第2節「有為転変」


 小さなランプの明かりの中で、世界地図とモンバサの地図がテーブルに広げられていた。現地に溶け込むためのアラビアふうの衣服のまま、神崎薫子はテーブル近くの籐椅子に座り、彼女の副官である千登勢玲次大尉はその傍らに立ち、ともに地図を見つめている。

「――帝国軍がアフリカまで来るとはな……」

 彼女は感慨深げに言う。実際にはまだ来ていない。帝国海軍の最前線はセーシェル諸島にあり、彼女と玲次は潜入しただけだ。

「――しかし、ここまで西に来たのは初めてではありません」

 玲次が指摘した。

「……そうだったな。第一次世界大戦でも、帝国軍は地中海と欧州に来た」

 現在、1942年に26歳の薫子がまだ生まれる前、1914年に勃発した第一次世界大戦。その二年後。ちょうど薫子が生まれた頃、戦況は膠着状態となる。当時の協商軍と同盟軍は長大な塹壕を構築して互いに無謀な突撃を繰り返し、死者数だけが積み上がっていった。

 事態を重く見た協商国の一国、イギリスは当時同盟関係にあった日本に陸上兵力の派遣を求めた。当初は兵站が確保できないとして断る姿勢を見せていたが、海軍が独Uボート対策の駆逐隊派遣決定に踏み切ると、陸軍も海軍への対抗意識もあって陸上兵力派遣を決定。一個師団二万五〇〇〇を西部戦線に派遣した。

「あの決定はかなりの反対があったと聞いています。普通なら遠い欧州に軍を派遣したりはしないと。そして、それは最悪の結果を生んだ」

 玲次が言う。

 第一二師団は獅子奮迅の活躍を見せたが、戦局の膠着は続き、その後日本陸軍は追加で四個師団を派遣。全兵力は一二万五〇〇〇人に至る。

 それらの師団の奮戦もあり、英仏日露をはじめとする協商国がドイツ・オーストリアを中核とする同盟国に対し優勢を見せ、ダメ押しのように最後に参戦した米軍の圧倒的な物量によって、第二次世界大戦は協商国の勝利に終わった。

 だが、この世界大戦は世界に疫病という形で回復不可能な打撃を与えていた。

 後に「スペイン風邪」と命名されたこの病の真の恐ろしさが分かったのは数年の後のことである。主に参戦国――特に西部戦線に長く参加していた英仏独日を中心に、生まれてくる赤ん坊の男女比に著しい偏りが見られ始めたのだ。

「……このような結果をもたらすと分かっていたならば、帝国は陸上兵力の派遣を考えもしなかっただろうな」

出生数は男子一に対し、およそ女子四となってしまった。どのような機序で起るのか全く分からず、対策も進まないまま、「男子不足」はこれら四カ国の間では共通の問題となっていく。労働力不足は女子の労働によってなんとか対応可能であるかもしれないが、それもよりも国家として重要なのは兵力の不足であった。

「我々に派遣を要請したイギリスはうまく対応しましたが、一方の我々は――」

 イギリス、そしてフランスはスペイン風邪の影響が相対的に小さかった植民地からの徴兵の強化で対応したが、充分な植民地を持たない日独は、一九二〇年代に生まれた赤ん坊が前線に出る年齢となる一九四〇年代中葉以降は国力が大きく落ちることが決定的となり、焦燥はより激しかった。

 折しも一九二九年の米国の株価大暴落を起点とする世界恐慌によって英仏がブロック経済に移行すると、人材供給源および消費地としての植民地の欠如は日独を苛み、ドイツにおいては「東方生存圏」を掲げる国家社会主義労働者党の台頭を招き、一方の日本も中国大陸に利権を求めた強硬派が満州事変、日華事変を起し、第一次世界大戦以来の英米との協調関係も崩れていった。

