第6話 ラリー

「”A”ってのは、”アドバイザー”のこと。商品の説明をする人だな。対して”C”は”クライアント”。これはお客さんね。フツーの営業だとこの2人で成立するから”AC方式”って呼ぶんだけど、MLMはここに”B”っていう”ブリッジ”が入るわけ。」

俺と三木くんは、カリカリと熱心にメモを取る。

「Bの仕事は、Aのスパイみたいなもんだね。クライアントに寄り添うフリをしながら、上手くAの話が阻害されないように誘導する。この”伏兵”がいることによって、営業が円滑に進むのよ。それが”ABC”。」

話をしているのは、竹下組の大塚さんだ。ラフな服装と天然パーマが相まって、カジュアルな印象を与える男だが、この人は相当な胆力を持っているに違いない。俺たちはずっと、あっちの席が気になって仕方がないというのに。

「お、来たな。」

大塚さんが視線を上げると、ちょうど俺たちの背後から翔吾の声がした。

「大塚さん、出番ッス!」

「はいよー。」

二人がターゲットの席に向かうと、三木くんはコソコソと喋りだす。

「ねえ、これアリなの?ギリギリ違法じゃない?」

「う〜ん、どうかな…」

俺はチラッと例のテーブルに目をやった。茶髪の女性の隣に翔吾が、その正面に大塚さんが座ったのが見えた。

「僕知ってるよ。これ、”ブラインドアポ”だよ。2人で会う約束をしたはずなのに、現場に行ったらもう一人知らない人が待ってたってやつ。」

「大塚さんがマルチの話を直接出さなければセーフだったはず…。けど翔吾が危ないよな…。」

「口が滑ったら終わりだよ…。」

今度は三木くんがソワソワと様子を伺う。

「イヤー、こんなトコで会うなんて、ホント奇遇ですね大塚サン!」

翔吾のデカい声が微かに聞こえる。

「…ここで偶然会った設定にしたのか…。頑張ってるけど……バカだ……。」

俺はもう心の耳を閉塞いだ。



「いやー、マルチってソッコーでバレたッスね大塚さん。」

「確実にキミのせいだろっ!」

惨敗したらしい二人は、俺たちの席に来て反省会を始めた。

「いや、だって『ふ〜ん…もしかしてマルチ?』って言われたら、もう投了するしかないじゃないッスか!」

「返し方次第でどうにかなるんだよ!そういうノウハウもあるの!ほんと新星児だな!」

やり手に見えた大塚さんも、翔吾の才能には手を焼いているようだ。

「とりあえず、一応違法にならないラインはキープしてやったから…。もう彼女の”A”に僕は使うなよ。流石に2回目は無理がある。」

ふーっと溜息をついてのけぞると、大塚さんは懐から出したベープを吸い始めた。

「くそー。このままだとアキラに先を越されちまうぜ。」

「そういえば、アキラもこないだアポあったんだよね?どうだったの?」

俺はうーんと唸ってあの日の説明を始めた。





「じゃあ今は、ベンチャーで営業の仕事を?」

コボはお通しをつまみながら答えた。

「そうだよ。そこそこ上手くいってる。普通の会社に入っても良かったけど、俺はどこも職務経験が浅いから、良くても手取り20万スタートになるんだ。それから昇給していくにしても、借金を返しながらとなると、生活するのに現実的な額じゃない。今の会社は基本給18万だけど、営業成績に応じて報酬が加算されるから、30万近くもらえてるかな。それでもかなりギリギリだけど。」

「それで4000万は払い終えそうなのか?」

「あと少し昇給すれば、30年後には終わると思う。」

「30年後だって?ほぼ定年だろそれは。それまでずっとその仕事やんのかよ?」

「色々考えたんだけど、俺はこの方法が一番早く堅実に完済できると思った。アキラはどうなんだよ?また昔みたいに、バイト生活に戻ったの?」

「…そうだよ。朝から晩まで働きゃ、お前と同じくらいは稼げるからな。」

「それじゃ、俺より大変じゃないか。こっちは朝9時から17時で終わりだよ。俺は18時までやるけど…それでも帰ってゆっくりする時間はある。」

「確かに時間は厳しいけどよお…正社員と違って、自由に稼ぐ方法に手が出せる。……今だって、一気に大金稼ぐ仕事の…あー…研修中なんだよ。」

ふーん?と言って、コボは俺の目を見ずに注文用のタブレットをいじり始めた。

「それって、また俺を巻き込もうとしてる?」

うっ…。まずい、察しがいい。どこかの段階で気付かれるとは思ったが、さすがに早すぎる。なぜだ?だがいずれにしても、こうなれば前に出るしかない。

「…コボ、借金返してジジイになってちゃ、話にならないんだ。時間は戻らない。いっときでも早く奴らを呼び戻して、それでまた全員で合計2億の完済を目指すんだよ。」

「……どうして”お前たち”はそうやって危ないものばかりに手を出すのか…。」

コボの手が止まった。

「アキラ、俺はお前と出会った日のことを覚えてるよ。どこかの素人が開催した寄せ集めのセッション会。全員趣味の社会人だったからヘタクソだったけど、楽器はいいのを使っててさ。その中に、参加費無料って理由でお前と本条がやって来て、ボロい格好で一番いいプレイをしたんだ。」

