第6節



「何をしている! 動けない敵兵を襲うな! 虐殺は禁止だ!」

 栗花落桜子は通信機に向かって怒鳴る。

「しかし、敵兵はたおしておかないと……!」

「我々の目標は敵の全滅じゃない。講和だ! 非合理的に兵士を殺されては、向こうだって合理的な条件を提示されても講和に応じなくなるんだ」

 部下はやっと納得したのか、しぶしぶ上空に戻っていった。

 そのとき、空港に多数駐機してあるスピットファイアがようやく動き出した。

「――こいつらは、倒しておかないとな……」

 不本意だが仕方ない。

 ぐっと操縦桿をたおし、急降下、今にも離陸しようとしている敵機に一二・五ミリ機銃を浴びせ、一発で屠る。その後急旋回、駐機してある敵機を軒並み機銃掃射で破壊していく。

(こっちも、やらざるを得ないか……)

 更に急旋回、管制塔に照準を合わせる。

(恨むなよ)

 迷わず機銃掃射する。管制塔に集まって来つつあった敵の将兵を七・七ミリ機銃の餌食にする。

 その後急上昇。アーバーダーン空港の戦闘機は軒並み炎を吹き、盛大に燃えさかっている。

(すまないな。戦ってやりたいが……こっちも今回は余裕がないんだ)

 一〇〇〇キロは、アウトレンジを得意とする日本軍機動部隊の攻撃半径としてはぎりぎりに近い。ゼロ戦の航続距離は三〇〇〇キロ、今回爆撃のために連れてきた九七式艦上攻撃機の航続距離は約二〇〇〇キロ。行って帰ったらそれでおしまいだ。ゼロ戦は一〇〇〇キロ余っている分、こうして攻撃機を護衛する行動ができるが、長時間、敵戦闘機と格闘戦を演じる余裕はない。今回の作戦でも、アーバーダーン、バスラと並んで、英軍イラン・イラク統合司令部のあるバグダッドを攻撃、この領域全体の英軍の指揮系統を混乱せしめる案も出されたが、航続距離の問題で実行には移されなかった。

 空港南部の陸軍駐屯地も、戦車、榴弾砲などが爆撃に遭い燃えさかっている。一部の戦車がエンジンをふかし、駐屯地から脱出しようとしていたが、九七式攻撃機は移動している眼下の目標を攻撃するのは得意ではなく、見逃されつつある。

(まずいは、これでは地上部隊に被害が出る)

 桜子は操縦桿を再び倒し、戦車に向けてほぼ真上から舞い降りていく。砲塔の上に至近距離から機銃弾を浴びせ、急上昇する。戦車の対空機銃が火を噴くが、ひらりと避けていく。

 燃料計を見た。

(帰りはぎりぎりだ……)

 敵の戦車は数十両がまだ残っている。

 味方の爆撃隊は軒並み帰投しつつある。

(敵の戦力が残存してはまずい……)

 奥歯を食いしばる。

(誰が命じたか知らないが、攻撃開始直後に戦車を分散させる、というのは素早い決断だし、いい手だ。虎の子の戦車が爆撃を免れれば、歩兵などどうとでも料理できる。我が軍の爆撃機のほうが航続距離が短くすぐに帰投しなければならないことまで知っていたのか? 確かに零戦は多少は残れるが、戦闘機である零戦で戦車を倒すのは骨が折れる)

 しかし地上部隊にとっては、戦車が少しでも残っていれば脅威だろう。奇襲を旨とするこの作戦で、地上部隊の装備は貧弱だ。しかも、ほとんどはイラン兵だ。独立の志士たちが、日本軍の作戦に引き込んだばかりに辛酸をなめることになる。それに日本軍の地上部隊は今やほとんどが婦人兵だろう。その捕虜の扱いがどうなるか、分かったものではない。第二次上海事変という忌まわしき前例を鑑みれば。

「よろしい。ここに残る」

 彼女は決意を固めた。翼を振って合図をし、それから通信機のボタンを押す。

「……翔鶴戦闘機隊、第一分隊のみ残留せよ。引き続き地上支援を行う」

「それでは帰投できなくなりますが」

「ハワイと同じだ。下を占領してしまえばいい。そうすれば帰る必要がなくなる。空港は破壊してしまったが、胴体着陸でもパラシュートでも降りる手段はある。このままでは地上部隊が負けるかもしれん。英軍の捕虜の扱いがどうなるか分からん。捨て置けん」

 数秒、間があった。

「了解」

 やがて誰かが言う。さっき、敵兵を狙おうとした兵士だ。

「戦車はどうやって攻撃します」

 聞いてくる。

「上から急降下して砲塔の上を狙え。正面は堅いが上はもろい。但し七・七ミリだと通らない可能性がある。一二・五ミリを使え。同軸機銃に気をつけろ。上に向けて撃ってくるかもしれん」

 通信を切った。

(さて、気をつけろと言ってもな)

 自分の言葉に苦笑するが、かといって気をつけるなというわけにもいかない。

(アーバーダーンが占領できなければ間違いなく捕虜だ。第一分隊しか残さなかったから、これからは多勢に無勢だ。機銃にやられる可能性もある……しかし、やらざるを得ない)

「続け!」

 寧ろ自分を叱咤するように桜子は叫び、もう一度戦車に向けて操縦桿を倒した。戦車は広く散開し、互いの上空に降下してくる戦闘機を排除する構えだ。

(だが、やるしかない!)

 薫子が決意したそのとき。

 戦車から盛んに放たれる機銃の一発が、桜子のゼロ戦の右翼付け根付近を貫いた。

(く。やられたか)

 パラシュートを開く高度がない。反射的に操縦桿を引き起こす。燃料計がどんどんなくなっていく。

 通信機のボタンをもう一度押す。

「こちら栗花落隊長機。被弾した。指揮を第一分隊長機に譲る! 全機、戦車を攻撃し続けろ!」

 進路を南に取る。シャット・アル=アラブ川の近く、砂塵の舞う中に胴体着陸を狙って高度を下げていく。

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