第2話

第四艦隊旗艦兼、第七戦隊旗艦。戦艦長門艦橋。

 長門、陸奥、伊勢、日向の四戦艦による一斉砲撃により、英海軍キリンディニ港は大混乱に陥ったに違いない。モンバサに派遣した戦果観測員による報告待ちだが、残存する英海軍に相当の打撃を与えられたのではないかと想定された。

(何より、あの神崎の馬鹿の企みが潰せるというもの)

 キリンディニ沖合から、敵の襲撃を警戒しつつ引き返す艦隊の中にあって、第四艦隊作戦参謀、洲月菫少佐は胸の内でほくそ笑んだ。神崎薫子は統士でも海軍大学校でも同期であったが、情に乏しく、協調性がない上に、理屈ばかり達者で大言壮語をする性格で、全く好きになれなかった。好き嫌いで作戦をするわけではないが、実際のところ彼女の言うことは夢物語に等しいし、それに国運を預けることは売国に等しい、とすら思っていた。

 無論、上層部には、邪魔をする、とは言わず、「日本軍の強さを見せつけることで、交渉を側面支援する」、と説明してあるが、邪魔をしたいという意図は、少なくともこの作戦を許可した第七戦隊司令官には、おそらく正確に伝わっているであろう。

 第七戦隊は第四艦隊の基幹戦艦部隊を意味し、長門・陸奥・日向・伊勢の四戦艦および直衛の数個駆逐隊から成る。その司令官は、対米開戦を「しない」という欺瞞に満ちた戦略に当初から不満を抱いていた人物で、強硬派の一人とされていた。インド洋を主力で攻める選択にも不満であり、『さっさと英国を降伏させて対米戦に取りかからねば危うい』という立場で、英国との交渉など生ぬるいと思っている。

 第七戦隊における菫の直属の上司は作戦参謀長である大佐だが、彼女を飛び越して直接作戦を提案できる程度には菫は第七戦隊司令官に気に入られており、それは菫が、戦隊司令官が本当は言いたいが、立場上強くは主張できないことを率直に提案してくれるからであろうと思っている。

 よって、薫子を派遣するような勢力――穏健派からは第八戦隊司令官その人ではなく、その一作戦参謀にすぎない菫が敵視されているような雰囲気があった。

(それもいいでしょう。穏健派にとっての悪名は我々強硬派にとっての美名。奴らが敵視し、吹聴してくれればかえって好都合というもの)

「洲月少佐」

 呼びかけられ、菫は反射的に振り向いた。第八戦隊司令官だ。

「――大成功、といくといいが」

 第七戦隊司令官、清水静子少将だ。一九二九年に統士を卒業、それから一〇年間、最前線で軍歴を重ねてきた。

 統士ができたのは、出生率の統計の異常が数年続き、「もはや男性の数は将来にわたって望めない」と日本政府が悟った一九二五年に遡る。婦人徴兵が開始されたのは一九三八年なので、それよりも相当前から女性将校については日本軍は準備していたことになる。当時は、部隊全隊での風紀が心配され、「婦人部隊は婦人将校が指揮しなければならないのではないか」という課題意識から始めたと言うが、統士卒業生が特に支障なく任務をこなす実績が積み上がった結果、性別に関係なくあらゆる部隊を指揮すればいいとの認識が広がり、今に至っている。

「奇襲攻撃ですので、ほぼ固定目標に近いものです。そうそう外しません。戦果は三割から五割といったところでしょう」

「ならばいいが。しかしモンバサ島は狙わなかったとはいえ、それなりの被害は出ただろう」

 菫は心得顔で頷いた。清水少将の問いたいのは、「英国との交渉で支障が出たと穏健派から文句を言われたらどう言い訳するか、その理屈を参謀たちは準備しているのか」――ということだ。

「英国は今回の交渉で折れるとは思っておりません。英国交渉への是非は、今回の英国の直接の反応ではなく、中長期的に評価すべきものと思っております。穏健派自身、今回の交渉の後、もっと戦果が必要と主張するのではないかと予想しています。それを先取りしたのが本作戦ということになるのではないでしょうか」

「交渉担当者が死傷した場合は」

「戦場に戦死はつきものです。今回は公式会談ではなく非公式の接触です。それに繰り返しますが島自体を狙ってはいない。作戦でも、偶発的に味方艦艇に砲弾が飛ぶことはあり得ます。敢えて狙っていないのであれば、偶然の味方への着弾について、いちいち発射した艦艇が責任を取るものでもないでしょう。それと同じこと」

「理屈は通っているな。うむ」

 清水少将はそれだけいい、それから菫の肩を叩いた。

「作戦立案もよし、全体の状況への目配りもよし、これからも頼りにしている」

「光栄であります」

 菫は思わず笑みがこぼれるのを抑え、きりりと口を引き締めて、そう応じた。

 ――もし交渉担当者が死んだ場合は。

 その言葉だけが少し、心の内にトゲとして残ったが。

(……ふん。あんな奴、死んだって気にするものか。かえってせいせいするというもの)

 彼女は憎々しげに暗い海面を見下ろした。

(……士族の娘などと笑わせる。あんな、娼婦の子など)

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