第4節「尼港決戦」

「亡者たちよ! 侵入者を倒せ!」

 張りのある声がこだまする。見上げると、広場を見下ろす教会の尖塔の上に、まるでこの街に君臨するかのようにアーデルハイドが立っていた。

「総員! 防御陣をしけ! 訓練通りだ!」

 葭田中佐が素早く指示する。イルクーツクの時は突然の状況に対応できなかった。だが今回は予想された事態だ。

 プリシラが狙撃銃を構え、アーデルハイドを撃つ。銀弾だ。

 アーデルハイドは素早く避け、身を隠した。

「薫子! 包囲網を突破し奴を倒す! 妾と来い!」

 薫子は葭田中佐を見た。

「許可します。どうぞ、お願いします」

 葭田中佐の目は厳しいが、口元は柔らかに微笑んでいた。

「どうか、武運長久を」

「了解した」

 薫子はそう言ってから、胸ポケットに入れていた手紙を葭田中佐に押しつけるように渡した。

「千登勢玲次少佐に渡してくれ」

 それだけ言い、駆け出そうとする。

「神崎薫子」

 急に呼び止められた。蓉華だ。

「死ぬことは許さないわ。統士時代から、あなたは私の好敵手だったわ。この私の許可なく死んでみなさい、一生恨みますわよ」

「――気をつけよう」

 意外にかわいいところもあるんだな、と思いつつ、薫子は駆けだした。

 亡者らが持っている小銃で撃ってくる。狙いが異様に正確だ。一発、二発、当たったが、応えない。

 薫子はプリシラとともに数秒で亡者らの集団に到達、切り込んでいた。

 薫子は滲血刀を抜き、手当たり次第に斬り伏せていく。

 プリシラはまるで舞踏のように優雅な動きで、サーベル状の滲血刀を操っている。まるで手品のように彼女の前方の亡者たちが倒れ、道が切り開かれていく。

「すごいな――このような剣術――初めて見た」

「一〇〇〇年以上鍛えているからな。お主らのような小娘とは年期が違う」

 プリシラはたいしたことでもないふうにそう言い、アーデルハイドが隠れた尖塔のある教会へ突っ込んでいく。

「――ふん……昔の地図ではここに教会はなかったはずだが……そういうことか」

 突入した先でプリシラはつぶやいた。

 広い礼拝堂。その正面の壁。ダビデの星の紋章であったと思われる六角形の台座が削り取られ、その上から十字架が据え付けられていた。

「もともとはシナゴーグだったところを教会にしたようだな。奴ららしい」

「あそこが尖塔への入り口だろうな」

 薫子は現実の戦いにプリシラの意識を向けさせる。

 率先して駆け出す。尖塔の基部に飛び込み、らせん階段を上っていく。

 そこにも亡者がいた。

 斬り伏せ、斬り倒し、吸血鬼として得た膂力を頼りにぐんぐん上っていく。

 そして――。

 最上階はやや広い部屋になっており、そこに巨大な鐘が吊り下げられていた。鐘楼だ。

 一見、誰もいない。

「後ろだ!」

 プリシラの声に、反射的に避ける。そこに振り下ろされる斬撃。

「アーデルハイド!」

 薫子は敵の名前を叫びながら、滲血刀で斬りかかっていた。

「……何を考えている! なぜこんなことを!」

 アーデルハイドはうるさげに薫子の攻撃をはらいのけつつ、プリシラを見た。

「新参者はこれだから困る。プリシラ・ブラッドフォード。お前がついていながら、なんだこのザマは」

「お主が妾に何を期待しているのかしらぬが、妾もお主の考えは知らん。そういう意味ではお主以外はみな、新参者であろうな」

 ゆったりとそう言いつつ、次の瞬間にはプリシラは目にもとまらぬ突きを浴びせた。アーデルハイドがそれを逸らしたのと同時、プリシラはピストルを抜き、撃つ。

 ほぼ零距離で撃たれた弾丸はアーデルハイドの腹部に深くめり込んだ。

「なに……!」

「動くな!」

 薫子が叫ぶ。目一杯の大声で、外にも聞こえるように。

 瞬間、アーデルハイドの動きが止まった。そして、外から聞こえる戦闘の音もなくなり、静かになる。

「……お前……胎盤の血か……」

 アーデルハイドが薫子をにらみつつ、つぶやく。

「だとしたらどうする」

「……ふふ……だとしたらだと? 私を甘く見るな!」

 アーデルハイドは脚の位置を動かさないまま、素早く剣を抜き、上半身のバネだけで投擲した。

「ぐ……」

 かろうじて避けたが、剣が腕をかすっている。

 視界が真っ赤になっていく。

(まずい……亡者にされる……!)

「薫子! しっかりしろ!」

 プリシラが叫んでいるのが遠くに聞こえる。

 薫子は拳銃を抜き、自分の脚を撃ち抜いた。

「正気に戻れ!」

 からからになる喉で必死に叫ぶ。

 途端に、視界が戻っていく。

 海軍病院と軍令部の研究では、亡者――狂犬病のような狂騒状態――を抑制するには、暗示をかけるしかないらしい。そして、現在見いだされているなかで最も強力な暗示が、Pウィルスの胎盤における変異株に感染した状態で、特定の波長の音波を浴びせることだというのだ。 特定の波長の音波とは、つまり、胎盤の主の声だ。

「正気に戻れ」の声は、薫子自身だけでなく、アーデルハイドにも届いていた。

「……お前……やりおったな……」

 アーデルハイドは立ち続けることができず、だらりと力なく尖塔の壁に崩れ落ちる。

「ふん……狂っていなければ何千年も生きることはできん。正気に戻った瞬間に生きる意味を見失ったようだな」

 プリシラがアーデルハイドの喉元に剣を突きつける。

「お主、最後に何か言い残すことはあるか」

 その瞬間、アーデルハイドの口元がわずかに微笑んだような気がした。

「私を助けろ」

 突然、薫子は背後から銃弾を受けた。通常の銃弾だが、衝撃は大きく、倒れてしまう。

「皮肉なものだな、最期は実の父親に撃たれて倒れるとは」

 アーデルハイドがそう言うのを聞き、薫子は衝撃にうちのめされる。

(実の父親だと……?!)

 

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