第4話 タコ部屋トリオ

まだ日中の陽射しが強い昼下がり、俺は建付けの悪い窓をこじ開けてベランダに出た。目下は横幅車1台分の狭い路地になっていて、正面は別の住宅が建てられている。景色の良いものは何もない。

「このコンロ、ほんとにちゃんと使えるんですか?」

「ええ、問題なく点きますよ。調子が良ければ。」

部屋の中からは、何やら不穏な会話が聞こえてくる。

「アキラ〜。ベランダはどんな感じ〜?」

「来てみろよ。最高の眺めだぜ。」

ベランダに顔を出してきたのは、三木くんだ。

「…うん。隣の家の洗濯物が丸見えだね。場合によってはいい眺めなのかも。」

続いて、不動産屋が後ろから顔を出す。

「まあまあ、一応都会ですから、住宅が密集しているのは仕方がありませんよ。むしろその方が、西陽が避けられて暮らしやすいです。クオリティはイマイチですが、都内の3LDKで12万円は破格かと。」

「うーん…そうだなぁ…」

風呂トイレは別で、池袋駅まで徒歩20分。悪くはないが…。

「アキラ、一旦考え直そうよ。2人でシェアハウスするのには、ちょっと広すぎるくらいだよ。」

「いや、そうなんだよ。折半して月々6万だったら、今俺が住んでるところと大差ないしな。…すみません、これって、数日考えてもいいですか?」

「それは大丈夫ですが、他の内見希望者もおられますので、キープはできませんよ。」

「まー仕方ない。また後日連絡するので、その時まだ空いてたらってことで。」


俺はHOPESで書類にサインした後、組織のメンバーにあれこれと今後のアドバイスを受けた。スタートアップの初期費用である15万をなんとか捻りだすことは可能だったが、その後の生活を考えると、どうしても固定費である家賃の負担が厳しい。そんな話をしているとき、同じ境遇だった三木くんと同じ卓で交流することになり、2人でシェアハウスをすることに決めたのだ。



