第5節「アーバーダーン強襲」

アーバーダーン。午前五時。

 英国イラク・イラン軍団アーバーダーン駐留部隊は、アーバーダーン空港南方、シャット・アル=アラブ川が大きく南に蛇行する地点、半ば川に囲まれるような場所にあった。軍港と並び、アーバーダーン空港はこの都市における最重要拠点であり、駐留兵力も最大だった。

 兵舎が並び、最新式のクルセイダー巡航戦車や迫撃砲、榴弾砲なども多く配備してあり、一個連隊――つまり一〇〇〇名にのぼる兵員がここにいる。その大半はイギリス兵ではなくインド兵であり、イラン攻略のためにインドから出動させてきたものだ。

「いい夜明けだな」

 珍しく早起きしたジョン・アンダーソン少尉は昇る太陽を目を細めて眺めた。彼自身はイギリス出身であり、インド軍部隊を率いる身だ。

 タバコに火をつけ、一服する。

 そろそろアーバーダーン飛行基地から警戒機が飛び立つだろう。連日の日本軍による空襲に上層部は神経をとがらせており、本格侵攻も近いのではないかと噂している。キリンディニ軍港の東洋艦隊司令部からも、アーバーダーンへの本格侵攻が近いとの警告が再三届いている。

(しかし、侵攻には大規模な上陸部隊が必要だ。そのような部隊が近づいているという情報はない)

 いつものとおり、日本軍の機動部隊はアラビア海を遊弋しているが、昨日の偵察では、インド北部に近づいており、現在の敵の攻撃目標はインド方面であるというのが英軍の見方である。

(これほど日本が強いとはな)

 イギリス空軍最新鋭戦闘機は、スピットファイアをはじめ皆ゼロ戦に勝てない。航続距離も格闘戦能力も段違いだ。空の戦いで勝てなければ制空権が奪えず、あらゆる戦いで勝利はおぼつかない。

(お偉方の見通しはことごとく甘かったわけだ。世界というものはそうそう自分の思い通りに動くものではない)

 英国の立場としては、日本がこれほど強いとは思っていなかったし、強いとしてもアメリカが相手をするから問題ないと思っていた。

 所詮太平洋方面は副戦場であり、欧州こそが主戦場である。日本というのは、米国を対ドイツの戦いに巻き込むための方便でしかなかったはずだ。

 それが、英国とインドを遮断し、ソ連援助の補給線を脅かし、英国の戦略はさんざんに狂ってしまった。

(なんとか日本との戦いを収めないと、ドイツがソ連はおろか、インドと中東を手に入れてしまうぞ)

 そうなってしまっては手がつけられない。資源と人を手に入れたドイツは文字通り無敵だ。恐ろしい未来が待っていることになる。米国の力を計算に入れても勝てなくなってしまう。

 そこまで考えて、ジョンは目をこらした。上る太陽に何か小さな点が混じっているような気がしたからだ。

「なんだ……あれは……」

 そしてすぐに気づく。

「馬鹿な! あれは日本軍だ」

 日本軍の航空機だ。間違いない。

 早朝、偵察機が飛び立つ前のタイミングを狙って襲撃を仕掛けてきたのだ。

 ジョンは兵舎に走る。電話をつかみ空軍基地を呼び出す。三回コールしてやっと相手が出た。

「こちら駐屯基地! アンダーソン少尉だ。日本軍が来るぞ! すぐに飛行機をあげろ!」

「こんな夜明けにか?」

 相手の寝ぼけた態度に彼は怒鳴りつける。

「馬鹿者! なぜ敵機の接近に気づかん! お前たちのレーダーは何をしていたんだ?」

「……分からん。レーダー基地からの連絡はない。いや、そもそも本当に敵の飛行機が来ているのか」

「お前も外に出て見ればいい! すぐにやってくる……」

 最後まで言うことはできなかった。激しい爆音が彼の耳をつんざく。電話線は切れていた。

「ちくしょう!」

 もはや空軍基地に電話するのも手遅れだ。この上は、この駐屯地における避難を徹底させるしかない。

 そのとき。

 一発の発煙弾が放物線を描きつつ、駐屯地の真ん中に落下してきた。ちょうど、戦車や自走榴弾砲が駐めてあるあたりだ。

(……標的指示か……)

 ジョンは蒼白になった。

 同じ発煙弾が、兵舎にも次々と落下し始めたからだ。

(どうすればいい)

 彼は必死に考え、やがて一つの答えにたどり着いた。

(戦車を一カ所に固めていてはだめだ。分散させ、できるだけ被害を抑え、かつ――)

 彼は周囲を見渡す。

(発煙弾を撃ってきている敵の地上部隊を蹴散らして、脱出する)

 敵の地上部隊は少数であることが想定された。そうでなければ直接砲撃してくるだろうし、そもそも戦車に対抗できるほどの陸上戦力を揚陸しようとすれば、いくら海軍が間抜けでも気づくだろう。これは大規模な空軍と、彼等に標的を指示する小規模な陸上戦力による攻撃なのだ。

 そう判断した彼は、戦車兵の兵舎に急ぐ。爆撃は断続的に続いており、兵舎が次々に爆破されてく。クルセイダー戦車も冗談のように爆破され、吹っ飛んでいく。

 ジョンが爆撃や戦車の破片で傷つかず戦車への兵舎までたどり着けたのは奇跡に近い。

「おい、起きろ!」

 彼が息せき切って兵舎のドアを開けたとき、そこには既に出撃準備を整えた戦車兵らがいた。

「歩兵部隊のアンダーソン少尉だ。戦車を分散させ、脱出させる必要が……」

 彼が言い終わらないうちに、兵舎の中にいた兵員の一人が彼にぶつかった。爆撃に気づきとびだそうとしていたらしい。

 婦人兵だ。戦車兵は体格が小さい方が有利なので最近は婦人兵が多い。

「失礼しました。アフリン・プリチャード曹長であります。ご命令を遂行します」

「――失礼した。俺は君たちの上官ではなく申し訳ないが、そういうことを言っている場合ではないんでな。俺も自分の部隊を率いて君たちの援護に回る」

「分かっております。では」

 彼は駆けだしていく戦車兵らをちらりと見送り、それはそれとして自分の部隊に命令を下すため、基地内を引き返していった。

 しかし、彼の運もそこまでだった。

 間近で起きた巨大な爆発に巻き込まれ、彼の身体は吹っ飛ばされ、全身の打撲で指一本動かせなくなる。

 しかし、彼の薄れていく視界の中で、クルセイダー巡航戦車が無事に発進していくのを、彼は見届けた。

(そうだ……頼むぞ……上層部の誤算は腹立たしいが、だからといって負けっぱなしでいいわけがない。せめて君らだけでもやり返してくれ……)

 上空を我が物顔で飛び回る爆撃隊。その周囲を戦闘機隊が護衛しているが、未だ迎撃機が上がっていないので彼等にはやることがないようだ。

 一機がジョンを見つけたのか、急降下で襲いかかってきた。

(動けない敵兵を嬲るか……それもまた勝者の権利といったところか……)

 急降下で襲いかかってくる戦闘機。

 だが、その戦闘機の下を、別の敵戦闘機がすり抜けた。

 それで攻撃の機先を制されたか、ジョンへの攻撃は行われなかった。

(……助けてくれた……のか……?)

 ジョンは何かを考えようとしたが、全身打撲と出血により、彼の意識はそのまま失われていった。



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