第五章 第一節 魂のあり方

英軍アーバーダーン駐屯地の壊滅は、自動的に日本軍の支援を受けたイラン義勇兵のアーバーダーン占領を実現せしめた。駐屯地自体が吸血鬼により占領不可能になっていたとしても大きな問題にはならない。駐屯地は、有事に陸兵を派遣するという機能を果たすことが期待されていたのであり、それが果たせない限り、義勇兵の小規模戦力の放棄でも英軍にはなすすべがなかった。更に飛行場が占領されたことで、日本は、アーバーダーンを航空隊の拠点とすることに成功し、そのようにして得た制空権を以て機動艦隊はペルシャ湾に進撃、アーバーダーンへの入港を果たした。

 戦艦を含む艦隊戦力がアーバーダーンに入港すれば、その強力な砲撃力による支援も日本軍陸兵は得られるということであり、もはや英軍は、戦艦長門クラスの砲兵力を展開しなければ陸軍による奪還も不可能になる。そのようにして、「日本軍アーバーダーン占領」は既成事実となったのであった。

日本軍がアーバーダーンを占領、根拠地化したことは全世界に驚きを持って迎えられた。ドイツからは、部隊を北方および西方へ向け、カフカスを脅かしバルバロッサ作戦南方軍との合流、エジプトを攻めるロンメルとの合流が提案された。

 また、セーシェル・モルディブ、そしてアーバーダーンを占領したことで、英軍は完全にインド航路からブロックされた形となり、インド独立の機運はますます高まった。

(としても、英国からはますます恨まれるだけだ……これで本当に講和に近づいたと言えるのか)

アーバーダーン港。空母翔鶴。第四艦隊司令官室。

「神崎少佐、入ります」

 若干の緊張の面持ちで薫子は入室し、敬礼する。

「ご苦労」

 第四艦隊司令官、紘羽八重(ルビ:いとう やえ)中将が答礼した。

 司令官室には、第七戦隊司令官、清水清子少将、および、第五航空戦隊司令官、夜綯芳子(よない よしこ)少将の二人もいた。

(――第四艦隊の最高幹部がそろいぶみか……)

 薫子は思ったが、特に緊張はない。軍令部という仕事柄、上級職と同席して説明するのは慣れている。

「まずはよくやった。アーバーダーン占領の功績、夜綯少将からは君の功績が大であるとの報告を受けている。爆撃隊および戦闘機隊の誘導をよく行い、現地の陸上部隊の撃破に貢献してくれた」

 紘羽大将は微笑んでいたが、その顔は満面の笑みというわけではない。口元には笑みを浮かべつつ、目元は笑っていない。ボブスタイルの髪型の前髪からのぞく眼光は鋭い。

「だが、勝って万歳と喜べるほど我が軍の状況が良いわけではない。英国とは海上で対峙する関係であったところ、これで陸上で対峙することになった。元来、我が陸軍は陸上戦闘に後ろ向きだ。第二次上海事変以降は特にな。今次大戦においても、フィリピン、マレー、スマトラ、ジャワ、ボルネオはなんとか男性部隊に戦ってもらったが、後に続く若い男性の数は希少だ。これ以上の戦線を広げるのはほぼ不可能――と参謀本部には言われていた」

「フィリピン、マレー、蘭印が限界――それ以上はやってくれるな、というのが陸軍の総意であるというのは開戦前から理解しています」

 蘭印とはオランダが植民地としていた東南アジアの地域呼称で、スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、スラバヤ島、セレベス島、そしてニューギニア島の東半分を指す。これは日本陸軍が進出限界線として定めた領域で、それより先に日本軍は進出していない。その北に位置する南洋委任統治領および占領下のフィリピンと連携し、東から来るであろう米国を警戒しているだけの状況だ。

 とはいえ、米国はハワイを占領した飛虎義勇艦隊への対応に集中しており、アジアに目を向ける余裕は今のところ、ない。

「しかし、大本営の総意としては、『米国に対しては義勇艦隊をおとりとしてひきつけておき、その間に英国を屈服させ、降伏させることを最優先に行動する』という行動方針となっていたはずです。参謀本部といえど、大本営陸軍部にすぎず、大本営の方針には逆らってはならないはず。私は軍令部所属の人間です。ここでは筋論を主張させていただきます」

「筋としてはそうだが……」

 紘羽大将はちらりと清水少将を見た。意見を求めるように。

「陸軍の弱腰は放っておけばいいでしょう。彼等がやらないというのなら、我が海軍陸戦隊が主力となれば良い。女が戦えば負けるとでも? 私に言わせればそれこそ筋の通らない主張ですな。弓矢や刀剣で戦っていた戦国の世ならまだしも、近代戦でそこまで筋力が関係するとも思えません。そもそも、今や普通選挙権は二五歳以上の女にも与えられている。国を支えるのに男も女もない、と帝国議会も認めたということでしょう」

(清水少将はそういうが……)

 薫子は少し視線を下げた。今でも兵隊の仕事の大半は重労働だ。延々と砂漠を歩き続けることに耐えぬき、窮乏に耐えぬき、負傷にたえぬき、――そこで男と同等の結果を出せるのだろうか。個々の戦闘は訓練でなんとかなるとしても……。

