第4話


「神崎少佐殿。男性士官からの呼び出しです」

 ノックとともに当番兵が呼びかける声がした。セーシェルに停泊する艦艇群のなか、薫子は第四艦隊所属、第五航空戦隊旗艦、空母翔鶴に間借りする形で居室を得ていた。士官室といっても艦内に余裕はなく、四人部屋だ。ただ、当直などで薫子以外の士官は居室にはそのときいなかった。

「――神崎だ。誰か?」

「千登勢中尉です」

「分かった」

 薫子はすぐに姿見で身なりを整え部屋を出る。

 当番兵の女性はびしりと敬礼したが、それから好奇心に満ちた視線を薫子に注いだ。

「……少佐殿ですよね――英軍との交渉に行かれたのは」

「そうだが、内容は秘密だ」

 薫子は簡単に答え、艦内の歩を進める。

 一九二〇年代から、海軍は寧ろ積極的に女性将兵の導入を進めてきた。陸軍と違い、膂力の足りない女性でも対応できるような機械化については、海軍のほうがやりやすかったという事情もある。また、統士を出た女性士官らのほうでも、自らが活躍しやすい環境として海軍が望ましいとの理解が広がったからだ。

 しかし風紀の乱れだけは軍として厳重に対応しなければならないことはわかりきっていたので、男性士官・男性兵と女性士官・女性兵の居室は厳重に区別し、風呂なども当然別に作ってある。故に、「男性士官からの呼び出し」という状況も発生するのである。

「戦争は終わりそうですか」

「……何とも言えん。今後の努力次第だな。英国にもプライドがある。あちらも女ばかりだったが、それでも負けるわけにはいかんらしい」

「当然です。女だからといって、負けるということはありません。イギリスは知りませんが、少なくとも我が国はそうです」

 兵士が急に声を荒げたので、薫子は苦笑して微笑んだ。

「そうだな。悪かった」

 彼女の水兵服の肩に手を置き、それから女性居室区画を出る。区画の入り口で警備をしていた兵士が敬礼した。

「――少佐殿、いかがですか、お加減は」

 千登勢玲次が心配そうに言うので、薫子は少し彼を試したくなった。

「心配なのは上官だからか」

「――そう言わざるを得ないでしょうね。レディとしては扱うなと命じられました」

「そうだったな」

 薫子は簡単に受け流し、後部デッキに向かった。呼び出しを受けた時点で、今後の方針を検討したいという意味だと分かっている。玲次が黙ってついてきたので、それが間違っていないことも分かった。

 共同区画ですれ違う男女の将兵に敬礼しつつ、狭い翔鶴艦内をほぼ縦断し、後部デッキにたどり着く。

 まだ夜間だ。

 朝になれば警戒機が飛び立つだろう。キリンディニをさんざんに砲撃され、英軍は怒り心頭だ。

「イランを攻撃してみろ、だったな。作戦案は」

 一応聞いてみる。

「ここに」

 驚くことに、玲次はすでにタイプされた書類を持っていた。

「アーバーダーン強襲作戦・素案」

 とある。

「早いな」

「第五航空戦隊の作戦参謀に優秀な知己がいましてね。海兵からの同期ですよ」

 後部デッキの照明の下、二人は作戦書をのぞき込む。

「潜水艦を使い秘かに海軍陸戦隊がアーバーダーンに上陸、イラン側の内通者と連絡を取り、一斉攻撃の時を待つ。次に沖合の空母機動部隊から飛び立った艦上機の編隊が郊外の英軍駐屯地を爆破するとともに停泊している艦隊を強襲、海軍陸戦隊は市内の主要箇所を攻撃・占領し、アーバーダーンの奪還を行う」

 要旨はそういう計画だ。

「……潜水艦からの上陸作戦か。できるのか? 夜間ならば輸送艦でもいいのではないか」

「輸送艦のような脚の遅い艦艇を使う余裕はありません。どうせ脚が遅いなら敵に発見されず、少数で行くのが一番です」

「空挺兵ではどうか」

「それでは昼にしか行けません。夜間上陸、早朝の航空攻撃、同時に市内要所の強襲・占領がこの作戦の要です。陸兵の主体はあくまでイラン兵であると考えてください」

「イラン軍はこちらにつくのか?」

「英ソはかなり強引にペルシア回廊の奪取を行いました。イランは相当頭にきていますよ。我が海軍がインド洋に本格的に侵攻してきた状況下、従前より我が軍による支援を秘かに打診してきていたほどです。ドイツも喜ぶでしょう」

