第2話 HOPES

「見てください!僕が掘っていたところから、お金が出てきましたよ!」

現場でメガネくんと呼ばれている、いかにもという感じの歴史オタクが、興奮しながらプレハブに帰ってきた。

「すごい価値があるものかもしれません。」

「あー…まあこの現場なら、せいぜい100年前ぐらいの硬貨だと思いますけどね。」

俺は昼飯のコンビニおにぎりをモシャモシャ食いながら適当に返事をした。

「売ったらそこそこの額になるんじゃないっすか?」

「売ったらダメですよ。職長に見てもらってきます!」

メガネくんが去り、ハブの中は2人だけになった。俺の対角線上に座っているのは、1歳年下の高橋くんという青年だ。

「アキラさん、今月はほとんどフルでシフト入ってますよね。夏場なのに、よくやりますよホント。」

「みんなが入らないときがチャンスですからね。希望した日程全部入れてもらえるし、ユンボの補助員にしてもらえれば、ほぼ突っ立ってるだけなんで。」

「立ってるだけってのも、しんどいもんじゃないですか。……今日、終わったら疲れを癒やしに、飲みに行きません?」

「いや、このあと別のバイトあるんスよ。スンマセン。」

俺は遺跡の発掘現場と船舶の清掃バイトを掛け持ちし、毎日16時間働く生活を続けていた。この2週間ほどは特にシフトを詰め込んでいて、何度か日中の現場でブッ倒れそうにもなったが、明日は久々の1日オフだ。そこで疲れを全てリセットしてやる。

「金…結構ヤバイんですか?」

高橋くんがラフな口調で核心をついてきた。この現場は訳アリのアルバイトが集まる掃き溜めなので、プレハブ内は無礼講だ。

「ヤバイなんてもんじゃないッスよ。自分で作った会社が2年前に倒産して、4000万の借金があるんで。」

「えっ…そうですか…なんか…スイマセン…。」

俺が思ったより訳アリだったことを知った高橋くんは、しばらくそのまま空気を読んで黙ってしまった。まあいい。別に隠してるわけじゃないし、聞かれたから答えただけだ。第一、20代における4000万の借金というのは、絶対に返せない額じゃない。普通に正社員にでもなれれば、そのうち返済を終わらせられるだろう。だが、問題はそこじゃない。もう一度夢を追いかけるには、返済した後60歳じゃ意味がない。

「あー…なんか、ドカンと一発大金が手に入る、夢のような仕事とかないっスかねー…」

ほとんど独り言のようにうめき声を上げると、沈黙していた高橋くんが、急に再びこちらを向いた。

「あるって言ったら…やります…?」

彼は怪しい目つきをしていた。こいつ、もしかして俺より訳アリなのか?

「…いや…犯罪はナシよ?刑期で寿命が減るのはマズいんで。」

「犯罪ではないです。もし興味があるなら、やっぱり明日飲みに行きましょう。仕事の先輩も呼んで、説明してもらいます。」

明日ってお前…。

「まあ、空いてますけど。」


清掃の深夜バイトから帰ってすぐ、気を失うようにベッドに倒れ込んだ俺は、翌日の昼過ぎに起床した。スマホを確認すると、高橋くんから連絡が来ていた。

『おはようございます。今日は15時半から、新宿のカフェに集合でお願いします!駅に待ち合わせでいいので、絶対遅れないでくださいね!あと、服装はスーツでお願いします!』

……15時半...?早くね?

目覚まし時計を確認すると、既に13時を回っていた。俺はウオォとうめき声を上げながら体を起こすと、ちゃぶ台の上に残っていたスナックを適当に噛み砕いてクローゼットを漁る。積み上がった衣類の中から、社長時代に使っていたボロいスーツを発見すると、タバコを1本だけ吸って着替え、すぐに家を出た。



「あ、ちゃんと間に合いましたね。」

新宿駅東口でスマホをいじりながら待っていた高橋くんは、ホッとしたように駆け寄ってきた。

「ねえ、なんで夕方前なんすか?ちょっと飲むには早くない?しかもカフェってさ…。」

高橋くんは、明らかにまだ覚醒しきれていない俺の小言を諌めた。

「まあまあ。この後来る仕事の先輩がお忙しい方で、この時間なら合わせてくれるそうなので。とりあえず、先に席を確保しときましょう。」

俺と同じくスーツに身を包んだ彼は、さも馴れているかのように、入り組んだ小さな路地に案内した。


駅から歩いて10分ほど、普段入らないような高級喫茶店に案内された俺は、窓側の4人テーブルの片側に座った。高橋くんは俺の正面に座り、手際よく店員を呼んでメニューを受け取った。