「威勢がいいのはいいことだが。我々指揮官に求められるのは結果だ。勝てるか。英軍の主力はイギリス兵ではなく、インド兵、ペルシャ兵、アラブ兵だ。男が主力だ」

 紘羽大将の声は厳しい。

 そこを夜綯少将が引き取った。

「問題は野戦です。野戦は体格と筋力のさがもろに出る。築城戦、籠城戦ならある程度戦えるでしょう。野戦を避け、奇襲攻撃で拠点を占領していき、支配領域を広げる」

「野戦を強いられたら」

「――海軍陸戦隊にも男性部隊がいないわけではありません。陸軍がそこまで兵隊を出し渋るのだとしてもね」

 一九四〇年前後、成人男性が極端に貴重な存在になって以降、徴兵された男性はほとんど全部陸軍にとられることになった。海軍は男性不足に迅速に対応し、揚弾作業等、筋力を使う作業のほとんどを機械化していたが、陸軍の機械化、つまり兵員輸送車などを全ての部隊のためにそろえるのはそれよりもはるかに難事であったからだ。

「零ではないが、貴重であることは確かだ」

 紘羽中将が指摘する。

「……あとは、英国軍の士気次第ですな」

 清水少将が口を挟む。

「士気?」

「ペルシャまで占領されては、インドを維持するのは困難。北アフリカの戦況を見れば、アラブを維持するのも難しくなってくる。この状況で、インド兵、ペルシャ兵、アラブ兵が英国の命令に唯々諾々と従うのかどうか、ということです。現にペルシャは義勇兵が蜂起して独立を勝ち取った。我が軍はあくまでそれを支援したのみ。私は女が男に叶わないとは思わない。結局、肉体の強さよりも精神の強さが肝要です。しかし、それでもご心配というのであれば、敵方の男が離反する可能性もご考慮ください」

「結局、対峙するのは英国の女になるというわけか」

「そうとなれば、紅茶ばかり飲んでいる英国レディに我が大和撫子が負けるとは思えません」

(まずいな……)

 薫子は思う。強硬派の清水少将は好戦的なことしか言わないし、穏健派の夜綯少将も頭が回る故か戦える理屈を作ってしまう。上層部が楽観論に支配されたら、現場は悲惨なことになるだろう。

「――どう思う。神崎少佐は」

「私は――原則として女には男に勝るとも劣らない力があると思っています。それを前提として、しかし我が国の国力の限界というものがあります。今は米国もハワイを取られたショックでハワイばかりに集中していますが、あんな島は迂回しても良い、と気づけば、昭南市の大本営を直接叩く可能性は大いにある。米国に叩かれる前に英国を降伏させてしまうことは絶対条件です。我が国が生き残るための」

 敢えて帝国とはいわず、「国」といった。

「そして、英国を早期にしめあげるにはやはり、上陸してその占領地を武力で奪うしかない。それがアーバーダーン占領の意図のはず。なので、我が海軍だけで戦うことにこだわらず、できるだけ陸軍の支援を得るように動いていただきたい。彼等こそ陸戦の専門家であり、彼等を弱腰と見做して協力を得ないのはそれこそ悪手。彼の地で野戦を強要されては、我が海軍だけではまず、勝てません。これが我が国全体のために必要なのだとどうか陸軍を説得していただきたい。必要なら私も昭南市にもどり、陸軍参謀本部長に直接ご説明申し上げます」

「……うむ。何個師団必要だとみる?」

「それは参謀本部のほうがご専門でしょうが、イランに進駐した英軍の総兵力は三個師団程度。この中には植民地人部隊も含まれるでしょうが、これに対抗するだけなら容易でしょう。しかし、英印軍は二五〇万を数え、それをこの戦線に投入されては対抗するだけでも困難です。英印軍を抑え、イラン進駐軍だけを相手にするべく、インドーペルシャ間の補給路を叩くこと、イランに三個師団に容易に勝る戦力――おそらく一〇個師団程度を投入することが勝利の必要条件となるでしょう」

「一〇個か――ふむ」

 紘羽大将は考える目をした。

(不可能な要求ではないはずだが――さて)

 薫子は紘羽大将の表情を盗み見る。

 日本陸軍は現在、一五〇個師団が存在する。各方面から一〇個を引き抜くことは不可能な計算ではないと思えた。また、輸送に関しても、現在のインド洋は日本軍の制海権の下にある。多量の輸送船を挑発すれば、これらの師団を輸送することも不可能なことではない、――はずである。

「よかろう。私から連合艦隊司令長官閣下を通じて掛け合ってみよう。但し、戦場に遅滞は許されない。我が彼よりも常に先に手を打ち主導権を握り続けることが肝要である。よって最終的には陸軍よりペルシャ方面に一〇個師団が投入されるよう尽力するが、それを待って行動することはない。――神崎少佐。すまないが艦隊参謀長を呼んでくれ。清水少将、夜綯少将の両名はここに残れ」

「は」

 薫子が敬礼し、退出しようとすると。「待て」と呼び止められた。

「別件がある。一時間後に再び来い。千登勢大尉、それに……栗花落少佐も連れてくるように」

 紘羽中将は夜綯少将に目配せをした。夜綯はしかたないでしょう、という顔で頷く。

「――よろしい。では、神崎少佐は退出せよ」

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

吸血姫の密約 〜吸血鬼になってしまった私が、女子ばかりの日本軍を指揮して第二次世界大戦を戦い抜きますっ〜 山口優 @yu_yamaguchi_

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