第3話 波乱のペガサス
「うい~っ!ビールもう一本お願いしま〜す!あれっ、あなた髪質いいね!」
きらびやかな装いをした30代と見える女が、空ビンを片付けに来た若い店員に絡み出した。
「エリー、やめなさい。迷惑になるでしょう。…店員さん、失礼しました。ビール2本、追加でいただけますか?」
メガネの男が、店員を無事に下がらせると、全く…と呟いて席になおった。
「ちょっと〜。私をクソ客扱いにしないでよ。もう私よりタイトル下のくせに〜。」
「あなた、私の部下を散々踏み台にしておいて、よく調子に乗りましたね。これからはしっかり労働力を返済してくださいよ。…とはいえ、あなたは”A”としてはポンコツなので、使い所がありませんが…。」
「おい〜!うちの組にも理論派は多少いるでしょうが!適材適所なんだからいいでしょ!」
「全く…。”四門下”の中で一番のズボラが最初に大出世とは…。やはりこの界隈は分からないものですね。本来、最もバランスが良い浜本組が有望なはずなのですが…本人の性格があれですからね…。おっと、噂をすれば。」
男は今しがた店に入ってきた同僚に、軽く手を振って場所を知らせた。
「お疲れ様です、浜本。相変わらず忙しそうですね。」
浜本は女の隣に座りながら、荷物を置きはじめた。
「ヤマト、エリー。遅れてすまない。昼過ぎからABCが1件と、事業の打ち合わせがあってね。」
「それで?ゲストの動員はうまくいったの?」
「ああ、高橋くんが同年代の男の子を1人連れてくる。」
「ということは、今日は新規3人ですか。いずれも1度はボスにアテンドするようタイミングを調整しましょう。」
「とりあえず、みんな私のとこに回してもいいよ!全員私がサインさせるから!」
「エリー、それは本人たちが決めることだ。」
「その意思を誘導するのも、私達の仕事です、浜本。」
しばしの沈黙が走った。
「ま、どっちでも同じだって。結局はただの巡り合わせなんだから。さ、そろそろみんな集まってくるよ。」
*
カフェでの話し合いの後、高橋くんはどうしても外せない用事があると言うので、待ち合わせの時間だけ告げてどこかへ去ってしまった。テキトーに時間を潰した俺は、集合場所である「わどう」という名の、奥まった路地にある居酒屋の前に来ていた。時刻は午後6時10分。
「高橋くん、遅いな…。連絡くらいよこしてくれよ…。」
仕切りに携帯を確認していると、後からやってきた背の高い男が、見かねたように話しかけてきた。
「こんばんは。待ち合わせ…ですか?」
「あ…ええ。もしかして、”HOPES”の方…ですか?」
恐る恐る尋ねると、男は安心したように微笑んだ。
「あ、そうです!新規の方ですね?どこの組ですか?」
「え?あー…組とかは分からないですけど…。見学に入るのに、高橋さんを待ってるところです。」
「高橋さん…ああ、浜本組ですね。うーん、彼は今…そうか、なるほど…。」
彼が何かを考えている間、後ろから不安そうな顔をした若い男の子が顔を出した。この子も今日連れて来られたのだろうか。軽く会釈すると、むこうも曖昧に返してきた。
「…うん、アキラさんも僕と一緒に入りましょう。ちょうどこちらにも新入りがいますから、二人共案内しますね。」
「え、いいんですか?高橋くんからまだ連絡が来てないんですが…。」
「大丈夫ですよ。僕の名前は藤崎といいます。さあ、二人共緊張しないで、安心してついてきてください。」
穏やかに微笑んだ彼は、さっと入口のドアを開けて、手をこまねいた。ホールは地下にあるらしく、藤崎さんは「足下に気を付けて」と言いながら暗い階段を進んでいく。
先に浜本さんを見ていたこともあり、ネットワーカーというものはもっとビジネスマンのギラギラした空気を纏っているものかと思っていたが、この藤崎という人は、見るからに「まともで普通」だ。だが、一点だけ気になることがある。俺、まだ名乗ってなかったはずだよな…?なんで名前がバレてるんだ?
