第6話「学校にいる何か」

 肘をつきながら、窓の外を眺める。

 様々の形の雲が澄み切っている青空を流れるように通り過ぎていく。雲の切れ間から見える空の青さに、この星の美しさを感じる。


「はい、泉くん。この問題を答えてください」


 俺は窓際の後ろから二番目の席に座って、窓外の空を見つめているが、今はまだ学校の授業の4時限目だ。先生に当てられる可能性が普通にある。丁度今ふたつ隣の泉くんが当てられて、黒板のところまで行って、数式を解いている。


 俺はそんなことを気にせずに、そのまま窓越しで空の雲を見つめている。


 普段なら、先生に指されてもすぐに答えられるように、ある程度は話を聞いているが、今はそういう気にもなれない。


 この学校のどこかに穢らわしい存在がいる、俺は感じてしまっている。


 霊感や第六感が強いせいで、昔から謎の視線や見えない何かを感じることがあったが、慣れて、不気味な何かがいるという感想で完結できるようになった。


 だけど、今回は違う。今まで感じたものが部屋隅に溜まっている埃汚れ程度のものなら、今学校にいるのは、腐った生ゴミレベルのものだ。生きる人間にとって、それほど異質で拒否したくなる存在が、学校のどこかに潜んでいる。


 俺が感じているのは、そいつの臭いのようなものだろう。この感覚の扱いがもう少し優れていたら、位置を把握できたかもしれないが、今はただ不快感を誤魔化すために綺麗な空を眺めるしかない。


 まぁ、位置を把握できたとこで何もできないけど。嫌な気配を放っているこの存在が何か知ることができれば、俺のこのソワソワした気持ちは少しくらい落ち着けるかもしれない。


 それより、この感覚をシャットダウンしたい。


「オフにできたら」


 視覚は目を閉じればいい、嗅覚は鼻を塞げばいい、でもこの感覚はどうしようもない。

 危機察知の機能は常時オンにしても損はない、この感覚にはよく助けられた。曲がり角から飛び出した自転車を避けられたのも、この感覚のおかげだ。


 不気味な何かを常に感じるのだけはやめて欲しい。廃屋とか、路地裏とかから嫌な何かを感じたら離れるだけで済むけど、学校で感じたら、帰宅するまでずっと耐えないといけない。


 そして、今回は無視しづらいくらいキツイものを感じ取っている。

 今までの何かが汗の臭さ程度なら、今回は汚い便所の臭い。マジこの感覚を学校にいる全員と共有したい。


 そしたら、全員パニックになりそうだな。想像力豊かな人なら、悪霊がいるって騒ぎ出しそう。


「幽霊とか、怪異とか、本当にいるのかな」


 自分にしか聞こえない声でそう呟く。


 昔から目に見えない何かを感じることがよく起きるが、未だに直接遭遇して存在を目で確認したことがない。

 目に見えない恐怖に、自分から接触しようとしなかったから、こんな感想を抱いているだろう。


 もし、嫌な気配に自分から近づいていたら、肝試しと廃墟探索をよくしていたら、俺は実物の悪霊や怪異に遭うこともできたかもしれない。

 そんなことをしたら、命はとっくにないと思うけど。


 見たことない存在を気になってしまう、でも、自分から近づいて探したことがない。矛盾を感じそうだが、生き物として当たり前の行動だと思う。


 扉の向こうから強い腐敗臭を感じ取った時、暗闇で痛みを感じた時、正体不明な何かを避けようとする気持ちはきっと誰にもある。


 不快感があったら、避ける。生き延びるための生存本能だ。


 俺の霊感や第六感も、そのように働いている。今まで感じたそういう存在に対して、近づかない方がいいと訴えて来た。

 今学校に潜む何かに対しては、授業に集中出来ないくらい強い不快感を感じている。今まで感じた存在が、学校にいるやつと同類なら、俺の判断は正解だったんだろう。


 今学校にいる存在の気配と過去感じた気配を比較して、自分がして来た判断の正しさを再確認する。


 全ての人間が本能的に持つ闇、落下、炎熱、などに対する恐怖、五感でそれを捕捉すれば当たり前のように避けようとする。俺が霊感や第六感で未知の存在に対して負の感情を感じたら、逃避を選ぶのも自然のはずだ。