内見が終わると、俺たち2人は新宿の立ち飲み屋に入り、作戦会議を始めた。

「HOPESの拠点が新宿だから、最寄り駅が池袋っていうのは結構いいんだけどね。」

「けど、最寄りって言っても、徒歩20分だぞ?」

「僕、ママチャリ持ってるよ。貸してあげるよ。」

「や、バイトの時間とか被るだろうし、駅で駐車料金かかるのも嫌だな…。」

そんな話をしていると、カウンターで焼き鳥を焼いていた店主が、声を上げた。

「おうっ!今日は珍しくベロベロじゃねえか!何件目だ?」

チラッと背後に視線をやると、金髪の青年がフラフラになりながら入ってきていた。HOPESで見かけた、あの新入りだ。

「や〜、ここで4件目だよ。もうダメだ…いや、オレならまだいける…まだ飲めるっ…!」

青年はそのまま三木くんの隣にやってくると、立ったままカウンターに突っ伏してしまった。

「おいおい、翔吾。やべえならもう飲むな。ブッ倒れても知らねえぞ。」

「酒がねえとダメなんだよォ今日は…」

翔吾というらしい青年は、店主から出された水を飲むために顔を上げたが、こちらには気づいていない。よく見ると、服はボロボロで、少し頬が腫れている。

「おめえ、殴られてんじゃねえか。客とトラブったのか?」

「そうだよ。こないだいい感じになった嬢とホテル行ったのがマネージャーにバレてよ。なんか知らねえけど嬢の太客にもそれが知られてて、フルボッコ食らったわ、クソが!」

ダムッと拳でカウンターを叩きつけると、少し冷静になったのか、彼は自分を凝視している隣の知り合いにようやく気が付いたようだ。

「あれ?あんたら、なんか見たことあんな…。あ、マルチの人たちじゃん!」

こんな公共の場で爆弾を破裂させられた俺たちは、なす術もなく硬直した。

「お客さんたち、こいつの知り合いだったのか?」

「え…いやぁ…まあ…」

「オレさ、こいつらとマルチ商法始めることにしたんだよ。これから儲かるぜ〜オヤジ!」

三木くんは一方的に肩を組まれ、青白くなっていく。

「お前はまた変なもんに手ェ出して…。やめとけそんなもん。今度こそ破滅するぞ。」

「大丈夫だって!オレ、才能あるらしいし!」

「俺の元カノもそう言って、終いにゃ金も友達も、全部失ってたがな。」

どうやら店主はこの界隈に多少知識があるようだ。

「ま、オレもう暫く歌舞伎町には出入りできないし、学が無いから黒服以外のバイトもできないし。もう止められないぜ。」

「はあ…まったく。好きにしろ。うちの店を勧誘に使うなよ。悪評が立って店が潰れたら困る。お前が夢破れて帰ってきたときに、ここで雇ってやるからよ。」

それだけ言うと、店主は再び焼き鳥を焼き始めた。今はこの2人の温かい関係性のお陰で、こちらに話題が飛び火するのを避けられたと思おう。

「で、あんたら、どこの組だ?」

「俺はアキラ。浜本組だ。三木くんはエリカさんとこ。お前は?」

「オレは陣内翔吾。竹下組の有望ルーキーよ。こっちはもう来週、ヤマトさん直々に新人研修だぜ。ペースが違うだろ。」

「そんなもんあるのか?」

「お前らはどうせまだ、直アップから辞めないようにケアされてる段階だろ。オレはもう、下っ端のアップなんかに興味はないぜ。いきなり組長直伝の出世コースだ。」

「そういえば…僕は最近、藤崎さんから毎日電話かかってくるよ。そうか、辞めないようにケアされてたんだ…。」

俺はそれを聞いて、ふと思った。あれ、うちは?高橋くん、あれから何も連絡寄越さないけど…?

「ちょうどいいや、お前らも一緒にヤマトさんの講習受ければ?今度うちに来てくれて……あ、やべ!家を追い出されたこと、ヤマトさんに言ってなかった!」

「追い出されちゃったの?」

「店のオーナーから一部屋借りて住んでたんだけどよ、まあ色々不祥事がバレて、今週で退去させられるんだよ…。やべえ、忘れてた。家なかったわ、オレ。」

「………。」

頭を抱える翔吾。俺と三木くんは顔を見合わせた。性格はメチャクチャだが、店主とのやりとりを見る限り、悪いやつではなさそうだ。12万を3等分できるなら、月々4万。徒歩20分くらいは我慢してやってもいいか…。



「おお!結構広いじゃん!」

玄関を開けるなり、翔吾は部屋中の物色を始めた。

「おお…!おお……あぁ…。」

しかしすぐにボロさに気が付き、見るからにテンションが落ち着いてくる。

「翔吾、手伝ってくれよ。まだデカい段ボールがいくつかある。」

「オッケー。アキラ、この部屋はオレがもらっていいか?一人一部屋でいいんだろ?」

「好きにしてくれ。壁は薄いんだから、あんまり騒ぐなよ。」

三木くんは和室がいいと言っていたから、俺は残ったベランダ付きの部屋だろう。タバコが吸えるなら、こちらも問題ない。俺が荷物を自分の部屋に置くと、ベランダの下から声が聞こえてきた。

「アキラ〜、翔吾〜。これ運ぶの手伝ってよ。」

窓を開けると、下の路地で段ボール2つを下ろしたままダウンしている三木くんが見えた。


俺と三木くんは大きい方の箱を、翔吾は小さいが何故かそれよりも重い箱を一人で手伝い、3人はひとまずリビングで落ち着いた。

「ミッキー、力ねえなあ。肉体労働とかしたことねえの?」

「うん…ないよ…。」

変なあだ名を付けられたことには触れず、三木くんは少ししょんぼりしていた。

「けどこの荷物、何が入ってるんだ?翔吾が運んだやつ、見た目に反してだいぶ重かったろ?」

「あ?」

見ると、翔吾は勝手に三木くんの段ボールを開封していた。

「ちょっ、何で開けてるのさ!」

三木くんの嘆きをスルーし、翔吾は箱の中身を取り出した。出てきたのは、レトロでスチームパンクな、ゴツい筐体だ。

「なんじゃこれ?タイプライター?」

「そうだよ…。一応、僕の仕事道具…。」

俺は驚いて声を上げた。

「この現代に、タイプライターを使う仕事なんてあるのか?」

「お気に入りだから、勝手に使ってるだけさ。曾祖父ちゃんの形見で、それを打ちながら小説のシナリオを考えてるんだ。」

「ってことは、まさか小説家?」

「結局なれなかったんだけどね。」

三木くんは、生活用品が入った大きい方の段ボールの開封を始めた。

「小さい頃から本を読むのが大好きで、ずっと作家を目指してたんだ。東京でならチャンスが広がると思って山梨から出てきたんだけど、ここに来て分かったよ。僕には才能がない。父さんが死んじゃって、今はずっと、地元でお姉ちゃんが母さんの面倒を見てる。僕はもう、仕送りもできないようなバイトを続けながら、自分の好きなことだけをやっているわけにはいかないんだ。」

「ふーん…。じゃあ就職すればいいんじゃねえの?」

「……翔吾はどうなのさ。学がなくても、若ければ就ける仕事はたくさんあるはずだよ。」

三木くんは答えたくなかったのか、翔吾にカウンターを返した。

「オレは親父みたいな会社員なんてまっぴらだ!毎日朝から晩まで働いてよ、家族を食わすためだけに、あんなボロボロになって人生を捧げるなんて、考えたくもねえ。ドカンと稼いで、オレは自分のやりてえことをやる!それだけよ!」

