第5節「米軍情報士官」

 何事かと振り向くと、真っ赤な髪が特徴的な米国軍の制服を着た士官が大股でやってきた。女性にしては長身――薫子と同じぐらいの上背がある。

「OSSのアメリア・フォーゲル中佐か。お名前は伺っている。日本帝国海軍軍令部、神崎薫子だ」

 薫子は海軍式に敬礼した。玲次も同じく敬礼する。

「同じく軍令部、千登勢玲次です」

「OSSは古い名前よ。日本との戦いが終わり、今は中央情報局に改名したわ」

 答礼しつつアメリアは答える。

「それは結構なことだ。それで何用か。もはや我々は同じ連合国だ。剣呑に呼びかけられる謂れはないと思うが」

「我が連合国の戦略を邪魔し続けたスパイがいると聞いてね。この目で見たくなった」

「物見遊山か。合衆国軍は余裕があるな。結構なことだ」

「あなた、吸血鬼なんですって?」

「――小説のようなことを言う。英国軍のプリシラ・ブラッドフォ―ド中佐にでも聞いたのか。かの御仁は他国のスパイをからかうクセがあるので気をつけられよ」

「我が国が独自に調査した。アーバーダーン、ヤッファ、そして独ソ戦のソ連軍陣地の各地で異常な事態が起っている……と。しかしヤッファまでは抑制的だったそれが、独ソ戦――特にモスクワ陥落以降激甚化している。似たようなことがないか調べているうちに、英国史においてそう疑われる事件が少数ながら起っていることを突き止めた。そのいずれもプリシラ・ブラッドフォード――と名乗る、それぞれの時代の少女が関わっていることまで調べ上げた」

「……それで、君たちの結論は」

「ある種のウィルスが長命化と狂犬病のごとき発狂を生む。そのいずれかになるかまで制御できるらしい。保菌者で長命を保っている者が世界に少数いる。そのうちの一人が、あなた、そしてプリシラ・ブラッドフォード中佐。ドイツ軍にも少なくとも一人」

「さすが米国だ。マーク・トウェイン、ヒューゴー・ガーンズバックの国だ。科学的な空想力に優れている」

「――馬鹿にしているの? 嘘か本当か、さっさと白状しなさい」

「なんとがさつな。それでスパイと言えるのか。我が国の極秘事項をそう簡単に明かすと思うか。同盟国だとしてもそんなことが言えるわけがない。少なくとも帝国海軍軍令部総長の決裁をもらってからにしてもらおう」

 アメリアは薫子に鼻先をくっつけるほどに顔を近づけ、にらむ。

「いいわ。じゃあ私の身体で確かめる」

 一歩下がり、制服のボタンを外し、首元から肩口にかけて素肌をさらけ出す。まるでキャサリン・ヘプバーンのようなきめ細やかな肌だ。使っている石けんがよいのだろう、さすが物量の国アメリカだ、と薫子は妙なところで感心する。

「噛んでみなさい。それで何も起らなければ、我がCIAの調査結果がただの空想科学だって認めてあげましょう」

 アメリアの首筋から、匂い立つような甘美な血の香りを嗅ぎ取り、薫子は一瞬自失しかけた。アメリカの両肩に手を回し、口を首筋に近づけていく。

「フォーゲル中佐殿」

 玲次が割って入り、アメリアの制服の襟を正し、ボタンを閉めた。

「ここは女性用の浴室ではありませんよ。将校ともあろう方が、衆目のあるところで制服を乱されるのはいかがなものかと」

 ふん、とアメリアは不服そうに鼻を鳴らした。彼女の首筋を玲次が隠したことで、薫子はやっと自身を取り戻し、冷静な顔でアメリアに向き直る。

「――お引き取り願おう。我々から君たちに話せることは何もない」

「その力。どうするつもり。我々はあなたが抑制的にその力を使ったことを評価している。アーバーダーンでは不可抗力であったし、ヤッファではユダヤ人を守るためによくぞ使ってくれたと思っている。それでもその力は一個人が担うには重すぎる。我々にも分析させなさい。その力の行使とその結果の責任を、共同で分担してあげようって言ってるのよ。我々の科学力で人間に戻すことも可能かもしれない。だから私にうつして、我々にも分析させなさい」

「それまでドイツ軍が待ってくれると思っているのか」

「……やはり、その力はあるのね。そしてドイツ軍も持っているのね」

「――それについては回答しない。しかし仮にそうした力があるとして、私は元に戻す方法も分からぬうちにみだりに他人にうつすことを良しとする人間ではない。もしそういうものがあるとしても、まず我が軍、我が帝国が責任を持って分析するつもりだ。合衆国にはそう伝えてもらいたい」

「――頑固ね」

「――逆の立場で考えてみろ。君たちはロスアラモスで妙な爆弾を作っているな? その秘密を我が帝国と共有するつもりはあるか」

「いえ……しかし……」

「責任を共有する――といえば聞こえは良いが、それは自主独立という国家のよって立つ基盤を崩すことだ。まずは我が国の責任において我が国の行動を選択し、その結果も引き受ける。君たちと同じようにな。一九四一年一二月八日に、我が国がコーデル・ハル氏の申し出を拒否し、自らの行動を自ら選択したときと同じように」

「ふん……好きになさい。しかし忠告する。情報共有ぐらいはしておかないと、あなたたちの責任とやらで行う行動の側面支援もできないわよ。それで同盟を結んだと言える?」

「――それについては一考しよう」

 それから微笑んだ。

「なんだ、合衆国も意外と優しいな? 我が国の力を奪ってやろうと思っているのかと思ったが、単に心配してくれたのか」

「……別に。ただあなたたち日本も意外と人間味のある国だと悟ってね。ヤッファでのあなたの行動は私も評価している」

「――素直に感謝しておく。軍令部には情報共有について検討するよう意見具申しよう。それで君の要件は終わりかな、フォーゲル中佐」

 アメリアは曖昧に微笑んだ。

「ええ……まあ」

 それから視線を左右にちらちらと泳がせ、再び薫子を見る。

「意外とね、このウランバートルにもおいしいレストランがあるみたいよ。どう、一杯? そこの副官殿も一緒に来ればいい」

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