第7話 あの日
日も沈みかけたころ、ようやく今日のノルマが終わり、秋山は公園のベンチで一休みを始めた。もう歩き回ることには慣れていたが、毎日続けていると疲労が蓄積してくる。
「長くは続けられないかも…。」
独り言を呟くと、缶コーヒーを買って戻って来たコボが隣に座った。
「お疲れ様。はい、秋山さんもどうぞ。」
「あ、すみません。ありがとうございます。」
二人はカフェインレスのコーヒーにそれぞれ口をつけた。
「明日から一人になるけど、どう?もう大丈夫そう?」
「はい、小堀先輩と同じやり方なら、シンプルで私にもできると思います。」
「そっか。それなら良かった。でも、俺のやり方は結果が出るまで時間がかかるよ。今さら言うのもアレだけど、君は瀧川について行った方が良かったかもしれない。」
「”営業力は粘り強さ”…。そこは私も同感です。でも、お客様が必要としていない物を理屈で説明して買わせるのは、ちょっと違う気がします。私はうちの和菓子に自信があります。一度食べてくれたら、絶対みんな好きになります。そしたらお客様は、自分の好きなタイミングで買いに来てくれればいいんです。」
秋山は、芯のある女性らしい。まだ若すぎる故にこれから苦労もするだろうが、彼女ならやっていけるに違いない。コボがそう思ったとき、握っていたスマホがメッセージ受信の通知音を鳴らした。
「……アキラ…。」
コボはトーク画面を開かず、そのまま話を続けた。
「ねえ秋山さん。君はさ、自分の”夢”って、いつ持ち始めたの?」
「私は物心ついたときから実家の和菓子屋を手伝っていましたが…全国チェーンにしたいと思ったのは、中学生のときですかね。毎年お花見の季節には学校の友達どうしで桜を見に行ってたのですが、私はそのときいつも実家の和菓子をみんなに振舞ってました。みんなうちのお菓子を美味しそうに食べてくれて、地元だけで売るなんてもったいない、と言ってくれたんです。」
秋山は昔を思い出すように、嬉しそうに話した。
「そのうちの1人は、今、実家の店でアルバイトをやってくれてるんですよ。私がビジネスの勉強をして戻って来たら、一緒に店を大きくしようねって、約束しました。」
「約束…か。友達は君のことを、ずっと待ってくれているんだね。」
「はい。私は和菓子を作ることしか知りませんでしたから、今は勉強する時期なんです。たとえいっとき脇道にそれたとしても、必ずあの子と一緒に、もう一度働きたいです。私はそのためなら、人生を賭けても構わないと考えています。」
「……もし…君がビジネスの勉強をして戻っても、もう彼女が夢を忘れてしまっていたら…そしたらどうするの?」
コボは意地の悪い質問と自覚しながらも、問いただした。
「また誘いに行きますよ!粘り強く。私は和菓子も好きですが、それを美味しいと言ってくれた友達はもっと好きです。絶対に諦めません。」
*
「お前、相当デキるだろ。どうして演奏しない?」
仏頂面のギタリストが急に話しかけてきた。
「いや、俺はドラムセット貸してるだけだし…。今日のイベントは常連メインだから、邪魔できないよ。」
「おーい、そんじゃ俺たちも邪魔者かよ?参加費無料、誰でも歓迎って表に書いてあったぞ?」
もう一人、先ほど力強い歌声を披露したボーカリストもやってきた。
「看板見て本当に入って来たのは君たちぐらいだよ。うちのライブバーは、毎月こうやって、親父の常連客に箱貸ししてるんだ。初めてだよ、飛び入り参加は。」
「バイト上がりに偶然ここを見つけたんだ。仕方ないだろ。それよりお前さ、さっき休憩時間にちょっとだけ楽器触ったろ?すぐ分かったよ。お前、そのへんの雑なドラマーじゃないな?」
「雑なつもりはないけど、そのへんのドラマーだよ。君たちこそ、こんなとこで遊ぶようなレベルじゃないだろ。特にそのギタリスト、君もう早くメジャーデビュー目指しなよ。」
褒められたにも関わらず男は相変わらず無表情だ。
「メンバーが足りん。ドラムとベースがいれば既にそうしてる。」
「その2つがいないのは致命的でしょ…。ここにいるのは趣味でやってる人らばかりだから、ちゃんとやってる俺の知り合いでも紹介してあげるよ。」
「いや、もう見つけた。お前がいい。」
ボーカルの男はそう言って満足そうに微笑んだ。
「そうだな。これで4人。最後のベースはこいつに知り合いを紹介してもらおう。」
勝手に話が進んでいく。
「待て待て!俺は就活中なんだよ。もう既に1社内定が出てる。俺はこれからもう趣味でしかやらないよ。」
「なら、内定を蹴ってくれよ。俺たちとバンドやろう。」
メチャクチャな連中だ。ろくにこちらの演奏も聴かないで、よく勧誘できるものだ。