そうだったな…。俺は懐かしい光景を思い浮かべた。

「駆け出しのバンドマンっていうのは、そういうものなんだろう。なんとか日銭を稼いだら、残りの時間は練習するんだろうよ。お前はそうやってしぶとく生き延びて、宝くじの恩恵を手に入れた。…だけど、それは結局ただの運だよ。しっかりと地に足を付けて得た金じゃなければ、すぐに離れていく。それは2年前、俺たちが理解したことだろう?見ろ、お前は今、金がないどころか、多額の負債を抱えてる。昔よりも状況が悪化してるじゃないか。それなのに、また危険な橋を渡ろうとして、今あるものさえ落としてしまうつもりか?」

…ぐうの音も出ない。そんなこと、俺だって分かっている。

「アキラ、俺たちは大切な友人だ。金を失った俺たちには、もうこれしか残ってないんだ。その友人を、俺は失いたくないよ。」

そうか…そうだよな…。俺は何もないテーブルに目を伏せた。

俺は取り返しのつかない過ちを犯そうとしていたのかもしれない。こうして一緒に酒を飲めるやつらがいる。それだけで幸せなはずなのに…俺はどうして……。

………どうして?

そのとき、吉岡さんの言葉がフラッシュバックした。


『金に追い込まれた人間が、それでもまだ仲間だけは手放さず、再び夢を追って飛び立てるのか、そんな未来が俺にもあったはずなのか、それを確かめてみたい。』


俺は真顔で問い詰めた。

「…コボ、お前もしかして…”あの日”決めた俺たちの約束を忘れちまったのか?」





「…で、その後なんて言われたの?」

「話題を逸らされた。そこからはもう俺も何も言えなかったから、普通に飲んで解散したよ。」

それを聞いて、翔吾はやや嬉しそうに声を上げた。

「なんだよ、アキラも惨敗じゃん!」

大塚さんはベープをしまうと、椅子に浅く座り直した。

「そんなこともねーぞぉ。営業力ってのは”粘り強さ”だからな。一度躱されたくらいじゃ負けに入んないの。」

「そうだよアキラ。その人は借金の返済まで30年かかるんでしょ?営業の仕事って大変だから、そんなに長くは続けられないし、ベンチャーならいつか潰れてもおかしくないよ。どっちにしても、収入源は複数あった方が安定するはず…。」

「そうか…そういう口説き方もあるのか…。」

俺が感嘆していると、大塚さんがニヤリと笑った。

「三木くん、キミ、何の動物?」

「え?えっと…”信念の仔鹿”…です。」

「なるほど。仔鹿は駆け引きが上手い。”A”向きだな。それに対して…。」

大塚さんは俺と翔吾を二本の指で差した。

「陣内は”献身の猿”。盛り上げ上手で”B”タイプ。西戸くんは…何のペガサスだっけ?」

「”波乱”です。俺の動物、よく覚えてますね。」

「ペガサスはレアだからな。12の動物で構成された『魂の円環』と呼ばれるサイクルは”狼”から始まり、”ペガサス”で終わる。君の魂は現世で様々なことを体験し、最後にはまた、狼の元に還ろうとしているんだ。ま、スピリチュアル上ではね。とにかくキミも直感型で、”B”タイプだ。」

「AとかBとかって何スか?」

「…あー、陣内には後でもっかい説明するから…。とにかく、ABCにおいて重要なのは、役割分担だ。Aの仕事は論理的に説明すること。ビジネスの基礎が固まってない新入りには基本的に任せないから、今はまだアップに頼ってくれ。これは俺たち竹下組の連中が大得意だ。問題はB。こいつの仕事は、『感情で誘う』ってこと。」

「感情で…誘う……。」

俺はコボとのアポを思い返した。

「さっきのアポで振り返ろうか。今日の”C”は、陣内の元バイト先、キャバクラ嬢の子だった。陣内、なんでその子を選んだ?」

「え?カワイイから仲間にしたかったんで。あと、最近散財して金に困ってそうだったから。」

「最低だよ…。」

引き気味の三木くんを、大塚さんは右手で制する。

「いや、いいんだよそれで。『仲間にしたいから』に野暮な理屈はいらないだろ?君はその熱意だけ持って現場に来ればいい。そしたら、Aである僕が、『金に困っている』って弱点を突いて理屈で仕留める。これがチームプレイさ。」

「まー、仕留め損なってたッスけどね。」

「チームの連携を乱したのは誰だ…?」

この二人は今後共演NGだろうが、仲は良さそうだ。

「でも…僕はA向きだって仰いましたよね?それは、僕にはブリッジは難しいってことですか…?」

「安心したまえ。僕たちが何のために徒党を組んでビジネスをしてると思ってる。これを見ろ。」

大塚さんは自分の鞄から、1枚の資料を取り出した。見出しはこう書かれている。

“関西連主催!友志の会×HOPES合同ラリー”