店の中は、「古き良き」といった感じの内装で、想像していたよりもかなり広い。席はほぼ満席のようだ。
「さて…そうだな。ボスはまだ到着していないので、PDのお二人とエリカさんに挨拶に行きましょうか。」
「PD?」
組織の構造自体は不明だが、おそらく上位クラスの人間だろう。最奥の座敷部屋に案内される通路の途中で、テーブル席に座っていたヒッピー風な服装の男が話しかけてきた。
「おう!藤崎、見ろよ!こっちの新入りは有望だぜ!たったの15分でサインしちまった!」
男に肩を組まれている金髪の青年が、ビールジョッキを片手にウェイウェイしている。
「ハドさん、あんまりいじめないでくださいよ。竹下組でしょその子。」
「いいんだよ。ヤマトさんとこは、頭脳派が多すぎる!こいつはいい起爆剤になるぜ。」
「やれやれ…。もう座敷には通したんですか?」
「おう。エリカさんで一撃よ。速攻終わって、もうフリーだと思うぜ。」
「そうですか。なら次は、この子達を順番に通しましょう。ハドさんもうヒマでしょ?先に僕がアキラくんを連れて行くので、その間三木くんを頼めますか?うちの組の子です。」
「おっいいぜ!とりあえずここ座りな!」
俺と一緒に入った子は、三木くんというらしい。明らかに怯えていたが、強すぎる陽の気に押されて、結局同じテーブルに座らされていた。
「では、アキラくんはこっちです。」
俺は犠牲になった三木くんを偲びながらも、次は自分の身を案じざるを得なかった。こうして新入りは強引に酒の席で捕われ、サインするまで帰れないようにするのだろうか。いや、俺はちゃんと”見学”だと伝えたはずだ。いざとなれば浜本さんと話して、なんとか解放してもらうしかない。
あらゆる生存戦略をシミュレーションしているうちに、俺はとうとう一番奥の座敷部屋に連れてこられた。
「エリカさん、次の新入りです。お時間よろしいでしょうか。」
藤崎さんが部屋の奥に顔を覗かせながら伺うと、「はいはーい!」という底抜けに明るい声が返ってきた。
「失礼します。」
俺は藤崎さんに倣い行儀よく座敷に上がった。
この部屋も想像より広かったが、中にいたのはモデルのように美しい女性1人が顔の近くで手を振っているだけだ。顔に似合わず、テーブルには大量の枝豆とビールジョッキが置かれている。
「いらっしゃい!どうぞどうぞ!あっごめん、テーブル汚くて!」
俺は誘導されて女性の正面に、藤崎さんは俺の隣に着席した。
「山口です!よろしくね!」
「西戸アキラです。よろしくお願いします。」
「枝豆たべる??」
「え?ああ、じゃ…いただきます…。」
俺が枝豆に手を付けると、横で藤崎さんがブフッと吹き出した。
「エリカさん、浜本さんと竹下さんはどちらに…?」
「あー、剛は仕事の連絡が入って、どっか行っちゃった。ヤマトはボスのお迎え〜。」
頼みの綱である浜本さんがいないことに不安を覚えたが、この女性なら話しやすそうだ。しかし、あの金髪青年を一撃で沈めたというらしいから、油断は禁物だ。
「アキラくんは高橋くんの紹介で、我々の事業に興味があるため見学に来たそうです。MLMであることは伝え済みです。」
「うん、大丈夫。確認してるよ。そっかあ。マルチ商法だけど、嫌じゃない?平気?」
ズバッと切り込まれた。こういうのって、もう少し遠回しに聞くんじゃないのか?浜本さんはもう少し慎重だったぞ…。
「えーっと…。率直に言えば、不安はありますよ。業界自体には、良い噂を聞いたことがないので…。」
「そうだよねー。私も最初そうだったよ。昔アパレルで働いてたとき、職場の友達が誘ってきてさあ。仲良かったから、すごい嫌だったなぁ…。」
「そうなんですか?」
「うん、何か急に目の色が変わったみたいっていうか…いきなり話が通じなくなった感じ?怖かった…。」
この人、大丈夫だろうか。今から俺をそのマルチ商法に勧誘できるのか?
