第5節「父親」

 その男は、まだ二〇代に見えた。肌はろうそくのように青白く、生気がない。もう何十年も日に当たっていない人間――あるいは大理石の彫像のようにも見えた。

「お主は……!」

「そういえば、お前の知り合いでもあったな、プリシラ・ブラッドフォ―ド。そう、確かお前が一〇〇年前、最後に産んだ子供だ」

「リチャード! お主がさらっていたのか!」

「さらった――か。いや、違うな。彼は最初は好奇心で私に近づいてきた。お前の母親の秘密を教えると言ったら、簡単に着いてきたぞ。そのあとは隙を見て我が下僕とした――それだけのことだ」

 彼は何もしゃべらない。

「リチャード、お主!」

 プリシラが銀弾を撃つ。命中する。しかしそのままでは効果がない。肝心の薫子は虫の息だからだ。

「薫子……命じろ……何でもいい……」

 プリシラの呼びかけに、薫子は衝撃でもうろうとなりながらも、つぶやく。

「リチャード・ブラッドフォード氏よ。もしあなたが本当に我が父ならば、あのとき何があったのか教えてほしい。そして、私の母らはなぜ死なねばならなかったのか」

「……」

 彼はわずかにロシア語で何かをつぶやいた。それから、全身から血を吹き出し、倒れた。

「ふん、使いすぎたか……一〇〇年はもったのだ。ジャコバンのスパイ、赤軍のスパイ、ナチのスパイ、いろいろと便利に使ってきたが、こいつ自身の意志に反した命令をしすぎたな」

 アーデルハイドはさして残念でもなさそうに言うと、ついでのようにプリシラの胸に剣をつきたてた。その動きは電光石火のごとくで、プリシラにも対応しきれなかった。

「新参者どもに教えてやろう。長く生きているとな、だんだんと、すべてが退屈になってくる。だから、ちょっとしたスリルを味わいたくなるときもあるのだ。しかし、ただそれだけだよ。お前たちにこの私がおくれを取るようなことが、あるはずがないのだ」

「なぜだ……なぜあからさまに争いを生むようなことをする……。ドイツを守るだけならば、ここまで侵略をする必要はなかったはずだ……」

 薫子が虫の息で問う。そのささやくような声も、アーデルハイドはきちんと聞き取れているようだった。

「争いを生む、というのは正確ではない。しかし、私はこのような力を持った者の生き残りとして、お前たちが神々と呼ぶ存在――つまりは我が同胞らと交わした約束を守っていくつもりなのだ」

「神々だと……同胞というなら……ドイツ人だろう……」

「いやいや、ドイツのように最近出現した集団ではない。遙か昔に滅びたよ。私と同じようなウィルス感染者の一団だ。偶然に感染してしまい、それから数百年は互いを守り合って生きてきた。感染していることこそが我らの同胞の証になるほどにな。我々は強かったが、多数の人間に目の敵にされると弱い。だからできるだけ強い集団の中にあって、その集団の中枢で生き残る必要がある。そういう集団を見つけて同胞を増やし、生き残ろうと約束したのだ。

 強ければどんな集団でもいい。大昔にはユダヤ人やブリトン人が結構強いと思っていた時期もある。最近は、一時は赤軍がそのイデオロギーによる団結で強いのかと思ったが、フィンランドにすら押し負けるような弱い奴らだった。資源がなければ何もできない奴らだ。先の世界大戦でもいろいろと揺さぶりをかけてみていたが、最終的に、資源さえあればドイツが一番良いと思った。ゆえにドイツを強くしているのだが、無論ドイツに打ち勝つ勢力が出てくればそちらでも良い。未だ、選別の最中なのだ」

 蕩々と語るアーデルハイド。

「――選別だと……」

「ああそうだ。私にも同胞意識があると言っただろう。そのためには、中枢で我らが生き延びることができるような強い集団が必要なのだ。そこで同胞を増やしていく。しかし、お前たちは軟弱だ。試みに同胞にしてみたが、プリシラ・ブラッドフォード、お主は全然同胞を増やさないし、増やしたと思ったら、なんとリチャードの娘だ。親子三代にわたって、役立たずだったよ、お前たちは」

 薫子はじっと隙をうかがっていた。もはや満足に息もできない。大きな声も出せない。だが、手元の剣を傾け、ふりそそぐ朝日を反射させ、こちらの位置を外の航空機に伝えることはできる。

「さて、しゃべりすぎたな。そうそう、大日本帝国も一時期は我が同胞の下僕の候補だったのだ。だが、アジア解放などと下手な理念を掲げたので見捨てた。たとえ建前であれ、他人を蹴落とすことを良しとしない組織は我が同胞の藩屛としてふさわしくない」

(それはよかった……私も君とは縁を結びたくないからな)

 声にならない声で言う。そして、念じた。

(今だ、撃て、桜子!)


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