「アキラさん、何を飲みますか?」

「うわっ、高いな…。うーん、じゃあアメリカンコーヒーで…。」

「では、アメリカンコーヒーを2つお願いします。」

注文を受けた店員が下がると、高橋くんが早速話を切り出してきた。

「アキラさん、今日お呼びしたのは、ビジネスの達人です。浜本さんという方で、元は公務員をされていましたが、若くして独立開業し、数年のうちに開業コンサルとなりました。」

「ほう…。」

「もうじき到着されると思いますが、くれぐれも失礼のないようにお願いします。途中でお手洗いやタバコはナシで…あっ…」

そう言うや否や、高橋くんは急に突かれたように立ち上がった。

「お疲れ様です!」

振り返ると、緑色のスーツに身を包んだ短髪の男が店に入ってきていた。俺は高橋くんに倣い、立ち上がって一礼した。

「お忙しいところ、お時間いただきありがとうございます。西戸アキラと申します。」

畏まる俺に対し、男は爽やかな笑みをたたえた。

「浜本剛です。こんな礼儀正しい方とお会いできて光栄だ。でも固くならなくて大丈夫。さあ座って。」

高橋くんは席を浜本さんに譲ると、俺の隣に席を移した。その後、再び店員を呼び、追加のコーヒーを注文すると、あれやこれやと浜本さんの世話をやく。

「さて、アキラくん。今日はどういった文脈で私達がここに集まったことになっているかな?」

「えーっと…。僕が金に困っていることをバイト仲間の高橋くんに話したら、稼げる仕事があるって言うので、お話を聞きに来ました。」

「なるほど。アキラくんは、お金に困っているのかい?」

「そうですね…。立ち上げた事業が2年前に潰れて、その借金が4000万ほど…。まだほぼ返せてない状況です。」

高橋くんが横から補足を入れる。

「アキラさんはバイトを掛け持ちしてて、毎日朝から夜まで働いているんです。」

「そうか。このまま借金は返していけそうかな?」

「いえ、バイトだと厳しいですね。」

「何か他に手を打とうと思ったことは?」

「考えたことはありますが、なにせ事業に失敗してこの状況なので、これ以上リスクのある手段は正直取りたくないです。」

俺はさっさと「稼げる仕事」とやらの内容が知りたくて、ポンポンと話を進めた。

「分かるよ。大きなリターンを期待するには、それ相当のリスクを負う冒険が必要になる。至極正常な考え方だ。だが、君の失った資産は、まさにその冒険によって瞬間的に受けた大きなダメージであって、逆にこれを堅実に復旧しようとすれば、残りの人生の大半をその作業だけに捧げることになってしまう。君には他に叶えるべき夢や目標がないのかい?」

もちろんある。俺はそのために、こんなボロボロになりながら働いているんだ。こんなことをしていても埒が明かないのは確かだが、次にまた起業でもして失敗しようものなら、それこそ再起不能になる。俺はバンドの話、仲間との約束の話をし、この対談は小一時間に及んだ。


「なるほど。大体状況が把握できたよ。」

浜本さんは全く手を付けていなかったコーヒーを、ようやく一口飲んだ。

「つまり君は、その4人の仲間たちをもう一度集結させなければならない。だがその前に、各自が背負った4000万の借金を清算する必要があると考えているね?」

「違うんですか。」

「君は自分の4000万を処理するのにこれほど苦労している。それは、他の4人にとっても同じだということだ。つまり、君が仮に自分の清算を終えることができたとしても、残りのメンバーがそうでなければ、それをずっと待ち続けなければならない。」

「そう…ですね…。」

俺は返済が終わった者から順に、残りのメンバーを助ける形になるのだと漠然と考えていたが、各自の進捗が分からない以上、集結の目処は立たない。

「私の提案は、先にもう一度仲間たちを集め、合計2億円の完済を全員で目指すことだ。」

「それはつまり、また起業するってことですか?」

「その通り。だが君は、そのリスクを恐れているんだろう?アキラくん、我々が漠然と”リスク”と呼んでいるものが厳密には何なのか知っているかな?この正確な定義とは、『被害の大きさと発生確率の乗算』なんだ。投資やギャンブルなどをイメージしてみれば、賭け金がほぼ等しく損益に影響する事実は変わらないことが分かる。つまり、『被害の大きさ』を変えることはできない。だが、どうすればその賭けに勝ちやすくなるかを勉強することはできる。『被害の発生確率』は知識によって変えられる。」

