第8話 DREAMS COME TRUE
「お下がりくださーい。」
警備員が雑踏に割って入ると、2台の大型バスが続けて駐車場に入ってきた。
「ハドさん、あれッスか?」
翔吾は黒いスーツをビシッと着こなしている。流石は元黒服といったところだ。
「そうだぜ。あれがRELIFE提携の日本最大組織、友志の会だ。キレイなお姉様方がわんさか乗ってやがる。」
「最高じゃないッスか!」
前方のバスが会場エントランスの前に停止した。扉が開くと、赤やら黄やらの綺羅びやかなスーツに身を包んだ女性たちが、次から次に降りてくる。どの人も、毅く美しいといった感じの、自身に満ちた表情をしている。だが、年齢は40代前後が大半のようだ。
「…おー…。キレイっスねー…。」
「ちょっとテンション下がるなよ!お前、熟女には興味ないってか?このお子様め!あの熟れたバストに刮目しろ!」
二人が下衆な会話をしている間に、後ろのバスからも人がぞろぞろと出てきた。こちらは老若男女さまざまだ。
今、降りてきたツンツン頭の男がこちらに気付いて近寄ってきた。
「お〜!ハドやんけ!相変わらずやな!」
「レイジ〜!調子はどうよ?奥さんとはあの後どうなった?」
「先月50万で回しとったのがバレて、大目玉や。けど、アルファプラス飲ましたら、2日後には機嫌直っとったで。やっぱぁ、嫁にはカルシウム取らさんと、こっちの身が持たんわ。」
内容はイマイチ分からなかったが、二人はゲラゲラと笑っている。
「お、そこの2人は新顔やな。兄ちゃん、スーツ似合うとるやんけ。」
翔吾はいつもと変わらず、飄々と受け答える。
「そうッスか?アニキもイカしてますよ。」
「コイツは陣内翔吾。竹下組の超ルーキーよ。だいぶブッ飛んでるけど、期待の新星だぜ。」
「ほー。ほなワシの後輩かいな。翔吾ぉ、この商売はな、ブッ飛んだモン勝ちや。デカい顔して『マルチやってます〜!』言えるやつがのし上がってく世界なんやで。」
「よく言ってますよそいつ…。」
俺が呆れたように呟くと、男はこちらに向き直った。
「こっちの兄ちゃんは浜本組のアキラやな?ボスから噂を聞いとるでえ。」
俺は背筋が凍った。ボスとはHOPES加入の日、わどうで一言話しただけだ。一体何の情報が共有されているというのだろう。
「ペガサスはワシと相性最悪なんや…。アイツ、流石にラリーには毎年来よるからな。顔合わせんようしとこ。」
何の話だ?いや、それより…。
「えーっと…あなたはHOPESの傘下なんですか?バスで来たから、てっきり友志の会かと…。」
「ちゃうで!ワシは京本礼司。ヤマトさんの直ダウンや。友志の会ゆうたら、婦人会やろ。ワシゃどう見てもオッサンやないかい。」
「あー、こいつら新入りには、まだ関西連の説明をしてねえ。めんどくせぇから。とりあえず今度でいいだろ。もう中入るぞ。」
ハドさんと京本さんは、マダムたちの列に続いて歩いていった。それについて行こうとした翔吾は、途中で俺に振り返る。
「アキラはここで待つんだろ?」
「ああ。」
*
「エリカさん、和服可愛くてキレイだったね!」
三木に話しかけているのは、山口組の白石優花。
「僕もあんな風になれますかね…?」
「三木くんの和服?カワイイかも〜。」
「いや、そういう意味じゃなくって…。」
二人が楽屋前の廊下を曲がったところで、正面から歩いてきた男とぶつかりそうになった。
「あっ、すみません!」
「……浜本の楽屋はどれだ?」
「え?えっと…。」
三木がたじろいでいると、白石が慌てて返答した。
「一番奥から2番目の右ですっ!」
「そうか、ありがとう。」
男はそれだけ言うと、楽屋の方へ行ってしまった。
「今の人、どこかで見たことある気が…。」