「――それもそうか」

 薫子は作戦を吟味した。

 よく練れている。前々からやりたかったので何度も練ってきたような、そんな痕跡すら見える。

「本当のことを言え。この作戦立案には誰が関わっている。本当に第三航空艦隊だけか?」

「――本当ですよ。尤も、第四艦隊隷下の各戦隊の作戦参謀は、艦隊作戦参謀を兼任していますし、そのつながりでよその戦隊の作戦参謀とも共同で討議をする機会も多いとのことでしたが」

 それから玲次は一呼吸置いた。

「少佐がおっしゃりたいのは、これが洲月菫少佐殿の手になる作戦計画ではないかということですか」

 薫子はしぶしぶ認めた。

「まあそういうことだ。奴とはなぜか折り合いが悪くてな」

「なぜか、というか、あの方は我が艦隊の中でも強硬派の筆頭格でしょう。少佐殿がお嫌いな『武装せる愛国婦人会』の旗頭といったところですか」

「――いや、あれは陸軍に対して言ったのだ。海軍にはそこまでのことは言わない」

「しかしお嫌いだと。感心しませんね、好き嫌いで作戦をやるのは」

「……よくできているよ。それは認める。ただ、奴が関わっているなら、何か罠がないかと思ってな」

「……罠というか、英国との交渉がこれでうまくいくかどうか、それは私にも未知数です。当然、英国の心証がより悪くなる、という結果もあり得る。何しろ彼等の基地を攻撃するのですから。イランにはソ連への補給路確保の目的で米軍も相当入り込んでいる。米軍の心証も悪くなるでしょう」

「しかし、ソ連の首を絞めることには成るし、それは連合軍の戦略にとって無視できない影響を与える、か」

「そのとおりです」

「ふうむ」

 イランをせめて見ろ、というプリシラの条件は、日本を罠に追い込む要素もあり、かなり狡猾であったが、日本軍の立場として妙手でもあった。

 通商破壊作戦だけならば日本の戦力はそれほど削られないところ、上陸作戦を敢行すればそれだけ死者も出る。しかも、英国の従来からの拠点ではなく、ソ連との間で潜在的な勢力争いを演じているイランだ。日本軍がソ連軍とも対峙することにもなりかねない。更に、米軍にも攻撃を加えることになり、米軍の心証も悪くなる。つまりソ連や米軍との戦争に深入りし、この戦争から脚抜けできなくなる罠とも見える。

 一方で、ソ連支援路の遮断、中東方面からエジプト戦線への圧迫、インド植民地への圧迫を考えると、イギリスの継戦の決意を翻意させるには絶妙な地点でもある。

「さてどうするか……」

 薫子は胸ポケットから棒状の砂糖菓子の箱を取り出し、一本口にくわえた。女性将兵のなかにはタバコが口に合わないという者が多く、いつの間にかタバコと同様に軍内で流通するようになったものだ。ハッカの香りが口の中に広がり、思考が明瞭になった気がする。箱には菊花の紋章があしらわれており、恩賜のタバコになぞらえて恩賜の糖菓子(ルビ:とうがし)などと言われている。