「でも結局始めたんですよね?」
「ここに入ったのは28のときだから…その勧誘の4年後かな?あ、もちろん違う団体だよ?結局お金が欲しくなったんです…。」
「そ、そうですか。」
「頑張ればいっぱい稼げるよ!頑張らないと全然稼げないけど!どう?入る?」
「いや…ちょ…まだ全然分かんないです。」
藤崎さんが笑いをこらえながら、フォローを入れてきた。
「アキラくんは、元起業家です。稼げるビジョンが見えるまでは、手を出さない方が賢明なことを知っている人ですよ。」
俺は確信した。俺の情報が絶対に漏洩している。
「そっか、そうだよね!う~ん…まあ、細かいことはヤマトに聞けばいいよ。とりあえず最初のうちは、『お金欲しい〜!』って人を私のとこに連れてきてくれたら、それでお仕事終わり!簡単でしょ?」
「はあ…。」
「アキラくんもお金欲しいよね?」
「めちゃくちゃ欲しいですよ。具体的には4000万ぐらい欲しいですね。」
「あ、私4000万円持ってる!いいでしょー。」
なんだこの人…。
「4000万円ね、稼げるよ。私は今、組織で2番目に偉い人なんだけど、ここまでくればもらえるよ。”DREAMS COME TRUE”だね!」
そのとき、店内の喧騒が明らかに薄らいだ。藤崎さんが廊下の様子を伺う。
「到着されたみたいですね。」
どうやら、誰かがこの座敷に向かってくるようだ。あちこちから、「お疲れ様です」という挨拶が聞こえてくる。
「そしてあれが1番偉い人。私達のボスだよ。」
座敷に黒服の大男が現れた。
藤崎さんとエリカさんが立ち上がり、俺も慌ててそれに従った。
「ボス、お疲れ様です。」
打って変わって礼儀正しい口調になったエリカさんを見て、緊張が走る。
ボスと呼ばれた男は藤崎さんに鞄を預けると、空けてあった一番奥の席に座った。
「エリー、新入りか。」
「はい。浜本組、MLM済、サインまだです。」
俺はエリカさんに連れられ、ボスの正面に座らされた。胃がどうにかなりそうだ。
ボスが無言でゆっくりとタバコを出すと、エリカさんはすかさず火を点ける。
そのまま信じられないほどの沈黙を置いた後、ボスはようやく口を開いた。
「いくら欲しい?」
強烈な圧迫面接だ。返答次第で採用・不採用が決まるのか?どれだけ意識の高い目標を掲げているやつなのか、値踏みしているのか…?
いや、ビビるな。俺は別に合格したいわけじゃない。この組織を値踏みしているのは、俺の方だ!