「吉岡さんだよ。三木くんがサインした日、わどうに来てたの覚えてない?」
「あ…そういえば。カウンターでアキラと話してたのを見たかもしれないです。どこの組の人なんですか?」
「う〜ん…。エリカさんたちと同じで、ボスの直ダウンらしいんだけど…。ほとんど情報が回ってこない、不思議な人なの。動物もレアなペガサスらしいし。」
「……アキラと同じだ。」
*
「あなたがプロジェクターの操作係かしら?私は今回の司会進行を務めます、友志の会、早見です。」
「HOPESの藤崎です。よろしくお願いします。」
舞台上では、ラリーの設営が始まっていた。
「藤崎さんが送ってくださった資料、とても分かりやすかったわ。スライドも全てご自分で作成されたというから、仕事のできる方なのね。」
「いえ、そんなことありませんよ。普段は会社員なので、事務仕事に慣れているだけです。」
藤崎はパタパタとパソコンを操作し、準備を始める。
「事務も大変でしょう。アルファプラスは買っておられるの?RELIFE製品の中でも、特によく効くと、友志の会でも話題だわ。」
「買ってますよ。1日の疲れは、アルファプラスとアクセルを飲んで寝ればだいたい取れま……。」
一瞬、奇妙な間が空いた。
「……あなた…もしかして、”シャングリラ”の残党なの…?」
*
「ヤマトさん、関西連の到着でっせ〜!」
京本がシュールなダンスを踊りながら楽屋のドアを勢いよく開けると、中には浜本が座っていた。
「大阪から長旅ご苦労。だがここは私の楽屋だ。」
「ああっ、スンマセン!ハドのやつ、わざと嘘教えよってぇ!許さん………あッ。」
京本は部屋にいたもう一人の男と目が合う。
「相変わらずやかましい…。」
「吉岡ぁ〜!エンカしてもうた!ハドのせいでワシの残機が1つ減ったやんけ…。」
吉岡は呆れたように溜息をついて、浜本に向き直った。
「…話を戻す。浜本、もう組織にお前は必要ない。辞めて自分の立ち上げた法人に帰れ。」
衝撃の発言に、浜本より京本が反応した。
「待てい!聞き捨てならんのお!浜本さんが要らんやと?お前はPDでワシより上やが、勝手によそで系列作りおって、全然組織に貢献しとらんやないか!浜本さんはお忙しいのに、ちゃんと現場に出とる。要らんのはお前の方やで!」
「落ち着け京本。吉岡の話にはちゃんと文脈がある。」
制止も効かず、浜本は会話から弾き出された。
「浜本の組は、他の2系と比べて極端にディストリビューターが少ない。中途半端に枝葉を伸ばすより、一旦切り離して山口組に接続し直した方が、後々組織全体における合計ボーナスの取得率は上がる。」
「…浜本組が少ないのは、あんたのせいやないんか…?」
京本は首を傾けて詰め寄った。
「知っとるでぇ…?吉岡、お前ェ…。ワシがしこたま育て上げたダウンたちをそそのかして、ごっそり辞めさせたんはあんたなんやろ?お陰でこっちは丸々1系、壊滅状態や。営業妨害やで?これは…。」
「………。」
吉岡は全く表情を変えない。
浜本が再び険悪な空気を落ち着かせた。
「待ちなさい。とにかく今この場は、私の話だ。京本、ヤマトの部屋は反対側だ。挨拶はいいのか?」
京本は数秒吉岡を睨みつけたが、その後は大人しく出ていった。
「失礼します…。」
バタンとドアが閉まると、ようやく部屋に静寂が戻る。残った二人は、再び相対した。
「吉岡、君がこの組織にいてくれて、本当に救われる。私は知っているよ。表情には出さないが、君はいつも”怒っている”。
「………。」
「だが、私はまだ辞められない。数は少なくとも、この道で本当の夢を掴もうとしている私の部下たちを見届けるまで、善人を演じることを辞めるわけにはいかないんだ。」