「――いずれにせよ、彼等の心証を悪くすることは回避できないようだ。プリシラも『

力を見せろ』と言ってきた。私としては回避したいことだが、そうも言ってはいられん。気になるのは――」

 彼女は言葉を切る。

「……米英軍への過剰な報復行為だ。イラン軍は英軍に悪感情を持っているし、米軍に対してもそうだろう。だからといって禍根を残すような事件が起ってはだめだ」

「ご指摘の通りかと」

「よって私が行く。軍令部八課、英国情報の専門家として、現地反乱軍との折衝役を引き受ける」

「危険ですが」

「しかし提案するのはこの私だ。職掌としては別だろうが、腰抜けとは言われたくないな。強硬派に批判の口実を与えるだけだ」

「今度も、あなたを狙った攻撃を彼等はやるかもしれませんよ。特に洲月少佐は」

「今度は航空攻撃だ。砲撃ではない。奴が絡む余地はない。航空戦隊は穏健派が多い。我々の意図をくんだ攻撃をしてくれるだろう」

 玲次はじっと薫子をのぞき込んだ。

「――どうした」

「私も行きます」

「一応聞いておくが、理由は」

「――上官の補佐、兼、上官の護衛ですよ。それに、作戦課の知己と共同で作戦案を作った自負もあります。私の職務上、当然のことです」

「妥当な理由だ。レディ扱いでないなら問題ない」

 恩賜の糖菓子をもう一本取りだし、玲次に差し出す。

「どうだ? 作戦案を手早く仕上げた褒美だ。男はアメなどと嫌がるが、タバコよりもいいぞ。考えがまとまる気がする」

「いただきましょう」

 玲次は一口、味わうように嘗め、それから砂糖菓子を口から離し、タバコのように日本の指で挟む。なかなか様になっていた。

「作戦とは直接関係ありませんが、例の会見以降、かなり気になっていることがあります。一つ質問させてもらってもいいですか?」

「――聞こう」

 暗くて玲次の表情は見えない。

「……プリシラ・ブラッドフォード。彼女は何者なんです? 英国海軍士官といいますが、あの力は何です? それにあなたにかみついたのは一体どういう意味が……」

 薫子はため息をついた。

(――そちらの話か)

 それから、口元を引き締める。

「いいだろう。少し長くなるが、話してやる。

 プリシラ・ブラッドフォードは、統士への留学生としてやってきてな。いわば私の同期だった。当時英国との関係はきな臭くなっていたが、英国――というより本人の希望でやってきたような雰囲気があった。統士の中でも成績は抜群でな。ひとあたりもよく人気者だったといえる」

「少佐殿も目立つお方だったと聞いています」

「――単に上背があるからだろうな」

 薫子は簡単にそう答えた。

「さて、なぜかプリシラは私に関わり始めた。きっかけは思い出せないが、おそらく訓練で同じ分隊になったであるとか、そういった他愛のない理由であったと思う。プリシラという女、女にしては力が強いなと思ったが、あそこまでの力とは思わなかった。あとは頭の回転も抜群だったな。ブラッドフォード家は英国貴族の名門という謳い文句であったが、気取った風はなかった。しかし、よくよく話してみると、庶民的というより、人間にとっての貴族とか庶民とか、そういった違いにあまり興味がないようにも見えた。みな等しく『人間』という種族で、それゆえ等しく――やや下に見て――接しているようだった。自分はそれらとは違う、というような奇妙な雰囲気があった。私などは、ひそかに『火星人』と呼んでいたよ」

「――なんというか、奇妙な方ですね」

「だが、英国には親近感はあるようだった。といっても普通の人間のいう愛国心とはやや違う。飼っている犬や猫たちを気に入っている、そんな雰囲気で英国を気に入っている様子だった」

「ふうむ」

 玲次は砂糖菓子をくわえ、考え込むように腕を組んだ。

「……さて、統士時代の思い出はここまでだ。ただ、別の英国人から後から聞いたところ、ブラッドフォード家には奇妙な噂があるそうだ。いわく、ブラッドフォード家の家門に連なる貴族家はいくつかあり、その家門の中で結婚を行う因習があるそうだ。そして、プリシラという名も家門の娘によくつけられる名前らしい」

「それは特に不思議なことではないのでは。そういう貴族の家門があるというだけでしょう」

「奇妙なのはここからだ。この家門には娘を一五までお披露目しないという因習もある。しかしプリシラという名の娘がお披露目されるとき、その母はそのときまでに必ず早逝しているというのだ。同じくプリシラという名の母が」

「……そして、その娘も家門の中のどこかの家に嫁ぎ、娘を産んだ後、一五までに早逝してしまう、と――」

「変だろう」

「――一つ一つの事象はそこまで変ではないですが、それが重なると奇妙ですね。まるで、『プリシラ』という一人の人間がずっと生きているようにも思える」

「そのブラッドフォード家だが、ノルマン朝のころ――つまり一〇〇〇年前から続いているそうだ。初代ブラッドフォード卿の夫人の名前もプリシラというらしい」

「それで、首元にかみつく――ですか。まるで吸血鬼伝説の姫のようですね」

「――言い得て妙だな。吸血姫か……」

 薫子は二本目の砂糖菓子を取り出し、口にくわえる。

「統士時代の話はそこまでとのことでしたが、続きがあるのですか」

 玲次が促してくる。

「……ああ。ある。

 あれは私が海軍大学校に在籍していた頃の話だ。総力戦研究所というところに呼ばれてな。知っているか?」

「軍だけではなく政府やメディア等も含めて国家総力戦の研究を行う機関だと聞いています」

「そうだ。そこで机上演習をすることになったのだが、そこにプリシラが自分を売り込んできた」

「売り込んできた?」

「そうとしかいいようがない。我が国に総力戦研究所というものがある、ということは別に海外にも秘密にしていない。研究結果は秘密だがな。そこに参加させろと言ってきた」

「馬鹿な。外国人を」

「そう思うだろう。だからそう答えたのだが、『外国政府のシミュレーションも必要ではないのか』と言ってきて、当時の所長が変わった人間だったので、それもそうだ、となった。外務省や海軍省、陸軍省は英国が高度な情報戦を仕掛けてきたのかとかなり警戒していたよ。

