第6節「機内にて」

 連邦、ウラル山脈以東。ソ連邦時代はシベリアと呼ばれていた地域は、現在「ジビリエン国家弁務各区」と呼ばれている。ジビリエンとはシベリアのドイツ語読みであり、この地は今や完全なるドイツの植民地であった。

 イルクーツクはそのジビリエンを東西に貫通するシベリア鉄道の中間地点であり、またエニセイ川の支流、アンガラ川にほとりにあり、オビ川、エニセイ川、レナ川およびその支流からなるシベリアの河川ネットワークとも接続している、シベリアの交通の要であった。

 ソ連、枢軸、あるいは日米英連合軍、いずれであろうとイルクーツクを取った者がシベリアの覇者となる。

 モスクワ陥落後、この地はドイツの支援を受けたソ連邦構成国の一つ、ブリヤート共和国が反乱し、占領していた。シベリアの要衝ということで、ドイツ軍師団が少なくとも個確認されているほか、空軍も多量に進出してきている。

 新枢軸国がソ連領を占領するだけならば対立する必要はない、との楽観論も存在したが、 米英が一九四一年に合意した大西洋憲章、日英が一九四二年に合意したインド洋憲章に照らし合わせ、アーリア人優性政策の下、ユダヤ人、スラブ諸民族を弾圧しているドイツとはいずれ対立することは不可避であった。

 ならば早めに叩いた方が出血は少ない。

 それが日米英の結論である。

 作戦は三段階で行われることになった。

 第一段階。ウラン・ウデへの攻撃。これは新連合国の主攻がウラン・ウデであると誤認させる陽動攻撃であるが、イルクーツク占領軍の主要な部分を占めるブリヤート共和国軍を動揺させる目的があった。当地にはブリヤート共和国軍三個師団が置かれており、これに対するに米陸軍歩兵五個師団およびモンゴル軍一個師団、計六個師団が国境の拠点アルタンブラクから侵攻する。

 第二段階。第一段階とほぼ同時に、モンゴル・ホブスゴル湖北岸からイルクーツク南方のバイカル湖畔の都市・クルトゥクへ侵攻する部隊だ。これが真の主攻である。毛沢東軍歩兵四個師団およびモンゴル軍歩兵二個師団、米軍歩兵二個師団・装甲二個師団、さらにソ連軍残存戦力がモンゴル国境からイルクーツクに向けて進軍する。この総勢歩兵八個・装甲二個師団の部隊が、イルクーツクから南下してくるであろうドイツ軍歩兵四個及び装甲師団二個と対峙することが求められていた。

 第三段階。日米英の空挺部隊がイルクーツクに降下する。米軍、ソ中蒙連合軍の侵攻によってイルクーツク駐留ドイツ軍が南部へ進撃した隙を突き、空港、占領軍駐屯地、司令部、放送局などを占拠し、ロシア人に向けて蜂起を促す。イルクーツク解放の真の一手であった。

「お主らしい作戦だな」

 一九四二年九月五日。

 既に第一段階・第二段階は遂行され、ウラン・ウデおよびクルトゥクに新連合国は進出していた。ウラン・ウデのブリヤート軍は包囲され、想定通りクルトゥクにドイツ軍主力は進出してきているので、イルクーツクに現在敵軍主力は存在しない。

「――三段階で常に主導権を握り続ける。最後は空挺降下で現地勢力とともに蜂起する。マルタやカイロでも似たようなことをやられた」

 プリシラが言う。

 現在、日本の一式陸攻の大編隊が、日米英の空挺降下部隊を満載してイルクーツクに侵攻しつつある。ホブスゴル湖を経由してクルトゥク沖に展開する二式大艇の部隊ももうすぐ合流するはずだ。

「現地諜報はイギリスに任せているが、大丈夫だろうな?」

 薫子は問う。

 一式陸攻編隊の指揮機の後方区画。司令部要員が集められた中、薫子とプリシラは完全武装のうえ、隣同士に座っていた。

「――ソ連人がドイツの支配に納得していると思うか? しかも宣撫するのは味方である我が英軍だ。任せておけ」

 プリシラは自信ありげに言う。

「――それよりも、お主はいつも自分で降下しているのか。マルタでもそうだったが」

「作戦の成否は目で見ないと分からん。それが私の考えだ。失敗するとしても、軍令部の将校である私には戦訓を次に活かす義務がある」

「道理だが、真面目だな」

「率先垂範が帝国陸海軍の伝統だ。そちらこそ、なぜ前線に行きたがる?今までは後方で紅茶を飲んでいたではないか」

「真似してみたくなってな。何しろ、一〇〇年は一緒に過ごすのだ。妾もお主のことも知らねばなるまい」

「……その話だが、今後一〇〇年は千登勢大尉に進呈することになった。君はその後だ」

 ちなみに、千登勢玲次は現在、主戦場となったクルトゥクに派遣してある。そちらの成否も重要なので、薫子の代わりに参戦させているのだ。

 プリシラは薫子の顎を指で持ち上げ、自分の方を向かせた。

「何をする」

「妾との暮らしがそんなに嫌か?」

「君と私でいったい何をするんだ? 世界の裏で暗躍する手伝いをさせようとでも言うのか」

「もっと単純なことだ。南の島でゆっくりとな……」

「――はっはっは。似合わん! ヒースしか生えない荒れ地の丘の上の寂しげで貧相な古城で棺桶の中で寝起きする暮らしかと思っていたぞ。だいたい、君の顔は真っ白じゃないか。南の島にいたことはあるのか?」

「馬鹿もの。妾とて南方にいたことはある。お主とはキリンディニでも会ったではないか」

「キリンディニの英国風の館でな。君は奥まった部屋で紅茶を飲んでいた。キリンディニの海で泳いでいたならともかく……」

 それから更に追求する。

「もしかすると泳ぎでも教えてほしいのか。私は子供の頃から泳ぎが得意でな。英国貴族の君が教えを請うというのなら、敢えて教授してやらんでもない。しかしそれで一〇〇年はかからんだろうな。剣術でも教えるのか。だが君の方が得意のようだな」

「――お主こそ、あの副官の男と何をするんだ」

「千登勢家の跡取りが必要だろう。吸血鬼だろうとなんだろうと、他の女人を差し置いて彼と一緒になるのだ。作ってやらねばならん。これだけ男が貴重な世界だ、できれば男がよいのだが……。あとはそうだな、彼は素晴らしく気が利くが豪胆さが足りない。少し鍛えてやるのもいいだろう」

「ふん。そちらのほうが楽しそうだな?」

「いや……だが寂しくなるだろうな。それだけのことをしておいて、五〇年も経てば別れが来る。――本当にそんなに長く生きるのか」

「妾はそうだった」

「……ならば栗花落少佐……いや中佐にも声をかけて、吸血鬼同士で暮らしていくのもよいかもしれん……。国のためとはいえ、つらい宿命を負わせた」

 薫子は目を閉じた。そして開く。

「だが、ならばこそこの力、繰り返す悲劇を止めるのに使わねばならん」

 深夜のイルクーツク市街が、眼下に見えてきた。

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