ミリオンデッターズ
野志浪
アキラ編
第1話 解散
「ワン、ツー...」
暗闇の中でドラムスティックの小気味よいカウントが響く。
「ワン・ツー・スリー・フォー!」
ステージが一斉にライトアップされ、オーディエンスが歓声を上げる。冒頭から度肝を抜くようなソロを華麗に見せつけるギタリスト。あっという間にすべての人間を釘付けにしたヤツは、イントロが終わる直前、マイクを握りしめた俺を試すかのように視線を投げてきた。俺はニヤリと笑みを返すと、軽く息を吸ってから歌い出す。
「『壊れかけた夢という枷を
負って俺達はどこを彷徨う
世界に敗れ泥水を吸っても
何故立ち上がる?何故前を向く?
ROADLESS 見失ったあの道も
決してあそこで終わりじゃなかった
いつか必ずまた歩き出す
あの場所へ そして今度はその向こうへ...』」
「お疲れ様でーす。」
ライブが終わると、マネージャーの女の子が楽屋にドリンクを届けに来た。メンバーたちは椅子にぐったりと身を任せたまま、差し入れを受け取る。
「今日もまた、お客さん増えてますよ。前回が65人で、今回は80人です。順調ですね。」
「マネージャーのおかげだよ。いつも助かるぜ。」
「いえいえ。例のSNS投稿を見て、このバンドの実力を知る人が増えているんですよ。宣伝広告費は予算も多めにいただいていますから、このまま盛り上げていきましょう。」
俺はフフンと鼻を鳴らし、汗で垂れてきた前髪をかきあげた。
「金なら、この『ミリオンダラーズ』に任せろ。必要ならいくらでも使ってくれ。」
そう、今の俺達には黄金の翼がある。
今から半年前まで、メジャーデビューを夢見てバンド活動を続けていた俺達は、毎週末に行われる小さなライブハウスでの演奏に向けて日々練習する傍ら、全員がほぼアルバイト漬けの毎日だった。練習のためにバイトの時間を削り、スタジオ代を捻出しても、その金がライブで戻ってくることはなかった。
だが、そんな人生は、突然大きく変わった。ある日、俺は戯れに買った宝くじで、一等の2億円を引き当ててしまったのだ。
地獄のようなバイト生活から解放され、これまでの苦渋の日々が思わぬ形で報われた。金というものは俺達をジリジリと追い詰める取り立て人から、気前のいいスポンサーになり変わった。そして俺達5人は、その金で自主レーベルを立ち上げた。
「あまり調子に乗るなよアキラ。」
キーボードのジョニーが水を差してきた。
「客足が増えたと言っても、損益で考えればマイナス続きだ。そのうちジリ貧になるぞ。」
「そりゃ、どんな経営だってはじめは投資でマイナススタートだろうよ。金はこれから戻っていくんだよ。」
「それにしても、ライブチケットだけを収入の当てにするのは限度がある。1500円の単価で80人。12万の売り上げも、ハコ側のマージンやら合わせのスタジオ代やらで、その半分は飛んでる。その上、単位期間あたりの広告費と人件費を考えれば、このままで回復するとは、とうてい思えん。余ってる元手で、何か他のビジネスを始めるべきだ。」
ぼんやりと話を聞いていたドラムのコボが口を挟んだ。
「でもそれじゃ、更にリスクが増えるんじゃないの?ジョニー、お前は頭が良くて数字にも強いけど、ここにいる誰も、経営の知識自体に詳しくはない…。そうだろ?」
ジョニーは腹の上で指を組み、椅子に再びもたれかかった。
ベースのスワンが急に立ち上がった。
「辛気臭いことなんて考えなくて大丈夫さ!自信持っていこう!考えてみてよ。宝くじが当たるなんて、落雷に当たる確率と同じなんだ。俺達にこの金が手に入ったってことは、確実に天が味方してるってことさ。全てうまくいってる。そうに決まってるんだ。」
「そうだといいけどよぉ…」
俺は顎をポリポリと搔いて、最後の一人に聞いた。
「本条、お前、どう思う?」
ギターの本条は、顔面にタオルを被ったまま動かない。
「本条?」
再び呼びかけると、ヤツは「うん?」と言いながら、着けていたらしいイヤホンを外した。
「金のことだよ。お前さ、どう思う?」
「さあな。俺には金のことはさっぱり分からん。それよりお前、『あの道へ』ってとこ、やっぱりピッチが低い。パーカーにも言われていた。ここは少しジャストより高いくらいでいい。俺が合わせてやるから、もっと自由に歌え。」
本条はそれだけ言うと、またタオルを被った。
「……。」
その後の部屋の沈黙に耐えかねたのか、マネージャーが唐突にパチンと手を打った。