「なんで俺なんだ。フリーでやってるドラマーなんて、他にいくらでもいるだろう。」
「直感だよ。音楽ってのはインスピレーションだからな。それに、そんだけ叩けるってことは、ちゃんと練習してんだろ?将来、会社員なんかでいいのかよ?」
「……。」
確かに俺はずっとバンドマンになりたかった。こいつらと同じように、仲間を探していた時期もある。だが、実際にバンドで食っていける人間なんて、そうはいない。後先考えないで好きなことをやって、結果も出せずに年老いていく親父の知り合いを何人も見てきた。
「悪いけど、その直感はハズレだよ。俺くらいの技量のやつなら、山ほどいる。もっと熱量のあるやつを探してくれよ。そっちの方が相性もいいだろ。」
「相性ねえ…。じゃあ試してみるか?」
「え?」
ボーカルの男は俺の袖を掴んで、無理やり立ち上がらせた。
「アキラの直感はいつもハズレて波乱を呼ぶ。だがその後には、巻き込まれた誰もが、その選択が本当は正しかったことを知ることになる。いつもそうだ。」
俺は強引にドラムの前に座らされた。ギターのやつは勝手にさっさとチューニングを始めている。
一息ついていた常連客たちは、俺が珍しく参加するのを見て、嬉しそうに拍手をしだした。
「駿平くんがやるのか!しかも、さっきの兄ちゃんたちとセッションだ!」
「こいつは今日来た甲斐があったなあ!」
俺は引くに引けない状況になり、諦めて溜息を一つついた。
「はあ。1曲だけね。」
俺がサスペンドシンバルでカウントを始めると、二人はニヤリと口角を上げた。
『So, You were right
Forgive me
あの日教えてくれたはずなのに
現実の闇に目を閉ざされて
今はただ 足を引きずり歩むだけ
別れの言葉とともに
希望の二文字をそこに置いてきた
君はまだあの道にいるだろうか
So, You were right
今はただ 光を求めてもがくだけ…』
こいつら、改めて一緒に合わせてみると、やっぱり相当な実力者だ。それになんだか、さっき聴いたときより上手くなっている。これ、もしかして今かなり…。
曲が終わると、数秒の沈黙を置いて、呆気にとられていた客たちから一斉に拍手が上がった。
「す…すげえ!鳥肌が立ったぞ!」
「初合わせとは思えん!息ぴったりだ!」
二人はマイクとギターを置くと、俺のところにやってきた。
「本条、こいつ、1回目のフィルインから後半のパターンを察知して合わせてきたよ。」
「ああ。例の落ちサビは説明してなかったが、完全に理解してたな。」
俺は久々に自分の強みを理解してくれる賛辞が与えられ、照れくさくなった。
「別に…歌詞の流れを考えれば分かることだよ…。」
アキラは俺の肩を掴んで迫った。
「駿平、俺たちはお前の演奏が好きだ。一緒にバンドやってくれよ。」
俺は口をへの字に曲げて答えた。
「気持ち悪いからコボって呼んでよ。ドラマーとしては、そう名乗ってる。」
*
「アキラ、寝られないの?」
タコ部屋のリビングでじっとしていると、三木くんが水を飲みに自分の寝床から出てきた。
「コボからまだ返事が来ないからな…。」
「そっか。大丈夫だよ。ラリーまではあと1週間ある。」
三木くんはコップに2人分の水を用意すると、正面の椅子に座った。
「日付も教えたんでしょ?真面目な人なんだったら、それまでにきっと返信くれるよ。」
「だといいけどよぉ…。」
「…そんなに大切な仲間がいて、羨ましいよ。僕は東京に出てきてから、ずっと一人だったから…。」
そのとき、翔吾の部屋から奇声が上がった。
「ンニャー!壁際でハメてくんなよ!抜けらんねーじゃん!!」
俺たちは2人で顔を見合わせる。
「あいつ、ゲームやってんのか…。早く寝ろよ…。」
三木くんはクスクスと笑った。
「こうやってシェアハウスできる仲間ができて、僕は嬉しいんだ。部屋はちょっと汚いけどね。アキラはバンドのメンバーが一番だろうけど、僕にとってはこの2人が一番大切な友達だよ。」
「そうか。俺もなんだかんだ、今は楽しいよ。お互い目的地は違うけど、お互いに助け合える戦友だもんな。」
三木くんはそれを聞くと、一度表情を曇らせたように見えたが、すぐにテーブルへ身を乗り出した。
「ねえアキラ。アキラのバンドメンバーが集まったら、僕をマネージャーにしてよ!頑張って仕事するからさ!」
「ええ?マネージャー?」
俺は想定外の申し出に戸惑った。
「そうすれば、僕も一緒にアキラの夢を手伝えるよ!翔吾も誘ってさ!」
三木くんは柄にもなく興奮した様子だ。
「翔吾はまあアレ…アレだけど…。それより三木くんは、小説家になるんじゃないの?」
すると、熱くなっていた彼は、急に萎んだようになってしまった。