*
友志の会と関西連が到着してから、2時間が過ぎた。もうラリーは半分くらい終わっているころだろう。タコ部屋の2人やハドさん、ついには知らないマダムまで俺のことを中に入れようとしたが、俺は動かなかった。最後は浜本さんがやってきて俺の肩にポンと手を置くと、「直感に従え」と言い残して去った。
……来ない。
コボは俺を見限ったのだろうか。MLMの催事であることを伝えないでこの場所に連れて来るのは、違法行為にあたる。居酒屋で再会したあの日、コボは俺がネットワークビジネスに手を出しているのを明らかに察していたはずだが、メールには改めてきちんと書いておいた。
勝算が高いわけではない。0%を1%にするビジネスだ。でも、夢を諦めてしまえば、本当に0%のままで終わってしまう。そう伝えたものの、返事はその2日後、「行けたら行く」と送られてきただけだった。
分かっている。理屈の問題じゃないんだ。俺が無理やりあいつをバンドに引き入れた。宝くじを当てるまでも、会社を立ち上げた後も、俺はみんなを巻き込んで進んできた。その結果が2億の借金だ。あいつはもう、俺に振り回されることに疲れてしまったのかもしれない。
俺は持っていた最後のタバコに火を点けようとした。その時…。
「金がないんだから、タバコはやめなよ。」
はっとして顔を上げた。
「…ずっと外で待ってたの?」
「お前の『行けたら行く』は、来れたら本当に来るからな。真面目なやつだ。」
コボは前回と同じく、仕事用のスーツ姿でそこに立っていた。
「このまま少し、ここで話をしてもいい?」
本来なら、ラリーの内容を少しでも長く見せるために、早く中に入らなければならない。だが、そんなことはもういい。こいつは今日、俺に会いに来てくれた。組織には悪いが、俺はそのことの方が、ずっと大事だ。
「当たり前だ。そこに座って話そう。」
俺たちは喫煙スペースのベンチに腰を下ろした。
「仕事帰りか?」
「いや。今日は予め休みを取っておいた。でも朝起きてから、ここに来るべきかどうか、ずっと悩んでたんだ。ビジネスのことは分からないけど、やっぱりアキラとはもう一度話がしたかった。それで来た。遅くなってごめん。」
「気にすんな。ラリーのことなんて、もうどうでもいい。ビジネスの話なんて、本当はどうでもいいんだ。」
俺は言った後、自分の言葉に少し驚いた。かつて苦楽を共にした仲間が、こうしてまた隣にいる。俺はそれだけで、ビジネスなんかなくたって何とかなる気さえしていたのだ。
「…アキラ。お前はこの間、『約束を忘れたのか』って聞いてきたよね。お前はひとつ、勘違いをしているよ。あの日のことを忘れるやつなんて、誰もいやしない。自分では気が付いてないのかもしれないけど、お前が”夢”を語るとき、それを聞いている人間はみんな、言葉にできない大きな力を受け取るんだ。まるで自分が隠し持っていた強いエネルギーが、一緒になって震えだすように。」
俺は黙って聞いていた。
「本条を除けば、俺たちは正直、たかだか知れた演奏レベルだ。凡人の集まりだよ。だけど、お前が”直感”で集めた連中は皆、お前のエネルギーに強く共鳴する者たちだった。現実の闇に目を閉ざされて、希望を失ってしまっても、お前という光の振動さえ探せば、またお前が夢に繋がる道を教えてくれる。それを頭ではなく、心で感じる。アキラ、お前の信じられない力だ。」
「…そう…か…。」
そんなことは考えたこともない。俺はただ自分の直感を信じて、周りを巻き込んで、波乱を導く存在だ。それが正しい選択だったかどうかなんて、自分にも分からない。