 好奇心に従っても、危険なだけだ。だから、今まで通り、見て見ぬふりをしよう。


「荒木尋斗、空にUFOでもあるのか」


 空を見つめながら広げていた思考が打ち切られた。俺の名前が呼ばれた。


 数学担当の奈良健先生の言葉で、もう長い時間同じ体勢で窓外を見つめていることに気づく。頭を支えていた腕も痺れを感じている。


 普段から授業中に他のことをして注意されている俺だが、さすがに気まずい空気は苦手なものだ。


「今のところは見えてないです。ちょっと美しい空を眺めていただけです」


 もう少しまともな返答をしたかったが、今はとりあえずこの状況を乗り越えたい。


「20分はその体勢で空を見つめていたぞ、何かに悩んでいそうな顔で。大丈夫か、体調が悪かったら保健室に行っていいんだぞ」


 授業中20分も変な顔で空を見つめている人がいたら、心配になるのは当たり前か。まだ普段通りに本を読むか、小説書くか、絵を描いてた方が自然だった。


「大丈夫です、ちょっと右腕が痺れているくらいで」


 20分も動かさなかった右腕を頑張って移動して、先生に問題がないことを伝える。


 事実でも、何か嫌な存在を感じているとか、中二病みたいなことは絶対に言えない。俺はまだ小学6年生だし、そういう時期には突入したくない。


「なんか問題あるなら先生に相談していいんだぞ、荒木くんは学習面問題なしだけど、生徒のお悩み聞くのも教師の仕事だからな」


 予想以上に心配されているようだ。

 霊感とか、非日常なことになると、俺は深く悩んでしまう癖がある。それで心配されたこともよくあったが、こんな風に授業中で話されるのは初めてだ。


「ありがとうございます、大丈夫です」


「うん、せっかくだから、この問題を解いてもらってもいいかな」


 奈良先生は俺の返事を聞いて安心した顔で頷いたが、流れるように黒板に書かれた問題を俺に解かせようとした。


 授業の進行に戻るのが早いな。


 そう思いながら、俺は黒板に書かれた3つの分数を使った乗除の式を一目見て、脳内に浮かんだ数字を答える。


 「10分の9」


 「正解」


 奈良先生は頷いて、問題の解説を始めた。俺は授業進行が普通に戻ったことに安心し、解説の内容を聞き流しながら、教科書を見つめて再び思考を進める。


 俺は何を考えていたんだっけ。そうだ、朝登校してからずっと感じていた不気味な何かについて考えて、霊感と怪異についても考えた。


 まぁ、見たことない存在をどうにかすることはできないし、直接目で見ても何かできるわけではない。俺は陰陽師でも道士でもない、幽霊退治なんて出来ない。霊感で何か感じとっても、今まで通り危険を避けるようにするしかない。


 それに、直接目で見たことないから、俺は未だに超常存在を疑っている。科学的に説明できる何かとして、捉えている。


 俺の出せる結論と答えはこんなものだろう。


 他に気になることも特にない、いつも通り授業をやり過ごせばいい。読書をするか、なんか物を書くのもいい。先生に指されても、教科書にあるものなんて大体理解しているから問題はない。



 そういえば、昔からこうだったな。


 ふと、心の中からそんな感想が出た。

 授業で学んでいる内容の大半に興味が湧かないことに、過去のことを思い出しながら少し傷心な気分になってしまった。


 俺はほとんどの授業をつまらなく感じている、昔からだ。こんなセリフは天才が言いそうなものだが、俺の場合は少し意味が違う。


 世の中には授業の知識を一目見るだけで大体覚え、テストを時間かけずに満点取る天才が存在する。彼らが感じるつまらなさは簡単から来るもの。初めてすることでも簡単にこなせるゆえのつまらなさ、余る時間から来るつまらなさ。


