を信用しろ。まあいずれにしろ、この2パターンなら、どちらでも上手くいく。」

どういうことだ…?いや…でも…。

「俺は前回のABCの最後に、あいつと約束しました。次のアポが最後だって…。ここで俺がとちったら、後が無い…!」

「せやで。新入りはベテランに任せとけばええんや。」

俺がビクッとして振り返ると、後ろの席には京本さんが座っていた。

「そいつ、ごっつ頭ええやろ。頭ええ奴には、頭ええ奴をぶつけな話にならんで。」

「京本さん…!…いや、俺もそう思いますけど…。」

「まあしかし、ヤマトさんはお忙しい方や。大阪帰る前に、ワシが人肌脱いでやるとするわ。そのABC、ワシんとこ持って来いや。」





「はいお待ち!わどう特製の和風カクテル、”雪入道”だよ!」

テーブルには、柚の乗ったお洒落なグラスが2つ用意された。2人は何も言わず、それぞれに口をつける。

「うわっ…酸っぱいけど…美味しいね…!」

「…あ…はい……。」

そして再び沈黙が広がる。

数秒置いて、三木が先に耐えかねて口を開いた。

「あのさ…今日は来てくれてありがとう。ビジネスに興味持ってくれて嬉しいよ!」

「お金が稼げるなら…。」

「そうだよね!そう、それでね、今日お話してくださる方は、本当にすごい人なんだ。えっと…この間すごい賞を取って、表彰されてて、それで……!」

「…………。」

小畑は何も言わない。

周りの客たちの喧騒だけが流れていく。

「なんでお前がおんねん!もうワシのライフはゼロや!」

「ちょ…落ち着いてください!」

「おい、遊んでんなら、もう俺が席選ぶぞ。いいのか?」

「………。」

三木は静かにグラスを置いた。

「……ねえ、小畑くん。君はさ、どうして漫画を描き始めたの?」

「…僕は子供のときから、親に心配されるほど、ずっと漫画を読んでいました。友達ができなかったので、一人でいるしかなかっただけなんですけど…。」

…僕と同じだ。

「でもあるとき、偶然入った床屋の本棚で、古い漫画のコーナーを見つけたんです。僕はそのとき、初めて鬼駄郎先生の作品に出会いました。ストーリーは昔ながらのバトル漫画でしたが、作画のエネルギーと壮大な展開に圧倒されて…僕は漫画の本当の素晴らしさに気付きました。漫画の世界はどこまでも自由で、僕が知っていた常識なんて、そこにはなかったんです。」

「……そっか。僕たち、なんだか似ているね。」

「…三木さんも、漫画が好きなんですか?」

「僕は…昔、小説家になりたかったんだ。世界にはたくさんの物語や考え方があって、僕ら一人ひとりが人生で出会える体験なんて、ほんのちっぽけなものだと教えてくれる。僕は海外の小説を読むために、英語の勉強までしたんだ。…でも、どんなに努力しても、やっぱり僕には才能がない。僕は小畑くんみたいに、仕事のチャンスも掴めなかった。」

「…僕だって、ただの偶然ですよ。鬼駄郎先生に何度もお願いして、渋々弟子にしてもらえただけです。才能なんて、僕にも…。だけど、それでも僕は……。」

小畑が言い淀んだところで、三木はちょんちょんと肩を叩かれて振り向いた。白石だ。

「2人とも、今エリカさん空いたよ。…そうだ、小畑くん。例のものは持ってきてくれた?」

「は…はい…。」

小畑は鞄から何かを取り出し、白石に手渡した。

「ありがとう。私は同席しないけど、緊張しなくて大丈夫だよ。いってらっしゃい。」



「やあやあ、我こそが天下のエリカ様なり!頭を垂れい!」

小畑は本当に頭を低く下げた。

「ええっ!冗談だよお!大丈夫大丈夫!お姉さん、ちょっと怖かったね!?」

三木はクスッと笑った。

「エリカさん、小畑くんは、ビジネスに興味があって来ました。お話をお願いできますか?」

「うん!いいよ!小畑くんもお金がほしいの?お金はいいよ〜。お酒も枝豆もいっぱい買えちゃうぞ〜。どうだ、誘惑に負けそうであろう。」

「いえ…枝豆は特に…。」

「なんでよっ。枝豆美味しいのに。じゃあ欲しいものを言ってごらん…。お姉さんが何でも出してあげよう…。さあ…。」

「…僕はちゃんとお金を稼げるようになって、結婚して親を安心させたいです…。」

「ほう。我欲に呑まれんとは、見上げたやつよ。ではここに契約のサインをするがよい。マルチ商法の書類じゃ。」

「えーっ!エリカさん、早いです!早い早い!」

慌てふためく三木をよそに、小畑はエリカが出してきた契約書面を眺めた。

「やっぱり…マルチなんですね…。」

「うん、そうだよ。嫌かな?」

小畑は意外にも、すぐに鞄からサインペンを出してきた。

「何でもやります。僕はもう…父が亡くなって、一人で母を支えなきゃいけないんです…。」

「…あ……。」

三木は初めて知った彼の境遇に、自分を重ねた。

しかし、小畑はペンを握ったまま、動かない。

「……どうしたの?怖くなっちゃったかな?」



カラン…。

吉岡は日本酒のグラスを傾け、氷を撹拌した。

「あの…吉岡さん…ですよね?」

声がして振り返ると、ラリーの日に廊下で会った青年が、ゲストらしき人物と並んで立っている。

「僕、山口組の三木といいます。あの…エリカさんからのアテンドなんですが、お時間よろしいですか?」

「…山口から?一体どういうつもりだ?」

「いえ、あの…正確には、できるだけ上位の方に繋げるよう言われたので…。」

「…そうか。あいつは今日、俺が来ていることを把握していないんだろう。まあいい。どうなっても責任は取らないが、ABCでいい。三木、お前も座れ。」

三木は小畑と共に、カウンター席へ座った。

吉岡は、三木が経緯を説明するのを、無言のまま聞いていた。

「それで…小畑くんが書面の前で固まっちゃって…。」

「そうか。」

一通り話を聞き終わると、吉岡はようやく口を開いた。

「小畑。お前はなぜサインできない?」

「……母の顔が思い浮かんで…。母はいつも、『お金が大変なら送ってあげるからね』と言って、僕に仕送りをしてくれるんです…。その大事なお金を、ここに注ぎ込んでいいのかなって……。」

