第7章「戦い、未だ終わらず」第1節「日英講和――インド洋憲章」
一九四二年八月二日。
エジプト、カイロ中心部。日本軍司令部。純白の海軍軍服に身を包んだ神崎薫子は、千登勢玲次とともに世界地図に視線を落としている。
「……ようやくここまで来ましたね」
玲次がつぶやいた。
「そうだな。エジプトを取れたのは良いことだった……と言える」
薫子は認める。
エジプトにおける枢軸国の攻勢は、第二次世界大戦の戦略環境を一変させた。スエズ運河を枢軸が占領、インド洋の制海権をほぼ掌握したことにより、連合国が枢軸に勝利を収めるための最大の要素――資源と人の問題が、一気に解決する可能性が見えてきた。
日本は速やかにロンメル軍をイラン義勇軍と合流させ、ソ連軍はイラン北部及びコーカサスで窮地に立たされた。一九四二年六月から開始されていたスターリングラード戦線のソ連軍は、イラン側からの補給が途絶え兵站に用いるトラックや食料などの供給が払底し、敗色が濃厚となっていた。
ロンメル軍は英中東方面軍の戦車部隊を接収して戦力を膨張させ、イラン義勇軍とともに善戦、イラン北部を占領していたソ連軍を速やかに駆逐し、バクーの油田、及び南カフカスのソ連構成国――グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンを手中に収めた。更にカスピ海西岸を北上し、ボルガ川に沿って遡上、七月末にはスターリングラード包囲網に加わる。その時点で、既にカフカスの資源帯はドイツ軍のものであった。
ここに、ドイツ軍のソ連侵攻の戦略的な目標――「ソ連資源を奪取する」はほぼ達成されたのである。
「ドイツ軍のプロパガンダも戦局に効いていたでしょう」
玲次が指摘した。
「あの場所にいたアーデルハイド・ヴェンツェルという士官……偏執的な反ユダヤ思想から居留地を襲ったのだと誤解していたが、それよりも高度なことを考えていたようだ」
薫子は暗い顔をしてつぶやく。
プロパガンダ戦でも連合国は窮地に立たされた。
ヤッファ攻防戦において、ユダヤ人居留地を英軍部隊が強襲した――とのニュースがドイツ軍から発せられたのである。英軍の本隊ではなくパレスチナ委任統治領のアラブ人部隊であったが、英軍に所属した部隊には違いない。
このニュースは、この世界大戦がただの植民地の争奪戦ではない唯一の要素――ドイツにおけるユダヤ人に対する民族浄化を止めるための戦い――に対する苦いカウンターとなり、米英は「正義の戦い」という旗を掲げることが困難となってしまった。
そもそも、ドイツとともにポーランドを侵略したソ連が入っている時点で、連合国が「正義」を掲げることは難しくはあったのだが。
日本軍はエジプトの英軍を壊滅せしめた後、アフリカ東岸を南進、キリンディニ、マダガスカル、そして南アフリカにも上陸、北部ブッシュフェルトのクロム鉱山等を占領した。
また、ハワイに所在する飛虎義勇艦隊は、連合国がウラジオストクを通じてソ連を支援していたルートを壊滅させるため、ウラジオストクを強襲、機雷により封鎖した。
ソ連はカフカスのフライング・タイガー義勇飛行隊の件とあわせ、日本に対し日ソ中立条約違反だとして猛抗議したが、日本帝国政府は、「日本軍とは無関係の国際義勇兵部隊である」として取り合わなかった。
既にその頃には、カフカスの資源帯をドイツに奪われ、モスクワの命運すら風前の灯火となっていたソ連には、更に強く交渉する余力はなく、「フライング・タイガーは義勇兵」という詐欺のような言い分が認められることとなってしまった。以降、ソ連は連合国からの補給の見込みが全くなくなり、自国の資源帯もドイツに奪われたことで、逆に資源においてドイツに劣後することとなり、独ソ戦の戦況はドイツの圧倒的優勢で推移していた。
「ドイツは我が国に感謝すると声明しましたね」
「……彼等の立場としてはそうだろう。だが今後の我が国は、彼等とも矛を交えることになるだろう」
薫子はつぶやく。
米国には一九四二年夏の時点ではこの戦局を覆す力が乏しく、また頼みの資源と生産力についても、枢軸国がソ連、中東を含む環インド洋の資源帯を全て手に入れた現在、優位を取り戻す見込みが立たなくなってしまった。
ここに至り、ついに英国は折れた。
一九二四年八月一日。
カイロ市において、英国は日本と正式に講和すると発表した。
講和の原則として両国は「インド洋憲章」を掲げた。これはもちろん、米英が一九四一年の夏に定めた憲章を上書きするものとして、日本側が提案したものである。
一. 日本と英国は領土拡大を求めない。
二. 領土変更は認めない。
三. 但し、民族自決は領土不変原則に優先する。またここに該当する「民族」は、欧州に限定しない。
四. 貿易障壁は引き下げ、撤廃を目指す。これは本国と植民地の間でブロックを作ることを容認しないことを意味する。
五. 全ての人によりよい経済・社会的状況を確保する。ここに言う「全ての人」は、欧州に限定せず、また植民地人にも敷衍される。
六. 恐怖と欠乏からの自由の必要性。ここでいう恐怖と欠乏は植民地支配に依るものも含む。
七. 海洋の自由の必要性。
八. 平和がもたらされた暁には、全ての国の軍縮について協議する。尚「侵略国」とは恣意的な定義になるため定義しない。
また、この憲章に基づく日英の講和として、次の五箇条が定められた。
一. 日本軍は平和が達成された後、中東及び東亜における英国植民地を返還する。
二. 但し、第一項は、英国の全ての植民地において、外交・防衛・経済協定に関する自主権が認める場合に限る。
三. 第二項の達成を監視するため、日本軍は英国植民地における下記の拠点を九九年間租借する。①香港植民地内、九龍地域、②マレー植民地、ジョホールバル、③中東植民地、クウェートおよびポートサイド、④アフリカ植民地、モンバサ、ブッシュフェルト。
四. 東亜・中東・アフリカのオランダおよびフランス植民地については、平和が達成されるまで、日本軍が占領する。しかし、これらの植民地についても、外交・安全保障・経済協定の自主権を確保するよう日英は強く推奨する。
五. 米国も日本と講和するよう日英は推奨する。日米講和が達成された後、日本軍は占領下にある地域における枢軸国との貿易の制約について、米国と交渉する用意がある。
結果としてみると、英国は植民地帝国の地位を維持したが、それは各植民地の自主権を認めるという前提においてであり、そのための監視を日本軍が行うという意味で、その地位は盤石なものとは言いがたかった。
また、日本軍は「平和が達成されるまで」引き続き占領地を維持し、かつ、それらの地域の資源を枢軸国に提供し続けることが明記されていた。
(……一応、私のやり方はプリシラのお眼鏡にかなったようだ。そうでなければ講和など結ばなかっただろう。今でも枢軸が勝つか、連合が勝つかは五分五分だ。英国がこちらの講和案にのったのは、米国を見限ってもよい、と思えるほど日本が信頼できると考えたからだろう)
薫子はたちあがった。
「どこへ行かれます?」
「英国交渉団のところだ」
「お共します」
薫子は微笑んだ。
「もはや危険はないと思うが」
「いえ。ドイツのスパイ――アーデルハイドの動きが気になります。それに、あの吸血姫――信頼できません」
「いや――そうだな、途中までは一緒に来てくれ……やつは秘密交渉を好むらしいからな」
薫子は小さく笑い、同行を許可した。
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