 だが、プリシラを交えた検討、というのを特別に行うことになった。こちらの手の内はできるだけばらさず、プリシラを通じて英国の手の内を探れ、と我々は厳命を受けていた。

 私は海軍大臣役、洲月のやつが軍令部役、プリシラは英米全般を担当した」

「見てみたいものです」

「ああ、外交的背景をのぞけば純粋に面白かったな。しかし我々は手の内をさらすなと厳命を受けていたから日本の行動も消極的なものに終始した。日本からは何も手を出さないのだが、プリシラ――つまり米英はいろいろと理由を掲げては必ず戦いを仕掛けてきた。しょうがないから戦端を開く。そうすると、こちらからは何も仕掛けず防衛戦に終始するのは不自然だし、どこかの方向に攻めないとそもそもシミュレーションが成り立たない。しかし、どこに攻めるつもりなのかバレてしまうのもまずい。そこで、南進論でも北進論でもない、軍令部でもまず考えていない方向に攻めることにした。つまり、インド洋だ。西進論とでも言おうか。米国と正面から戦わず、太平洋方面では軍を引いて、インド洋に攻めたんだ。そうすると、英軍が意外に苦戦する、という結果が出た。そのときも結局は負けたのだが。この奇妙な結果を我々はどう評価したものか悩んだよ。英米は我々を太平洋ではなくインド洋方面に誘引することで、戦略を誤らせようとしているのだ、とかな。しかし、よくよく考えてみると、我々は来るべき対英米の戦いでどのような戦略をそもそも描いているのか、深く考えていないことに気づいた。南進論も北進論も、攻める方向の話であって出口戦略は詰め切れていなかった」

「……その結果が、例の飛虎義勇艦隊とインド洋侵攻ですか」

「とにかく米国と正面からだらだらと戦っていたら負ける。それよりも英国を攻めた方がまだマシ。プリシラを通じて英米が我々を罠にかけようとしているのだとしても、それはどういう角度から検討しても確度の高い情報のように思えた。それに、軍部では、一般兵の男女比が逆転する一九四二年の壁、というものが強く意識されていた。この壁を越えて戦い続ければ必ず負ける。対米国でも、対中国でも、それに対ソ連でも――それが軍部の見方だった。それまでに決着をつけねばならないのは確かだ、と。それには英米のうち、弱い方――つまり英国を攻めまくって降伏させるのが手っ取り早い。それでインド洋に出た。まあプリシラを通じて英米に対して逆張りの逆張りをしたわけだな。まさか総力戦研究所で示したとおりの方向に攻めるとは思うまい、という」

「英国が米国より弱いのはそのとおりですが、なぜインド洋なんです。豪州も英国ですが」

「しかし人口も多くないし、英国にとってはそこまで重要な拠点ではない。豪州は、我々にとっては障害物としての役割の方が大きく思えた」

「障害物?」

「あの大きな大陸があるおかげで、米国は太平洋からインド洋に容易には回り込めない。補給線が長く伸びることになる。それでもやってくるとは思うが、昭南市を経由する我々の方が楽だ」

 薫子は二本目の砂糖菓子を口から出して、吸いさしのタバコのように玲次に差し出した。ちょうど玲次のほうの砂糖菓子はなくなっていた。これはどうも、と玲次はそれを受け取る。

「――さて、話せるのはここまでだな。プリシラという存在が謎なのは確かだが、英国の士官で我々と会ってくれる人間であり、名門の貴族家であるゆえ英国内での影響力もかなり大きい――それだけがわかっていれば今はそれでいい」

 薫子は玲次の反応も見ずに、そのまますたすたと居室に戻っていく。

 が、その途中で、視界が真っ暗に――いや、真っ赤になった。

 意識していなかったが、首元に感じていた熱がじんじんとうずき、そのとき体中に広がったかのようだった。

 いつの間にか、薫子は翔鶴の艦内通路で昏倒していた。

「少佐殿!」

 玲次が呼ぶ声が遠くで聞こえる。

 だが、薫子の意識は次第に薄れていった。

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