高橋くんが横で必死にメモを取り始めた。

「2年前の君たちには、知識がなかったのだろう。だが”我々”はそれを持っている。既にリソースのある団体の傘下に入れば、リスクを大きく下げることができる。」

「その団体というのは?」

俺はもう空になっているコーヒーを飲むフリをした。

「ネットワークビジネス集団だ。」

高橋くんの体が一瞬強張ったように見えた。

「でしょうな。」

誰も使わなかった灰皿を手繰り寄せ、俺はタバコに火を点ける。

「アキラさん…!」

焦り出す高橋くんを制し、浜本さんは爽やかな口調のまま話し始めた。

「それが何かは知っている様子だね。さすが、元ビジネスマンだ。」

「マルチ商法のことッスね?」

「その通りだ。正式にはMLMと言う。」

ぶっちゃけた話、寝起きの頭でもここに来る電車の中で、その可能性は考えていた。

「気に入らないかな?君はマルチ商法とネズミ講の区別はついているだろうか。」

「詳しくはないですが、マルチが違法じゃないってことは知ってますよ。あと知ってるのは、99%がピラミッドの底辺で養分にされて終わるってことだけです。」

大学卒業してから、ときどき同窓生のそういった話を耳にしていた。実際に自分が勧誘を受けたのは今日が初めてだが、よりによってそんな成功確率が低いものに手を出せるわけがない。

「君は、そのピラミッドを登ってやろうとは考えないのかい?私は音楽のことは分からないが、君たちがバンドで目指す夢の頂点に辿り着くことは、その1%に入る程度の努力より簡単なのかな?」

「………。」

もちろん、そんなはずはない。俺が宝くじを引き当てるまで、どれほど希望が見えずに這いつくばっていたか、誰かに説明できるようなものじゃない。

「私は、幼い頃に父親を失くした。仕事帰りに逃走中の暴漢と出くわし、止めようとして刺されたんだ。正義感の強い人だった。私は成長し、警察官になった。笑うかもしれないが、私の夢は、この国から犯罪を無くすことだったんだ。それこそ途方もない目標だろう。だけど、働いているうちに理解したんだ。警察なんて内部でも不正や取引がある。この世は金で動いている。」

初めて目線を外し、テーブルの一点を見つめながら話す彼の姿を、俺は黙ったまま見つめた。

「だが、私はそれを知って腐ったわけじゃない。金が世を動かすというのなら、自分が金を操れるようになるしかない。私は警官を辞めて、ネットワーカーになった。そしてようやく、現在は犯罪抑止のためのNPOを自己資金で運営するまでに上り詰めた。」

浜本さんはそこで再び顔を上げた。

「アキラくん、私は父親に似て正義感が強くてね。上手いことを言って人を誘導したり、説明をわざと省いて騙したりすることが大嫌いだ。君の言う通り、このビジネスは誰でも簡単に大金が手に入るといった類のものではない。だけど私自身は、まるで途方もなかったほどの夢を叶える第一歩を踏み出せる確率を、このビジネスで1%まで引き上げたんだ。君が組織に入れば、私の養分になるだろう。ならばその代わり、私も君の養分になろう。私が空いている時間を、惜しみなく君の0%を1%にするために捧げよう。これは私にとって勧誘ではない。取引だ。」

俺の中で、色々な考えが動転した。1%…。確かにそう考えると、これはとんでもない確率だ。とんでもなく…高い確率だ。ただ人生を穏やかに消化していくだけなら、全くもって割に合わないが、俺の…俺たちの夢は、それをくぐり抜けたもっと先にあるのだから。

俺の沈黙を高橋くんが破った。

「アキラさん、今日このあと、組織の会合があります。一緒に来ますか?」

「……試しで行って、無理そうなら帰る権利はあるんですよね?」

浜本さんは再び爽やかな笑顔で握手を求めてきた。

「当然だよ。お試し、歓迎する。居酒屋に入ったら、”HOPES”の見学だと伝えてくれ。」





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