第5節「モンバサ――吸血姫再び」
「何? モンバサ市内で爆弾テロが起っていただと」
東アフリカ。モンバサ。英国高等弁務官府内。そこに間借りしている形の英国東洋艦隊仮司令部の執務室で、プリシラ・ブラッドフォード中佐は報告を受けていた。
「はい。日本軍の砲撃に合わせて行われた爆破であったため、着弾位置が港からずれたものと評価していましたが、詳細な調査の結果、地上で爆破させた爆弾であることが分かりました。我が軍関連施設が主に被害に遭っていたため、おかしいとは思っていたのですが」
報告しているのはヴィクトリア・ローズモンド大尉。プリシラと同じく、海軍情報部に属する士官である。
「――しまったな。砲撃の報告は既に送ってしまった。訂正を送ることにするが、妾自身が本国で説明した方が良さそうだ」
「強硬派には良い情報になりましたね。日本の敵対の意思は強く、米国を以て日本を討たせるしか道がない、という」
プリシラはパイプをくわえた。
「その物言いは妾がまるで穏健派であるかのようだが、別にそういうつもりもない。強硬にやるにせよ、穏健にやるにせよ、英国が存続するにはどうすればいいか、という手段の検討にすぎない。派を作るような大げさな話ではない。薔薇戦争の経験からしても、人間というものはすぐに対立する派閥を作りたがるようだが――」
プリシラはそこで言葉を止めた。ヴィクトリアがとがめるような目で自分を見ていたからだ。
「――という話を聞いただけだ。旧い家なのでな」
彼女は言葉を続ける。
「それで。その爆弾テロは誰の仕業なのだ。日本か。ドイツか。あるいはイタリアか」
「……我が軍の防諜体制はそこまで穴のあるものではありません。日本軍の戦果観測員らしき原住民はたびたび摘発しておりますが、彼等には爆弾を持ち込み、仕掛けるような技術も組織力もない。ドイツは東アフリカまで手を出す余裕はない。イタリアはエチオピアを領有していますから、距離としては最も近いですが、彼等にも余裕がありません」
「では誰だ」
「……米国ではないか、というのが我々の分析です」
「ふん」
プリシラはパイプを加えた。
(意外ではない。ハル・ノートのような不自然な強硬策を採ったのは、奴らが日本との戦争を望んでいたことの証左だ。それは対ドイツという文脈では我が英国にとってもありがたいことではあるが、一方で彼等は英日の停戦は望んでいないということをも意味する。妾と薫子の交渉を邪魔したいのも当然だな)
パイプから出て行く紫煙を目で追う。その紫煙の向こう、窓外のモンバサの市街地は、昨晩の攻撃によって破壊されたあとがまだ生々しい。しかし、これが日本軍によるものと認識するのと、他の下手人がいたと認識するのでは、感情の上でも理屈の上でも今後の戦略が大きく違ってくる。
(――このような我が英国への侮辱は心底腹が立つ)
「その分析。どのぐらいの確度だ。根拠は」
「昨晩の攻撃時、警邏していた我が軍兵士により誰何され、逃げた者がおりました。射殺して死体を見聞したところ、ダイナマイト等の爆発物と、英文のメモが見つかりました。その爆発物の成分を調査したところ、市内各所での爆発の成分と一致しました。砲弾の炸薬とは明らかに違う成分でした。また、メモには、Kilindini Harbor(キリンディニ・ハーバー)との記述がありました。Harborです。Harbourではなく」
「アメリカ英語だったわけか。しかしそれだけでは根拠として薄いな。別の国が欺瞞工作でやっているかもしれない。英米が対立して喜ぶ国はごまんといる」
「先ほどのように、日本あるいは独伊にはそれだけの工作を行う余裕がありません。あとは――ソ連でしょうか。彼等が犯行を働き、もしばれても英国の心証が悪くならないよう、米国の責任にするために敢えてアメリカ英語のメモを工作員に持たせた」
「ソ連には動機がないだろう。余裕もない」
「動機ということであれば、英日の講和はソ連にとって不利です」
「ソ連にとって不利? 日本が補給線を攻撃することがなくなり、再び我々から補給が手に入るのだから、ドイツとの戦いが有利になるだろう。日本と講和しても我が英国はドイツとは戦うぞ。米国もだ。薫子らの一派もその前提で動いている」
「短期的には。しかし長期的には、日本が枢軸から降りることで、満州・千島・樺太あるいは北海道がとれなくなります。そのような分析もあり得ます」
「……しかし今まさに首を絞められているときに、将来的に手に入るかもしれないキャンディのことを心配してもしょうがないだろう。その分析は妥当性を欠く」
ヴィクトリアは押し黙った。その問いに対する答えは用意していなかったらしい。プリシラは次の可能性を探った。
「――現地の独立勢力という線はないか。あるいは、インド、イラン、南アフリカ、マダガスカルなどの植民地・占領地の人間による反英活動では。あるいは、現地人が主体となって動き、その支援を独伊日がやっているという可能性もあるのではないか。それならば余裕がなくてもいい」
「その線も調べておきます」
「よかろう。とにかく、モンバサで日本軍の砲撃と同時に爆弾テロが起こった、下手人のメモはアメリカ英語だった、という情報は妾自ら本国で説明する。事実はどうあれアメリカにとっては不愉快な動きだろうが、その反応を見て真実を見極めるのが一番だと判断する」
プリシラはそこでパイプを置いた。
「報告ご苦労。数時間でよく調べた。下がっていい。お茶を頼む」
しかし、ヴィクトリアは何か言いたげにしている。
「何か?」
「昨晩のプリシラ様の行動にはどのような意味が? あの神崎薫子という日本軍将校を『噛まれた』のはなぜです。力をお見せになったことも危ういと感じます」
プリシラは執務室の椅子から立ち上がった。窓のそばに立ち、モンバサの市街地、その先のキリンディニ港に居並ぶ艦艇群まで眺めやる。半数が損傷を受けており、修復には最低数ヶ月を要するとの報告であった。
「言ったはずだ。全ては、我が英国の存続にとって何が最適かという観点での手段の話に過ぎないと。第一次世界大戦によって、戦場となった欧州の英仏独は力を落とし、相対的に米ソ日が力をつけた――かに見えるが、その中で日本は最も基礎的な国力が劣り、与しやすい。『日本を通じて米国を対枢軸の戦争に引きずり込む』というのは妥当な戦略だったと思うが、正直なところ、役割を終えたら日本にはもう戦争から退場してもらって構わない。米国も対日ではなく対独に集中してほしいのだ。それに、日本には極東での対ソの押さえという役割もある。中国利権をこれ以上とられては不愉快だが、現在の日本は大陸でこれ以上戦線を広げるつもりはないだろう。極東での対ソのための番犬が中国利権という餌を多少食ってもそれを容認してやるのが飼い主の度量だよ。米国も番犬だが、番犬が一匹ではむしろ番犬に主導権が移ってしまうのでね。二匹ぐらい飼っておき、互いに競わせるのがよい」
「そのように動くでしょうか、日本や米国は」
「少なくとも薫子はそのように動く。その前にやつが潰れてしまってはよくない。それを防がんがための保険だ、あれは」
(それに、あの血は大変に美味だったからな。前々から飲みたいと思っていたのだ、やつの血は)
ぺろりと唇をなめた。
「――以上だ。下がって良い。お茶は早めにな」
「砂糖は少なめ、ですね?」
「……いや、多めに頼む。考え事がしたい」
「畏まりました」
ヴィクトリアは敬礼し、退室した。
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