「そうか。」

吉岡は酒に一度だけ口をつけ、また置いた。

「お前の母親は、二十歳を越えた息子にまだ金を送っているのか。」

「………はい……。」

「なぜお前の母親がそうしているのか、考えたことはあるのか?」

「僕が…情けない大人になったからです…。」

「違うな。」

吉岡は、初めて体をこちらに向けた。

「お前が何度も頭を下げてまで、漫画家に弟子入りしたことを知っているからだ。お前が自分の夢に向かって、どれだけ必死になって今の仕事を手に入れたのか、誰よりも分かっているからだ。」

「………。」

口を固く結んで俯く小畑の横で、三木は目を見開いていた。

(吉岡さん…この人は、いったい……?)


「小畑、お前はこの世界に来るな。まだお前は絶望するときじゃない。自分の居場所に帰れ。」





「なるほどな。さすがにビジネス集団の上位クラスともなれば、勧誘文句の網羅ぐらいはしているというわけか。」

「どや?自分、ちょっと舐めてたやろ?ワシはExDっちゅう、50人の部下を持つエリートやで。」

ジョニーは京本さんが書いた説明書きのメモを見ながら、考え事をしている。

「よし、いいだろう。”関西連”という連中のやり方なら合理的だ。既に愛用者の集まるコミュニティとパイプラインがあるなら、あとはただの物流に過ぎん。俺なら黒字にできる。アキラ、書面をよこせ。サインしてやるから。」

「えっ、マジかよ!なんだ、楽勝じゃん!」

俺は上機嫌で契約書類を出した。

「ほほん、えー仕事したわあ。なんや、ペガサスのBも意外と悪くないやんけ。そんじゃ、ワシはそろそろ飛行機の時間や。ジョニー、待っとるで。」

そう言って、京本さんは会計を済ませて去っていった。

「ほらよ。これでいいだろ?とりあえず俺は東京のビジネス管理を誰かに預けて、大阪に渡る。序盤のシステム構築は、さすがに現地に行かないと限度があるからな。」

「え?お前、大阪行っちゃうの?」

「話聞いてなかったのか?お前ら東京組のやり方は効率が悪い。あっちにはお前のアップもいるんだろ?系列上はコボの下に着いてやるから、俺の売上げはお前らが巻き上げればいい。」

ジョニーはサイン済みの書面を俺に返すと、さっさと店を出ていってしまった。

「お、おい!待ってくれよ…!」



俺が会計を済ませて階段を上がると、ジョニーは店の前でタバコを吸っていた。

「…あーあ。昔からお前らには巻き込まれてばかりだな。アキラと本条…いきなり現れて他人の人生を掻き乱す災害コンビ。」

「災害はねえだろ…。お前だって、元々ミュージシャンは目指してたんだろ?」

「俺は自分の能力を金に変えようと思ってただけだ。メジャーデビューなんて頭の悪いことは最初から……。」

ジョニーは突然黙ってしまった。

俺はこのままでいいのだろうか。

あっさりと終わってしまったABC。目的は達成したはずだ。

でも……。

「ジョニーさん!」

駅の方面から店に戻って来たのは、三木くんだ。

「おう。そっちはどうなった?」

「ふふ。聞いてくださいよ。僕、人生で初めて、”本当の仲間”を手に入れたんです。あなたたちみたいに!」

「サインもらえたのか?」

俺が尋ねると、三木くんは一枚の紙をジョニーに手渡した。

「ジョニーさん。大事なことを教えてくれて、ありがとうございました。ちゃんと人と向き合えば、夢を語り合える仲間に出会えるってこと…。僕はそのうち、彼を追いかけてこの組織を辞めると思います。それじゃ、今日は帰りますね!」

三木くんは、清々しい足取りで去っていった。

ジョニーは渡された紙を持ち上げて眺めている。”GO SIGN!”と書かれた例の譜面だ。小畑くん、律儀に返してきたのか。俺は一つ、あることに気が付いた。

「あれ…ジョニーお前、その曲もコード書き直してくれてたのか…?あんなにバカにしてたのに…。」

「………誰かが音楽は遊びだと抜かしやがったからな。俺もちょっと遊んでみただけだ。」

楽譜には、事細かに何度も書き直した跡が残っている。



………『”そもそもABCなんて必要ない”って意味さ』……



俺は拳を握りしめた。


「……なあ、お前も本当は最初からそうなんだろ?”これで身を立てようなんてバカ”は、お前もずっと同じだったんだろ?だったら大阪になんて行かないで、俺たちとまた遊ぼうぜ。効率が悪くても。可能性が低くても。それが、俺たちがずっと5人でやってきたことだろ?」


ジョニーはタバコの吸い殻を捨てると、持っていた楽譜を下ろした。


「………まったくよ、どいつもこいつもブッ飛んでやがる。」


楽譜の裏には、サインペンでこう書かれていた。


『ジョニーさんへ。未来の大漫画家より。

“OBATA”』

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