傍らで会話を聞いていた俺は、それぞれの境遇に感慨深さを感じていた。ここにいる3人共、全員が何も間違っていない。夢を追う者、家族を想う者、自由を求める者。この世界で、この時代で、きっと誰もがそうだろう。だが、実際に自分の希望を叶えられる者が、果たしてどれほどいるだろうか。この当たり前で、そして人生を賭けるほど難しいレースに勝つために、俺達はこのイレギュラーな道を選んだのだ。

「三木くん、翔吾。」

俺が急に立ち上がったので、2人は会話を止めて呆然とした。

「俺達、3人で絶対に勝ち上がろう。こんなタコ部屋からでも自分の人生を掴めるってことを、証明するんだ。」

2人は俺の顔を眺めたまま暫く動かないでいたが、やがて楽しそうに微笑み合った。



あくる日曜日。俺と三木くんはリビングの掃除を済ませ、テーブルに4脚の椅子と筆記用具を準備して待っていた。時計が丁度17時を差したとき、玄関が開き、翔吾の声が聞こえた。

「スイマセン、汚いですが!どうぞどうぞ!」

「失礼します。」

キッチンになっている廊下抜け、メガネをかけた痩せ型の男が現れた。俺達はすかさず椅子から立ち上がる。

「わざわざお越しくださり、ありがとうございます。浜本組、西戸アキラです。」

「山口組、三木隼人です。」

「竹下大和です。どうぞ座って。」

俺達はヤマトさんを席に案内し、各自の席に着いた。

「さて、私は20時から次の現場がありますので、移動時間を考慮すると、この研修は2時間で終わらせなければなりません。先に内容の項目と、それに対する時間配分を説明します。」

ヤマトさんは講習のアウトラインを書き出すと、実に合理的に休憩と質疑応答の時間を設定した。

「ではまず、マネタイズの復習から。我々HOPESが提携しているのは、”RELIFE”という健康食品を主に取り扱う外資企業です。MLM…マルチレベルマーケティングとは、同社内の営業セクションではなく、外部の個人事業主に宣伝・販促を報酬型で委託する形式のこと。つまり我々は、RELIFEの商品を売ることによって、会社から売上の一部還元を受け取ります。」

俺達はそれぞれ用意したノートに、説明の端々を必死にメモしていく。

「一般的な営業代行と異なる点は、”ディストリビューター”と呼ばれる代行者本人も購入者でなければならないということ。あなた達が組織へ入会する際、我々が15万を支払わせたのは、その分の商品を自ら購入することで、現段階における営業報酬還元率の最大値を受け取れる状態にするためです。無論、もっと小額から始めることもできますが、還元率が低く、結果的に回収に時間がかかり、効率が悪い。これは法律に従い、各自サイン前に説明を受けたはずです。」

そう…そんな感じのことを色々な人に説明された気がする。だが、吉岡さんだけは「無理なら2000円で始めろ」と言っていた。俺は自分に覚悟を決めさせるため、15万にしたが…。

こうしてテキパキと講習は進み、いよいよ最後の章に入った。

「さて、それでは最後に、あなた達新人がやるべき、直近の仕事内容を説明しましょう。」

ヤマトさんは、自分の鞄からプリントの束を出し、それぞれに4枚ずつ配った。全て同じ、空のリスト表だ。

「1枚に25段、各自4枚で合計100段の空欄がありますね。これに自分の知り合いの名前をリストアップしてください。全て埋まったら、自分の組の誰かに提出します。その後の指示は、提出した人物に仰いでください。以上です。質問はありますか?」

三木くんが恐る恐る手を挙げた。

「これって…その後、知り合いに連絡を取っていくってことですよね…?」

「場合によります。その後のことは、そのときに上長アップに聞いてください。」

「知り合いって、クビになったバイト先の上司とかも含めていいんスか?」

「はい。文字通り、知り合いなら誰でも。」

最後は俺のターンだ。

「この”関係値(A〜D)”っていう項目は何ですか?」

「対象人物との親密度です。Dなら顔見知り程度、Aなら金の貸し借りができるレベルと考えていいでしょう。」

金の貸し借りができるレベル…。

「では3人とも、理解しましたね?私はもう行かなければなりません。陣内くんはリストが完成したら私に連絡をくれれば良いと思います。それでは幸運を。」

俺達はザッと立ち上がると、ヤマトさんを下の路地まで案内し、去っていく後ろ姿を見送った。

そのまま遠くを見て動かない三木くんは、ボソッと呟いた。

「連絡できる知り合いなんて東京にいないよ…。」

「心配すんなって。オレも金貸せる友達とかいねえけど、要はテキトーに思い浮かんだヤツの名前を100人書くだけだろ?オレは、あのぶん殴ってきたキャバ狂野郎の個人情報でも書いてやるぜ。親密度Fファックぐらいだけどな。アキラは?」

俺は4000万円を担いで散っていったあいつらを思い浮かべた。

「俺はいるよ、親密度Aが。4人ほどね。」











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