 俺のつまらなさはもっと変なものだ。初めての知識のはずが、既視感を覚えながら勝手にわかってしまう。初めての問題なのに、答えが浮かんでしまう。

 才能あるからの『簡単』ではない、努力してやったことを再び繰り返した『簡単』だ。自分に才能があるという実感はなく、なぜ出来たかという戸惑いが残る。それ故のつまらなさだ。


 ただの天才の方がまだ心地がいい、簡単でも、学ぶ過程をある程度楽しめるだろう。ゲームでも同じだ、イージーモードでの初見プレイと、装備とアイテム揃った状態での二度目プレイでは、得られる楽しさの種類が違う。


 まぁ、あくまで一部のことに既視感を覚えているだけだから、つまらない人生にはなっていない。つまらないのは数学とかの授業だ。なぜか解き方がわかる数式を解く作業、先に答えが出て、後から思考が理解する。

 頑張って楽しめるのは、数式の美しさくらいだ。


 高校の教科書まで読み進めたが、ほとんどがそうだった。流石に大学レベルの難題はそうならなかった。だから、数式をちゃんと解きたいなら、そのレベルの問題をやるしかない。


 漢字もそうだった、難読漢字以外、学んで無いはずなのになぜか書けるし読める。理科とかもそう、ちゃんとした難題にもならないと、勝手に答えと知識が脳に浮かぶ。

 唯一違うのは、歴史や社会の問題だ。合っているものもあれば、違う物もある。そのせいで、勝手に出てくる答えに惑わされないように、何回も勉強し直した。


 答えが勝手に出てこないのは、未知の言語や、美術、その他の分野の学問だが、小学校で出てくるような科目はあまりない。


 だから、高校生になるまでは、授業でわかる内容を聞き流して、考える必要もない問題を解く学校生活を送らないといけない。


 楽しめるのは体育と美術くらい、歴史と社会も一応。


 助かったり、困ったり、色々影響をもたらす記憶。

 こんなのは普通じゃない。


 俺は一体なんなんだろう、霊感もあるし、変な記憶もある。突然変異した人間?ちょっとした才能を持っただけ?実は俺のような存在は世界レベルで見ると結構いるのか?


 俺のこの才能のようなものは一体なんだ?


 この謎の才能にはよく助けられた。それでもどこか不気味に感じてしまう。医学的に説明出来ない、他人と違う正体不明の才能。


 霊感はもうそういうものがあると納得するとして、既視感と共に浮かぶ記憶は?


 デジャヴは宇宙の膨張と収縮によって同じ歴史が繰り返される宇宙のリサイクル、あの理論…、そう、サイクリック宇宙論によって引き起こされる説がある。この説を参考にすると、俺のこの記憶は宇宙のリサイクルや時間のループの残留物の可能性があるな。


 いや、これは違うな。これだと、俺のデジャヴ記憶が反応している範囲はあまりにも狭い。

 並行宇宙の自分の記憶に干渉してデジャヴが引き起こる説の方がまだ当てはまる。違う人生を歩むから、一般的な知識だけが共鳴して既視感を覚える。並行世界だから歴史も少し違うから、間違った知識が存在する。