「とりあえず皆さん、お疲れでしょうけど、当社管理の別バンドが夜からライブですよ。観にいかれます?」
コボが気分を変えて賛同した。
「あ、そうだね!俺とジョニーは一緒に行く約束だけど…アキラとスワンは別件だっけ?本条は来る?」
「俺はここに残ってソロの練習がしたい。」
「そう。じゃ、みんなまた明日!」
俺達5人はそれぞれの予定に散っていった。
「アキラ、ごめんよ…。バンドの方もなんとかしなきゃいけないのに…。」
スワンはタクシーの後部席から、申し訳なさそうに呟いた。
「気にすんな。仲間だろ。お前んちが大変なのは、よくわかってる。」
「ありがとう…。借りた分は、バンドで成り上がったら、必ず返す。約束するよ。」
俺たち二人は今日のライブ後、スワンの実家、白鳥家に向かっていた。宝くじで当てた金は実質俺のものだが、ほとんどはバンドの資金として5人で共有している。残りの使い道は、スワン以外の3人には教えていない。
白鳥家に到着すると、スワンはすぐさま母親の寝室に向かった。
「母さん、具合は大丈夫?アキラが来てくれたよ。」
「お邪魔します…。」
ベッドに寝ていた母親は、起き上がれないのか、首だけでこちらを向いた。
「まあ…ごめんなさい。こちらから伺ってお礼を言わなければいけないものを…。」
「いえ、安静にしていてください。手術は1ヶ月後ですか?」
「ええ。お金のことは、必ずお返しします…。」
「気にしないで。あれは運で手に入れたもので、俺の力で掴んだものじゃないですから。」
俺は自分でそう口にして、何か苦々しい気分になった。
「母さん、心配しないで。俺たち、絶対成功するから。俺がお金をたくさん稼ぐから。みんなうまくいってるよ。」
「そうかい。毎日お祈りしてるお陰かもしれないね。あんたもちゃんと感謝の気持ちを忘れずに、無理せず頑張るんだよ…。」
俺は部屋を親子2人だけにして、タバコを吸うために庭へ出た。
…なぜ、宝くじは俺に当たったのだろう。もし神がいるのなら、どうして俺にチャンスを授けたのだろう。コボのように真面目でもない、ジョニーのように賢くもない、スワンのように優しくもない、本条のように才能もない、この俺に…。
翌日、俺は池袋の雑居ビルに構えた小さなオフィスに出社した。金に余裕があるとはいえ、ジョニーの言う通り、早いうちに事業の方針を考え直さなければならないのは確かだ。
パソコンであれこれと調べものをしていると、続いてコボが出社してきた。
「おう、コボ。昨晩のあいつらのライブはどうだった?」
「それが…聞いてよ。少しマズイことになったかもしれない…。」
「あ?」
俺は偶然その瞬間開いていたネットニュースの記事が視界に入り、目を見開いた。
『WHITE OUT、またもスキャンダル。差押えに続き、コピーバンドによる赤裸々暴露』
「なんだこれ…?」
「社長、大変です!」
マネージャーが慌てて部屋に入ってきた。
「昨日のGRAY OUTのライブ配信、ご覧になりましたか?」
「一体何が起きた?」
「彼らの本家バンドであるWHITE OUTの管理事務所が、脱税の件で失脚しかけているのはご存知ですよね?昨日のライブ、GRAY OUTのメンバーが調子に乗って本家を罵倒し、『これからは俺たちの時代だ』と宣言して、本家の内密な黒い噂を列挙していくパフォーマンスを行ったようで…その配信がメディアに取り上げられています…。」
「バカどもが……。」
俺は一瞬で白目を剥いた。
「こっちは管理会社との契約がある。こりゃあ下手したら数百万の賠償問題だ。」
「それが…それで済めば良かったのですが…。」
マネージャーは下を向いて黙ってしまった。
「おい、何だよ?」
「スイマセンでした!!!」
問題を引き起こしたGRAY OUTの連中をオフィスに呼びつけた俺は、こっぴどく叱りつけた。事態を聞きつけたミリオンダラーズも全員集まっている。いつも会社の面倒事には口を挟んでこない本条も、今回の件には苦言を呈した。
「お前たちにはリスペクトが足りない。最近調子が良かったのは知ってるが、ここまで来られたのは本家のおかげだろう。」
「はい…調子に乗りました…。」
昨日の熱が冷めて泣きそうになっているやつらを、コボがなだめるように割って入った。
「まあ、もう反省したでしょ。あとは管理会社に謝罪に行かなきゃ。マネージャーは?」
そのとき、外で電話をしていたマネージャーが丁度よく戻ってきた。
