第5節「ドーリットル爆撃隊出撃」
一九四二年四月一八日早朝四時。インド洋クリスマス島付近。西オーストラリア州パース海軍基地を五日前に密かに出航していた米空母ホーネット、エンタープライズを基幹とする米海軍機動艦隊は、日本帝国の「臨時大本営」が置かれているシンガポール――日本名「昭南市」南方約一四〇〇キロメートルの距離に迫っていた。
一九四二年四月までに、日本軍の快進撃によりオランダ領東インド全域、マレー半島、ビルマは占領下にあり、クリスマス島自体も占領されていた。
また、「フライング・タイガー義勇艦隊」を名乗る日本海軍の別働隊はハワイを占領、潜水艦搭載の航空機や火砲を以て米本土西海岸にも攻撃を繰り返しており、米国としてはここで日本軍に有効な反撃を行わねば、軍隊の士気、民間の継戦世論、いずれも持たないところまで来ていた。米国の工業力をもってすれば、最終的な勝利は揺らがない。しかしその前に敵が勝利を重ね、同盟国や国内世論が講和に傾く懸念は十分にあった。それを防ぐため、モンバサで爆弾テロを起こし、日本と接触する英国を牽制する策も弄した。
そして、これから行う作戦も講和に傾きつつある国内世論の対策の面が大きい。
(――頼むわよ)
空母エンタープライズ艦橋の窓から、発艦準備を続けるB25爆撃隊を見つめるアメリア・フォーゲルのまなざしは堅い。米国統合作戦本部、戦略情報局(OSS)中佐である彼女は、自身の性格を好戦的と評しているが、それでも今回の作戦は分が悪すぎる。
まず攻撃目標が敵の首都であるトウキョウではなくシンガポールなのが地形的に厳しい。トウキョウならば広大な太平洋に紛れ、敵の警戒網をかいくぐって接近し、奇襲爆撃を敢行することは、難しいとは言え可能であったかもしれない。しかし、シンガポールは半島や島々に囲まれ、どこから近づこうと必ず発見されてしまう。それに、攻撃した後の着陸拠点も問題だ。四月一日にサンフランシスコを出航したときには、まだビルマの英軍ががんばっていた。そこに着陸すれば良いと思っていたのだ。だが情けないことに英軍はビルマの首都ラングーンに攻め込まれたほか、セイロン、セーシェル、はてはアーバーダーンまで占領されてしまい、B25飛行隊が安全に着陸する基地はなくなってしまった。そこで苦心のすえ、「未だ占領されていない英領ニコバル諸島の海岸に胴体着陸する」という弥縫策をとりまとめ、やっと作戦続行にこぎつけたのである。
「浮かない顔だな、アメリア」
エンタープライズ艦橋の中央に陣取るハルゼー提督が声をかけてきた。
「いえ。作戦が実行できること自体は素晴らしいことで、喜んでおります」
アメリアは敢えて笑顔を作って見せた。
「だが成功するかどうかは分からない、か?」
「はい。しかしできるだけの手は打ったつもりです。閣下には作戦続行を支持していただき、感謝しております」
しかし、猛将で知られるハルゼー提督が強い攻撃の意志を示し続けなければ、統合参謀本部もこの作戦を取りやめていただろう。作戦立案から関わっていたアメリアとしては、彼のような士気の高い現場指揮官の存在はありがたいかぎりである。
「当然だ。このまま奴らにやられっぱなしで許せるものか。どうしても一泡吹かせてやらんといかん。そのためには奴らのエンペラーの頭上に爆弾を降らせるのが一番だ」
(そのとおり……だがそうやって我々の攻撃をシンガポールに誘因したのが敵の賢いところだ。大切なエンペラーなんだから、トウキョウから動かさなければいいものを、シンガポールに移動させたためにこちらは苦労させられている……)
「心配するな。ドーリットルは骨のあるやつだ。必ず爆撃を成功させる。失敗したら飛行機で突っ込むとまで言ったんだからな」
B25爆撃隊隊長、ドーリットル中佐をそう褒め称え、ハルゼーはにやりと笑って見せた。白い歯がまぶしい。
「彼が骨のある軍人であることは心配していませんよ。そういう人間をこそ、死なせてはならないと思っているだけです」
「心配事はニコバル諸島への胴体着陸か」
「ここからシンガポール、ニコバルへ至る三〇〇〇キロメートル弱の経路の全てです。推測に推測を重ね作戦を作りましたが、敵の索敵、迎撃の強度を推測することは難しく――」
そこまで言って、アメリアは口をつぐんだ。艦橋の士官らが心配そうに彼女の言葉に聞き耳を立てていたからだ。
「――とはいえ、日本軍もここまでの戦いで戦線が伸びきっています。あの小さな島国がハワイからアーバーダーンまで、地球の半分に軍を派遣した。そろそろ息切れするころでしょう。叩くなら今です」
ほっとする艦橋の空気を感じる。だがそれは逆にアメリアの危機感を高めた。
(敵を侮り、味方を過大評価する……下の下だ)
厳しい顔つきのまま、彼女は飛び立っていくドーリットル爆撃隊「レイダーズ」の一六機を見送り続けた。
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