吸血姫の密約 〜吸血鬼になってしまった私が、女子ばかりの日本軍を指揮して第二次世界大戦を戦い抜きますっ〜

山口優

第一章 第1話

一九四二年四月一日。

キリンディニ軍港は、切り込んだ入り組んだ入り江の入り口近くに設けられたごく小さな港町といった趣で、現地の人々のはしけが桟橋によっていたり、あるいはやや大きな木造の漁船、荷役船が行き来していたりするものであった。

だが、どこかその風景になじみきれずにいる船どもも、そこには混じっていた。英国東洋艦隊の駆逐艦、巡洋艦、戦艦、あるいは空母は、みな一様に鈍い灰色の艦体の側面に緑や茶の迷彩色を塗り、それはあるいはキリンディニの遠景たる赤茶けた海岸やその向こうのうっそうとした森に溶け込むかに見えたが、隠しきれないのがそのはしばしにみえる重厚感、直線的な艦の形状、あくせくと忙しくと動き回る紺色の水兵らの軍服姿であった。

一九四二年の初夏。尤も、熱帯のこの地には、季節などは関係ない。

「意外と栄えているようだな」

 千登勢玲次は、傍らを歩く神崎薫子に声をかけられ、頷いた。

「全く。反転攻勢も近いのかも知れません」

 そう答える。

(緊張しているようだな、中尉殿は。当然だが、もっと殺気は抑えないと……)

 だが彼はそうも思った。

 熱気が二人を包んでいる。彼等は24時間前までセーシェルにいたが、そこよりも尚、熱気が強いように思えた。セーシェルは島だ。海からの風は少しは冷たい。だが、このキリンディニは大陸に所在し、陸の熱気がむっとして流れ出てきているようにも思える。

 薫子は、顔を覆うようなヒジャブを被り、一方の玲次はクーフィーヤを被っている。キリンディニを含むアフリカ東岸にはイスラム教徒が多く、アラブ系だけでなく、遠い昔に蘭印など東洋から来たイスラム教徒もいると聞く。

 そういったわけで、東洋人の顔でもイスラム教徒風の服装をしていればうまく溶け込める、というのが現地に放ったスパイの助言であった。

 実際、一見すれば神崎薫子は、アラビアンナイトに出てくる姫君のようにも見えた。その眼光の鋭さをのぞいては――だが。

 アラブ人はよく女性の瞳を「レイヨウの瞳のようだ」と称えると聞くが、薫子の瞳はまさにそのようにぱっちりとしている。鼻筋や口元は上品だ。どこか東洋人っぽさがなく、異国風に見えるのは、肥前の武家である彼女の家の何代か前にオランダ人の血筋があるからとも聞いたことがあるが、定かではない。

 ただ一つ言えることは、彼女が現在の玲次の上官であることについては、彼は全く満足しているということであった。

「街の様子は分かった。撤退するか」

 彼女は小さく指示した。

 ホテルに戻る進路を取り、二人は歩を進める。現地人のあやつる木製の荷馬車、英国人の乗る黒光りする自動車が、ほこりっぽい道を行き交う。

「――どう見ます」

「秩序は保たれている。反乱を起こすのは容易ではないな」

 薫子は短く答えた。

「英国の支配に満足していると」

「――秩序は重要だよ、少尉。街は栄え、人は理不尽に死なない。……支配はその手段にすぎん。つまり繁栄と安全を意味しなくなるならば、支配も不要――有害無益となる」

「艦隊は」

「よく整備されている。我が軍がさんざんセイロンとセーシェルを叩いたのにな。それでも秩序を保つのは、さすが我が海軍の師といったところか――かつてのな」

「私は現在でも師、あるいは同盟者でいてほしかったですが」

「私も英米派だ。しかし国際情勢は複雑怪奇というやつだ。二〇年前、英国に加勢してスペイン風邪をもらい、帝国には男が少なくなったというのに、この仕打ちとは。神崎家も男は弟ただ一人だ。姉妹は私を含め八人もいるが」

「我が家も同じようなものです」

「では少尉には死んでもらっては困るな。千登勢家の貴重な跡継ぎだ。ご家族に恨まれる」

「――ご冗談を。軍人が死を恐れては本末転倒。我ら男とて重要な戦力です」

「しかし単純に男だけでは数が足りん。だからこそ統合婦人士官学校も作った。女も銃を持つ時代だ。スペイン風邪の影響は、なぜか帝国が最も甚大らしいが、どこも似たり寄ったりだ」

「女性は慈愛の心を持つと学びましたが。平和にはならぬものですね」

「とはいえこうした人口構成は二〇代以下だ。二〇年後は知らんが、今はまだ女だからどうこういうものではない。それに女も充分好戦的だよ。陸軍強硬派の若手にも統士の同期が何人もいる。愛国婦人会の軍人版といった趣だ」

 そのとき。

 じろりとこちらをにらむ紺のセーラー服の英国水兵らに気づき、薫子は心なしかヒジャブを深く被った。水兵らは女性の一団で、それまで噂話をしていたのが、玲次と薫子とすれ違ったときだけ、じろりと怪しげに二人をにらんだ。

「気づかれましたか」

「――いや、ただの好奇心だろう。現地人がどんな話をしているのかと聞き耳を立てていたのかもしれん。急ぐぞ」

 二人は歩を早めた。

「……我々は勝てるのでしょうか?」

 徐々に日が暮れていくキリンディニ。ジャングルに巨大な大陸の太陽が沈んでいく。

「勝利は手段だ。帝国が存続するためのな。『存続できるのか』が正しい問いだ」

 そこで言葉を切る。

「それに対する私の答えはこうだ。うまくやればできる。列強の思惑はさまざまだが、皆国益で動く。賢い連中はな。帝国の存続が彼等の利益になれば、それも可能さ」

 日が暮れていく。

 薫子の視線は、沈んでいくその太陽をいつまでも追っているように、玲次には見えた。

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