「俺の夢が叶えられる分だけです。」
再びボスはシューっとタバコを蒸した。エリカさんも何も言わない。長い沈黙の後、俺は最後に一言だけ告げられた。
「マヒロのところへ行け。」
あっという間に面接が終了し、俺はまた藤崎さんに連れられて手前のホールに戻ってきた。藤崎さんは、別のメンバーと話を始めた。
「今日、吉岡さん来てるんですか?」
「あ、そういやカウンターでずっと1人で飲んでるの見たわ。珍しいな、いつも来ないのに。」
「ボスからのアテンドなんですが…吉岡さんってABCとかやってるんですかね?」
「そんなことあるんだ…。”ペガサス”同士だからかな?とにかく、ACしかやらないって話は聞いたことがあるよ。T-upだけ終わったら、藤崎さん不要かも。」
「…了解です。」
知らない用語ばかりで、一体何のやりとりなのか理解できず困惑している俺を見るなり、藤崎さんは説明を始めた。
「えーっと…うちの組織は基本、ボスの直属門下である、エリカさん・竹下さん・浜本さんが率いる3つの組で構成されているんですけど、この3人と同格の人物が他に1人だけいて、それが吉岡真弘という方なんです。自分の部下をHOPESにほとんど連れてこないので、完全に独立していて謎に包まれていますが、ボスと特別に関わりがあるという噂を聞いたことがあります。」
ボスが店に入ってきたときのメンバーの反応を見る限り、この組織は厳格に統制されているようではあったが、中にはそういったワイルドカードもいるようだ。俺はカウンター席の隅で粛々と日本酒を飲んでいる男の元に案内された。
「吉岡さん、お時間よろしいですか?ボスからのアテンドです。」
男は眉一つ動かさず、首だけこちらに向けた。
「ボスからか…それならブリッジは不要だ。」
「分かりました。よろしくお願いします。」
それだけ会話を交わすと、藤崎さんはサイン用の書面を置いて、去ってしまった。俺は男の隣に座った。
「誰の紹介で来た?」
「高橋くんです。浜本さんの組…?です。」
「そうか、お前がアキラか。新規参入見込みの者は”ゲスト”と呼ばれ、こういった組織の内部には予め情報が共有されている。今後、個人情報の管理には気を付けろ。」
やはりか…。それを組織内部の人間が忠告してくるとは、噂通りの異分子だ。
「誕生日も高橋に教えたな。それで俺にアテンドしてきたんだろう。運命だの御縁だのいう考え方も、俺には理解できないが。」
「占いか何かですか?」
「この界隈では、動物占いという生年月日による相性判断が用いられることが多い。お前は”波乱のペガサス”という区分に該当する。俺と同じだ。」
そういえば、ペガサスがどうとか言っていたな…。
「本当に信じている奴も多いが、あれはそれぞれにアイデンティティーを与えて組織図に組み込みやすくするためと、単に話題の糸口に利用するためだ。スピリチュアルに依存する人間がビジネスで成功できるわけがない。」
吉岡さんは落ち着いた動作で酒を傾けた。
「吉岡さんは…どうしてここでMLMをやっているんですか?」
「俺は一度、全てを失った人間だ。他に選択肢がなかった。お前もそうなのか?」
「僕も…事業で4000万を失いました。仲間全員分を併せると、2億です。それを完済して、もう一度奴らと夢を追いかけなきゃいけないんです。」
「そうか。なら、お前は俺とは違うな。やはり占いなんて当てにならない。」
「違いますか?」
「俺が失ったのは”全て”だ。だがお前は違う。お前には、負債を分け合えるほどの仲間がいる。」
「……。」
そう…そうだ。俺はまだ…失っていない…。
「俺はお前が組織に入ろうと入るまいと、どちらでも一向に構わない。俺には文字通り1円も損益がない。だが、お前がここでもう一度仲間たちを集結させる意志があるというのなら、俺はただ、その姿を見てみたいとは思う。MLMに手を出すほど金に追い込まれた人間が、それでもまだ仲間だけは手放さず、再び夢を追って飛び立てるのか、そんな未来が俺にもあったはずなのか、それを確かめてみたい。」
俺は放心状態になった。
「どちらでもいい、アキラ。だが、どれほど金に暴力を振るわれようと、決して大切なものを見失うな。それだけ分かっていれば、たとえいっとき脇道にそれたとしても、最後は必ずあるべき場所に辿り着ける。」
たとえいっとき脇道にそれたとしても……。
俺は藤崎さんがカウンターに残していったサイン用書類を、じっと見つめた。
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