「あのとき私は一五歳だったが……軍人である父が殊の外深刻な顔をしていたのを覚えている。『同盟の絆を信じ救援に行ったためにもらった疫病で日本が苦しんでいるときに、国を閉じるとは何事だ』とな。実際、あのとき列強各国が自由貿易体制を維持していれば、我々は今も戦争などしていなかったかも知れない……」

 日華事変以降、大陸の支配権を求めて日本陸軍は戦闘を重ねたが、その自信もすぐに崩れることになる。一九三七年。第二次上海事変に端を発する蒋介石勢力との戦闘において、中華民国の上海防衛陣地、いわゆる「ゼークト・ライン」の攻略に初めて投入した婦人兵部隊が、散々な敗北を喫し、「日本軍が陸上で満足に戦えるのはあと数年」との認識を陸軍首脳部は改めて理解したのである。

 無論、婦人士官である薫子はこの結論に一言言いたい部分はあるが、彼等がそう認識したのは歴史上の事実である。

 その焦りが、「戦闘なしで取れるところは今のうちに取れ」との破れかぶれの方針につながり、一九四一年、欧州戦線において、ドイツがフランスを下すと同時に、仏印――フランス領インドシナに進駐するという決断を生んだ。

 アジアの利権をこれ以上日本に独占されることを嫌った米国は、数ヶ月にわたる交渉の末、一九四一年一一月、石油資源の輸出停止を脅迫材料に日本軍に仏印および中国大陸からの撤退を要求。これがいわゆる「ハル・ノート」である。

 日本はこれを受け入れる姿勢を内々に打診した。「スペイン風邪」の影響が薄い米国には正面から勝てない、勝てるとしても一、二年が限度だ、という諦観が背景にはあった。

 しかし、その方針を内々に打診された米国は更に態度を硬化。第二次ハル・ノートを提示した。これはもともとの「中国大陸」には含まれていなかったはずの満州からの撤退も要求するもので、さらには朝鮮半島、台湾の将来的な独立にも合意するよう要求していた。

「米国には勝てないから妥協案をうけいれる、という帝国の判断は正しかったと私は今でも考えています。しかし米国がそれに対して更に強硬な案を提示してくるとは……」

「向こうの立場に立ってみれば、特に不思議でも何でもない。米軍は日本よりも強い、日本には資源がない。これだけ有利なカードがそろっていれば、交渉でできるだけ日本を追い詰めることが米国国務省の基本的な戦術になる。日本が譲歩すれば譲歩した分だけ更に厳しい条件を突きつけていけばいい。日本が交渉にこだわり、開戦を遅らせれば遅らせるほど米軍は戦争準備が進められるし、逆に日本は交渉によってどんどん領土を放棄してくれるから米国としては勝ちやすくなる」

「米国は結局戦争を望んでいたと?」

「――いや、望んでいたのは国益だろうさ。外交も戦争も手段に過ぎない………日本が暴発するまで、どんどん交渉で追い詰めていけばそれが国益になる。一方の日本にとってもればたまったものではない。『これを受諾すれば次には全軍武装解除の要求が来るだろう』との危機感が軍と政府に広がり、一気に対米開戦に方針は傾いた」

 しかし、米軍との正面対決はできるだけ避けねばならない、との前提は崩せない。

 そして。一九四一年一二月八日。

 ハワイ王国独立軍を名乗る武装勢力が米国ハワイ諸島の主要機関を一斉に攻撃。

 それと同時に、翼をつけた虎のマークの正体不明の航空戦力がハワイ真珠湾の米太平洋艦隊の戦艦部隊を強襲、半数以上を撃沈した。その後、正体不明の艦隊が真珠湾に突入、陸戦隊を上陸させ、上陸戦闘の後ハワイ諸島オアフ島の主要部を占領した。

 艦隊は「飛虎義勇艦隊」(英語名:フライング・タイガー・ボランティア・フリート)を名乗り、自分たちはあらゆる国家と無関係で、ハワイ王国独立のために立ち上がった義勇兵部隊である主張した。また、同じ名を名乗る義勇艦隊が「フィリピン共和国」独立を支援すると称し、米領フィリピンも攻撃した。