「社長、ダメです。むこうも倒産寸前でゴタゴタしているらしく、関係者に取り次いですらもらえませんでした…。」
「クソッ!こんなことが認められてたまるか!」
「ちょっと、どうしたの?」
心配そうに尋ねるコボに、マネージャーが重々しく口を開いた。
「その…管理会社ですが、脱税の件で資本が不足し、東京国税庁にWHITE OUTの商標権を差し押さえられていたそうです。そのまま商標権は国税庁の名で民間オークションに出品され、これを6億で”スガワラ”という人物が買い取ったと…。」
部屋が静まり返った。
「そしてその方は、先日のGRAY OUTのパフォーマンスを受け、威力業務妨害で弊社に丸6億の損害賠償を要求しています…。」
凍りついた空気の中、ジョニーが口を出す。
「つまり…管理会社との契約は無効になっていていて、代わりにどこぞの富豪と裁判沙汰ってことか?」
「丸6億はありえない!足元を見られたんだ。俺たちが宝くじで成り上がった”ミリオンダラーズ”と知って、毟り取る気だ!絶対勝ってやる!」
「落ち着けアキラ。そんな相手じゃ、最高の弁護士を付けてるに決まってる。ちょっとこっち来い。」
ジョニーは俺を連れて、別室に入った。
「お前、会社に出資していない残りの資金はまだあるのか?」
「全部使っちまったよ…。」
「なんだと?先々考えないからこうなる!」
「自分の金の使い道にまで口出しされる道理はねえ!」
「…まあいい、丸6億は阻止するにしても、弁護費用や殺し切れなかった賠償金の支払いを考えれば、もうこの会社は終わりだ。オンラインカジノに手を出す。最も還元率が高いブラックジャックかバカラで、今ある金を4億まで増やす。システムベットはモンテカルロ法。大数の法則から逃げ切るために、最小単位50万の短期決戦で…」
「待て待て!危険すぎる!他に安全な方法はないのか?」
「無いから言ってんだ。俺だってこんなことはやりたくない。音楽と何の関係もねえ…。だが、腹をくくれアキラ。俺たちには夢がある。こんなところで終わるわけにはいかない。お前が掴んでくれたチャンスを、ここで白紙に還すわけにはいかねえんだ。」
「……ジョニー…。」
こうして俺たちは苦肉の金策に打ち出した。それぞれのメンバーには、思い付く限りのことを精一杯やってもらった。そして半月後…
「ここ半月の金策で得た利益で弁護士費用を相殺、賠償金は3億殺して残りは半分の3億。」
「ジョニー…カジノ全然勝てねえじゃねえか…。」
「あの負け方は不自然すぎる。よりによって、あんなタイミングで確率の下振れを引き当てることなんて滅多にねえんだよ。高額ベットにはナーフがかけられるって都市伝説はマジだったか…。」
コボは冷静に割って入った。
「2人共、そんな話を今したって、仕方ないだろ。今からどうするか考えよう。」
事務所に集まっていた5人は、しばらく全員押し黙った。
何秒か置いて、俺が沈黙を破る。
「残りの会社資金で、あと1億削れるな。」
「だけどそれじゃ…。」
「連鎖倒産だ。あの管理会社と共倒れになる。」
「…っ!それでもまだ2億残ってる。」
「全部俺につけろ。元は俺の金だ。」
「そんなことできるわけないだろう!!」
コボが威勢よく立ち上がった。虚ろな顔をしていたメンバーが、そのまま顔を上げた。
「アキラと本条。2人が俺たちをこのバンドに誘ってくれたから、みんなでここまで夢を追いかけることができた。そうじゃなきゃ、俺はとっくに歯牙ないサラリーマンとして退屈な日々を送っていただろう。例えここで夢破れても、俺はこの恩を絶対に忘れない。」
スワンがそれを聞いて、力なく微笑んだ。
「そうだね。借金は5人で分担だ。きっとなんとかなる…。そうに決まってるよ。」
ジョニーも俺の顔を見て、穏やかな笑みを浮かべていた。俺は悔しさと嬉しさに涙をこらえながら、本条の方を伺った。
「本条、それで大丈夫そうか?」
「別に構わない。それよりお前たち、ここで全てを終わりにするつもりか?」
「本条…?」
「俺は、何も変わるつもりはない。俺の夢は、ここで終わりじゃない。」
全員が、はっとした表情になった。
『いつか必ずまた歩き出す あの場所へ そして今度はその向こうへ...』
俺は手を前に突き出して宣言した。
「全員、それぞれ4000万くらいさっさと返済して戻ってこい!一時解散だ!」
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