「うーん」


 周りには聞こえない小さな声で唸りながら、考えた説に納得出来ないと感じる。


 本当、学校の問題を簡単に解けるのに、自分が賢い、頭がいい実感はほとんどない。答えをどこからコピペしているような感覚だ。自分で考えないといけない時は、無力だ。


 考えても意味のないことだから、考えないことにしていたが、結局何かあった時、こうして自分の中にあるものの正体について悩んだり、考察したりする。

 でも、いつも納得する結論出ないまま打ち切っている。まるで答えを出したくない自分が心のどこかにいるかのような…



「キーコーンカーコーン キーコーンカーコーン」


 俺の思考を止めるように、授業の終了のチャイムが鳴った。授業に夢中だった奈良先生も止められたように固まって、チョークを置いてから粉を落とすように手を叩いた。


「はい、続きはまた今度の授業で」


 言い終えると、先生はテーブルの上の教材を手に持って、颯爽に教室から去った。


「脳味噌を使ったから、腹が減ったな」


 そう言い、俺は給食の時間が来た事を思い出し、両手で机を動かした。

 6人でテーブルをくっつけ、話をしながら食事を楽しむ、給食は学校の中で数少ない楽しい時間である。


 机をくっつけ終えると、廊下からは給食を運ぶワゴンの音が聞こえ始めた。音と共に、いい香りが鼻に入って来た。


「今日はカレーか」


「そうだよー、ほうじ茶プリンもついてる」


 メニューを言い当てた俺に、隣の佐々木さんが反応してくれた。彼女は可愛い顔で微笑みながら、机に水色の可愛いナフキンを敷いた。


「それはおかわりとじゃんけんが激しい事になりそうだ」


「たしかに」


 佐々木さんと会話をしながら、俺は机にナフキンを敷き、はし箱を置いた。


 食事を済ませて、昼休みを楽しんで、午後の授業をやり過ごせば家に帰れる。今日は道場に行かないから、ゆっくりできる。

 そんなことを考えながら、俺は席に座って、給食取る順番が来るまで待つようにした。


 美味しい給食を食べれば、嫌な気配による不快感も忘れられるかも。うん、給食パワーを信じよう。


 △▼△▼


 登校して、まだ二人しかいない教室に入り、自分の席の椅子に座って、机に肘を乗せた俺は思考の世界に入った。予想外のことに脳が混乱している。それを落ち着かせるために、俺は答えを出さないといけない。


「消えている」


 昨日ずっと気になっていたあの気配が消えている。


 昨日帰宅した後も、学校にいた嫌な気配についてちょっと悩んだ。

 卒業まで消えなかったらどうするかを10分くらい真面目に悩んだ。しかし、今日学校に入った時、何も感じなかった。嫌な存在の射程距離外だからとか色々可能性を考えながら、教室にある自分の席に着いたが、あの気配は消えている。


「俺の問題か?」


 自分の霊感に問題が起きている可能性をまず考えたが、その感覚はない。

 風邪で鼻が効きづらいことも、舌のやけどで味覚が鈍ることもあった。だけど、五感以外の感覚は11年以上正常に作動し続けた。むしろ、肉体の成長と共に、鋭くなっている。


「うん、霊感も第六感も問題は無さそう、そう考えると可能性は一つか」


 不気味な気配を放っていたあの存在がこの学校から消えている。


 なぜか最初に肯定できなかった可能性だ。でも、今までの人生でもこういうことはあった。誰か亡くなった家を通り過ぎた時に、何か中にいると感じるも、数日後にもう一度通った時には無くなっていた。


 もし、あの時中にいたのが亡くなった人の霊なら、成仏したのだろう。でも、昨日学校にいたのはもっと異質な存在、例えるならとても粘り強い汚れ、処理困難な粗大ごみ。

 一日二日くらいで勝手に消えていくとは思えない。


「消えたとして、なぜ消えたんだ。あんなヤバそうな存在が、自然に消えるか?悪霊とかはしつこいイメージあるけど」


 小説や物語でよくある霊の設定では、普通の霊は普通に成仏して、悪霊は祓われるまで人を襲いながらこの世に留まり続ける。


 まぁ、霊を直接目で見たことないから、実在するかもわからないけど。


「まさか、霊能力者が夜学校に来て、悪霊を祓ったのか。いや、そんな非現実なことが起きるわけないか。現代社会にそんな存在がいたら、普通にニュースになっているだろう」


 思い浮かんだ考えを、常識が否定する。小6になって、科学から離れた考えを根拠なしに信じるのは普通ではない。

 まぁ、自分の第六感とかを信じている俺が言えることではないけど。


「何かいると感じるくせに、根拠がないから、化け物がいるとは信じきれない俺、矛盾してる」


 既に7、8人いる教室で独り言呟きながら、俺はため息をついた。考えても結論が出ないことを脳の底に仕舞い込み、普通の思考に戻る。


 一人の世界に入って独り言を長く呟き続けたけど、よく考えたら、やばいな。


 そんな自覚を誤魔化すように、非日常から日常に戻るように、俺は本を取り出して読み始めた。


 今日の学校生活は普通にやり過ごせそうだ。


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いよいよ目覚めのお話

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