第4節



 アーバーダーンより西へ一〇〇〇キロメートル。アラビア海海上。

 神崎薫子のモンバサにおける会談から数日かけて、セーシェルから三〇〇〇キロメートルを北上してきた第四艦隊・第五航空戦隊。夕暮れまでインド北部沖に遊弋していたが、日が暮れてから西へ急速転進、現在、オマーン湾上、ホラズム海峡を臨む位置にある。

 アラビア海の夏季に特有の南西からの季節風が、第五航空戦隊旗艦・翔鶴の飛行甲板を吹き抜けている。

「向かい風。いい風だ」

 アーバーダーン攻撃隊戦闘機隊長、栗花落桜子(ルビ:つゆり・さくらこ)少佐は、湿った温かい風を感じながら、愛機・零式艦上戦闘機二一型を腕を組んで嘗めるように見渡す。

整備士たちによりゆっくりと滑走路に引き出されていく機体は、深夜、投光器により照らし出された滑走路の上で、輝いているように見えた。

(いよいよ敵の領土を奪いに行くか)

 第五航空戦隊には、どちらかというと穏健派が多い。桜子自身も積極的に戦線を広げることには反対だ。しかしそれでも高揚感は覚えざるを得ない。

 桜子が子供の頃、女子ばかりが生まれるということで、もはや世も末だというのが世間の雰囲気だった。しかし彼女自身は、これからは女子でも何でもできる、何でもやれる、という期待が高まり、特に悪い気はしなかった。特に好きだったのは飛行機だ。子供の頃、はじめて飛行機というものを見てから、その魅力にとりつかれてきた。

 今でも飛行機の操縦は楽しくて仕方ない。あらゆるものから自由になった気がする。

それがたとえ殺し合いなのだとしても、武装しているかぎりは自分も敵も対等だと思うので特に罪悪感はない。しかし残念ではある。敵の搭乗員にも優秀なものが多い。桜子が戦ってきたのは大半が英空軍だから、向こうに乗っているのだっておそらく婦人兵だろう。平和なときに出会っていたら、飛行機好きな者同士、国の垣根を越えて、さぞや話が盛り上がったに違いない。

 だから、本当なら、もっと平和な中で飛行機を操縦したいものだが――。

(それも、この戦争の趨勢次第だ。連合国と講和が成れば、年内に戦争が終わることだってあり得る。そのためにも)

 彼女は革手袋に包まれた拳をぐっと握った。

「集合!」

 飛行甲板に上がってきた搭乗員らに声をかける。

 翔鶴零戦隊総勢二三名。全て婦人兵だ。

「諸君。もはや多くは語るまい。この戦(ルビ:いくさ)、我が国は圧倒的に不利と言われてきたがここまで勝利を重ねた。このまま英国に対し勝利を重ねれば、講和の日も近いだろう、というのが軍令部の見立てだ。勝利者として講和を成立させたとき、我が国にとってよりよい世界がひらけていることだろう。我々の未来のために。とりわけ我々が生む、未来の子供たちのために」

 彼女は微笑んだ。

「行くぞ諸君。世界を変えるぞ。――搭乗、開始!」


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