「言ったでしょ。僕はもう、小説家はいいんだ。今はただ、家族に心配かけたくないだけさ。母さんからは、毎月電話がかかってくる。『都会が淋しいなら、いつでも帰ってきなさいね』って。お姉ちゃんは何も言わないけど、本当は僕に仕送りの一つでもしろって言いたいと思う。でも、HOPESは文字通り、僕に希望の道を与えてくれたんだ。仲間と、仕事と。僕はここで、アキラや翔吾と一緒にずっとやっていきたい。目的地が違うなら、僕が合わせるよ!」
……そうか。
俺たちは結局、金という『中間目標』の下に集まっただけだ。この環境にいれば、高い意識を持った仲間の誰かが、『その先』の何かを持っていない者に与えてくれることもあるだろう。でも、それは……。
「『盲目の羊になってはいけない』……。」
「えっ?」
俺は浜本さんの言葉とともに、上の空で”あの日”のことを思い出していた。
*
「できたぜ!新曲、”THE WOLF”…!イカすだろ?」
俺は手書きした歌詞を全員に見せた。
「おっ!カッコイイ!…ていうか、リリックって今まで全部アキラが書いてたんだ?」
スワンがそう言って俺の歌詞を読み始めた。
「俺が作曲兼キーボードで入るまでは、コードとメロディーは本条が付けてたらしい。本条、お前ギターに才能全部取られて、作曲の方は結構お粗末だったぞ?」
「俺ははじめからギター専門だと言っている。それ以外は期待するな。」
「けどアレ…初めて会ったとき、うちのライブバーでやったやつ。アレはかなりスマートに書かれてたよね。初見でもドラム入れやすかった。」
「”You were right“か?あれも俺が書き直してやったんだよ。本条が作った残念コードをオシャレにアレンジしてな。」
「…俺はギター専門だ。」
ジョニーが本条を弄り倒している間に、スワンが歌詞を読み終えた。
「なんかアキラの作る歌詞ってさ、いつもこう…苦悩がある感じだよね。」
「そうかもな。そりゃたぶん、俺と本条の辛い下積み時代から来てるんじゃないか?」
「俺もお前も、まだ下積みだ。メジャーデビューまでの道のりは長い。」
それを聞いて、コボが「そういえば…」と言って切り出した。
「アキラと本条は小学校から一緒なんだって?どうしてメジャーデビューを目指そうってことになったの?」
「…アキラは昔から絶望的に勉強ができなかった。代わりに俺が音楽を教えてやったら結構歌が歌えるようになったから、勢いで決めた。」
「えーっおいおい!遅刻欠席常習犯が何言ってんのぉ?俺はただ教師とトラブって授業聞かなくなっただけだっての!地頭は悪くないんだよ!」
「どっちも不良だった…。」
コボが呆れたように首を振る。
「残念な本条は何か分かる気がするが…アキラは意外だな。」
「音楽を始める前のアキラは、いつも何かに怒っていた。自分の直感を信じて進んでも、大抵理不尽なトラブルに巻き込まれる。歌を覚えてからは、感情が少し落ち着いたように見えるが。」
全員が俺の方を見た。
「…俺はさ、嫌いなんだよ。大人の世界が。合理的じゃないとか、ルールに従えとか。そうやって俺の中に浮かんでくるインスピレーションの一つひとつが、ねじ伏せられていく気持ちになるんだ。だけど現実はいつも残酷で、自分の力や才能じゃ何も世の中を変えられないことを、いつも思い知らされる。そうやってそのうち多くの人が、周りの流れについて行くだけの”盲目の羊”になっていくんだ。…そうだよ、俺はずっと怒ってた。この理不尽な世界と、何も変えられない自分に。だけど、音楽だけは、俺を縛り付けてこなかった。自由だった。だから俺はその音楽で、大人が『できっこない』と言うような、自分の意志で決めた大きな夢を目指してやることにしたんだ。」
4人は、珍しく誰も茶々を入れずに俺の話を最後まで聞いていた。
「アキラ。」
ジョニーが沈黙を破った。
「俺たちミュージシャンは、みんなそうだ。これで身を立てようなんてバカどもは、揃いも揃ってみんなそうだ。その夢はもう、お前だけのものじゃねえ。」
スワンもそれに同意する。
「そうだよ。ここにいる5人、全員が一緒さ!」
本条は軽く鼻を鳴らした。
「…アキラ。お前の直感はいつもハズレて波乱を呼ぶ。こいつらを道連れに選んだことを、後先で悔やむなよ。」
「だけどその後には、巻き込まれた誰もが、その選択が本当は正しかったことを知る…。そうなんでしょ?」
最後に、コボが立ち上がった。
「約束しようよ。どんな波乱に巻き込まれても、俺たちは必ずこの夢の下に戻って来るって。たとえ道を見失ったとしても、またこの場所に、一人も欠けずに帰ってくるって。」
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