 これとは別に、大日本帝国はイギリス・オランダに対しアジアの植民地の解放するためと称して宣戦布告。

 これに対しアメリカは、ハワイ準州およびフィリピンは米国主権下の領土であり、いわゆる「ハワイ王国」「フィリピン共和国」の主権およびその存在は認めない、フライング・タイガー・フリートなる団体は日本帝国の軍人および装備によって成る組織であることは明らかであり、補給も日本から受けている。よって米国は日本軍による先制攻撃を受けたと認定する、と宣言、この攻撃を非難し、対日宣戦布告を行った。

「あの小細工には正直、私は辟易していますが」

「……ふん、国際政治とは小細工と詐欺の集積だ。私もあれは滑稽とは思うが恥とは思わない」

 薫子は遠い目をした。

(……それに、飛虎義勇艦隊に集ったのは間違いなく我が海軍の精鋭中の精鋭だった。彼等は我々が生き残るため、自ら捨て駒になってくれたのだ……)

 それから約半年。

 日本軍は米国との正面戦闘を回避し、主にイリギス・オランダを相手に東南アジアおよびインド洋に戦線を広げている。即ち、マレー半島、シンガポール、スマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、ラバウルの攻撃・占領だ。

 同時にシンガポールを拠点にセイロン島を攻撃・占領。さらにはセイロン島を拠点にセーシェル諸島を攻略・占領。インド洋における制海権をほぼ掌握した。更に、セーシェルを拠点にキリンディニやマダガスカル、スエズ、アーバーダーン等の航空攻撃を行い、インド洋周辺の英軍の拠点を徹底的に叩くことで、アフリカおよびソ連を攻めるドイツの側面支援を行っていた。

 全ては、「アメリカには勝てそうもないが状況が同じイギリスなら勝てるかもしれない」という見立てによるものである。イギリス本国はスペイン風邪の影響により、日本とそう状況は変わらず、そのイギリスから、人材と資源、生産品の市場であるインド等の植民地を取り上げればいい、ということだ。そのためにはインド洋を封鎖してしまうのが一番だ。

 もともと、アメリカが日本にあそこまで強く撤兵を迫っていたのは、もちろんアジアの市場の独占を許さないという側面もあろうが、一番の目的は第二次世界大戦に後ろ向きな国内世論対策である――というのが日本の見立てだ。アメリカはイギリス救援のためにドイツに戦線布告したいが、アメリカの国内世論は戦争などしたくない。

だったらドイツの同盟国である日本に石油を盾に強硬な要求を押しつけ続ける。それに我慢できなくなった日本が破れかぶれにアメリカを攻撃すればアメリカは日独と戦争する理由ができる、ということだ。

 穿った見方だがそこまで間違いではあるまい、と薫子も思っている。

 そして、アメリカの参戦を心待ちにしていたのは他ならぬイギリスである。

 だとすれば日本がアメリカから強硬な交渉を迫られたのも、そもそもの責任者はイギリスである。

 その責任者に責任を取らせてやる――というのが日本がイギリスを殊更攻撃している、もう一つの理由かもしれなかった。

「――さて、そろそろその諸悪の根源の顔を拝みに行かなければな」

 薫子は腹筋に力を入れ、座っていた籐椅子から勢いをつけて立ち上がる。

「身支度をする。少し席を外していてくれ」

「は」

 玲次は敬礼し、素早くホテルの部屋を出て行く。

(……この「交渉」はうまくまとめなければな)

 上海戦線では「弱兵」のレッテルを貼られた女性兵および女性士官だが、その後自分たちも研究を続けている。次に試すときには評価は覆るだろう――との自負はある。ただ、このままでは我が国は勝てない――という事実を、国力のせいにするのか、それとも著しく偏った男女比のせいにするかは、誇りの問題でもあるとは思う。

 女性である薫子は、前者のせいであろうと思っているのだが。

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