「関西連?」

「ラリー…?」

俺たちは3人で顔を見合わせた。

「関西連についてはそのうち説明するとして…大事なのはこの『ラリー』!タイトルアップした者を祝福するパーティだ。」

「タイトルって、PDとか何とか言ってるやつッスよね?」

「そう。PDは”プレジデンシャルディレクター”の略で、自分の下におよそ100人の部下が付けば与えられる。この上はさらに”ルビー”、”サファイア”、”エメラルド”…と続いていき、現在世界最高タイトルは”トリプルダイヤ”だ。」

「おーっ!なんかかっけーッスね!」

三木くんは首をかしげる。

「でも、うちの組長クラスでも、まだまだってこと?」

「HOPESは設立よりわずか3年でサファイアを獲得したボスが率いる組織で、RELIFEには参入したばかりなんだよ。これからもっと駆け上がるさ。現に、今回のラリーにおける目玉は絵理香さん!今年の頭に晴れてルビーとなったわけだ!」

「ねーっ!すごいでしょ?褒めて褒めて!」

ぎょっとして全員が一斉に顔を上げると、そこには話題の張本人が立っていた。

「エッ…リカさん!どうしてこの店にっ!」

大塚さんが急いで立ち上がったので、俺たちも腰を上げようとしたが、エリカさんがそれを制止した。

「ホームじゃないから静かにね。ほら、ラリーの打ち合わせとかあって長時間だから、カフェの方がいいかなと思って。」

見ると、浜本さんも後ろに立っていた。

「金曜のわどうは一般客が多い。店主も回転率を気にしているから、我々が居座ることはできない。」

どうやら、店側と組織の暗黙の了解があるらしい。確かに、今までもミーティングは金曜が避けられていた気がする。

「あ、そうだ!三木きゅん、参加できそうなイベントは見つかったかな?」

「えっと…はい、ダーツとか…焼き肉とか…。」

「焼き肉いいな~!私も行きたーい!あ、合コンとかもどう?」

「合コンはちょっと…。」

翔吾が怪訝な顔をしている。

「合コン?何の話?」

「ちょっとね。ほら僕、リストが埋まらなかったから…。エリカさんに別の作戦立ててもらってるんだ。」

「リストが埋まらなかったら合コンに行けるのか??」

翔吾が関心を持ち始めたので、俺はエリカさんに席を譲った。大塚さんが浜本さんのために席を空けようとしたが、浜本さんはそれを拒んだ。

「私はいい。アキラと少し話があるから、向こうの席に座るよ。ありがとう。」

コボの話だろうか?俺も今後の作戦を相談したいと思っていたので、浜本さんについて奥の2人席に座った。

「さて、アキラ。君のアップ、高橋くんのことについて話をしておかなければならない。」

俺は完全に忘れていた彼の名を聞いて、「あ、そういえば」と漏らしてしまった。

「結論から述べると、彼は組織を脱退してしまった。我々も説得を試みたが、彼は黙って居なくなる道を選択したようだ。君の仕事仲間を失わせてしまい、すまない。」

浜本さんは何か複雑な表情をして言った。

「いえ、俺は大丈夫です!個人の選択ですから。誰にも止められませんよ。」

それを聞くと、浜本さんはテーブルの上で指を組み、体重を乗せて迫ってきた。

「君は率直に、この組織をどう思う?犯罪まがいの胡散臭いビジネス集団だと思うかい?」

「い、いえ…そんなことは…。みんないい人ですし、法律には気を付けてるし、ボスはちょっと怖いですけど…浜本さんだって親切にしてくれるし…。」

浜本さんは体勢を元に戻した。

「私は親切か……。”波乱のペガサス”、アキラ。この組織の上層は複雑に入り組んでいる。新入りだからと言って、盲目の羊になってはいけない。誰を信用するのか、疑うべきなのか、常に自分の直感で嗅ぎ分けるんだ。無論、私に対しても。」

「?………。」

俺が圧倒されて押し黙っていると、浜本さんは急にいつもの爽やかな声に戻った。

「さて、今のはオフレコだ。ところで、小堀くんのアポはどうだったかな?」

「あ…えっと、そうですね。正直、かなり分が悪いです。実は…。」

俺は、先刻と同様に、その日の説明をした。

「そうか、なるほど。彼は仲間たちとの夢を諦め、堅実な生活を望んでいるようだね。」

「そうなんです。でも、大塚さんから教わりました。感情で誘うのがBの仕事だって。俺がもっと熱心に説得できれば良かったんですが…。なんだか、こちらの方が説得されちゃって。」

「”感情で誘う”か。実にヤマトの組員らしい表現だ。アキラ、気にすることはない。出会って数週間の我々より、数年来の友人に共感することが過ちであるはずがない。だが、もしそれでも君がこの道に希望を見出すというのなら、以前話したとおり、私の力を惜しみなく捧げよう。」

「ありがとうございます。…ですが、浜本さんにAをお願いするには、まず俺がアポを繋げないと…。」

「その通り。だから、君のB力不足を補うため、人を”感動させる”最大のイベントを利用することにしよう。」

俺はあっと閃きの声を上げた。

「そう、それがラリーの真の目的だ。」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る