「だけど、約束を言い出したのは俺だよ。ただお前に巻き込まれて、お前の夢について行くだけの、盲目の羊じゃない。メジャーデビューは昔から、この俺自身の夢だ。お前が自分の直感を信じるように、俺も自分の心を信じる。」
コボは席を離れ、俺の正面に立った。
「アキラ。ここがまた、あの道に繋がっているんだな?」
*
「ありがとうございました!友志の会より、PDタイトル達成、林美佳さんによるスピーチでした!」
客席から大きな拍手が上がる。
「凄いなあ…。子供を4人も育てながら、PD達成なんて…。翔吾、僕たちやっぱりまだ、頑張りが足りないよ。」
「……フガッ…!はっ?何?なんて?」
「……寝てた?」
スピーチが終わった女性が壇上を降りると、拍手が収まってくる。
「それでは最後に本日の大トリ、HOPESの代表であるサファイアの
山口組が固まっている席から、割れんばかりの拍手が送られる。舞台上のスクリーンには、華々しい演出ムービーが流れ始めた。全員がそれに魅入っている間、鼻クソをほじってよそ見していた翔吾だけが、今しがた客席に入ってきた二人に気が付いた。
「おお!アキラ!こっちこっち!隣空いてるぞ!」
アキラは友人を連れて、走ってきた。
「これ、もう最後?」
「ああ、エリカさんで終わりだぜ。」
ムービーが流れ終わると、美しい和装をしたエリカさんがマイクの前に登場した。いつにもまして輝いて見える。拍手が止むと、スピーチが始まった。
「…私は5年前まで、何の夢も持たない、ありふれた社会人のひとりでした。実家の両親は歯科医師で、お金に苦労したことも、寂しい思いをすることもありませんでした。ただ毎日、可愛い服を着て、美味しいものを食べて、穏やかに平和で暮らしていければ幸せなんだと、そう思っていました。」
アキラは隣で聞いているコボの様子を伺った。彼の表情からは、何も読み取ることはできない。
「そんなあるとき、職場の友人が『大切な話がある』と言って、私をカフェに誘いました。彼女は昔からデザイナーを目指していて、いつかは自分のブランドを立ち上げたいと、常々私に伝えていましたが、その覚悟がとうとう決まったと言うのです。
彼女はネットワークビジネスを始め、お金と仲間を集めて夢を叶えたいと熱心に語りました。そのために、私の力が必要だと。
彼女は人が変わったようになっていました。私はそのことが恐ろしくて、理解ができなくて、逃げ出しました。今の会社でお金を貯めて、ゆっくりと丁寧に、真っ当な方法で生きていけばいいのに。そうすればその頑張りを誰かが見ていて、いつか夢が叶うかもしれないのに。
…でも、その数年後、私は理解しました。
働いていた服飾の仕事が軌道に乗り、楽しくて、いつの間にか彼女と同じ夢を抱いている自分自身に気が付いたんです。夢を持つって、こういう感覚なんだ。他の何かを失うほどの覚悟が必要でも、それでも絶対に叶えたいと思う気持ちというものは、これほど強いものなんだと知りました。
私はあの子に謝りたくて、職場を辞めた彼女の所在を捜しました。そしてそのとき初めて、私は彼女がもうこの世にいないことを理解しました。」
会場の全員は、微動だにせず聞き入っている。
「思えば、最後に話したあのとき、彼女はもう自分の余命を知っていたのかもしれません。人の本気というのは、他人には狂気に映ることがあるものです。頑張れば誰かが見ていてくれる、いつか絶望が晴れる日が来る…。残念だけれど、現実はそんなに簡単なものではありません。
『夢が現実になる』という表現は違います。正しくは、『夢を現実に”変える”』。自分の意志で。自分の力で。それが” DREAMS COME TRUE”なのです。」
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