第5話「日記の1ページ目」

 時々、この世界に生まれた時のことを思い出す。普通の人は思い出せないはず、しかし、俺には何故かその記憶がある。


 初めて見る世界は、少し眩しかった。


 確か、医者が何人かいた。

 青か白の医師の服装を着ていた。赤ちゃんの視力なんてとても低いものだが、俺には把握できていた。


 自分が産まれたことと、病院の中にいることを、なんとなく理解していた。


 誕生の感覚を覚えていることで、生命の神秘さと尊さをその記憶から感じられる。覚えていて悪くない記憶だ、しかし、生まれた時の記憶を覚えている人は周りにいなかった。


 その特別さ、異常さを理解したのは産まれた数年後。


 あの時の俺は産まれた時の記憶を当たり前のように話したことがあった、母には記憶力が凄いと褒められた。

 でも、家族以外の他人と話すと、彼らの反応からこれが普通じゃないことに気付いた。


 確か、胎内記憶というものが存在する。幼い子供には、お腹の中にいる時の記憶や、産まれた時の記憶がある。成長と共に、忘れてしまう記憶。

 これと同じようなものだと、俺は思いたかった。だけど、それはできなかった。


 年齢の数字が一つ一つ増えても、小学生1年生から6年生になった今でも、記憶が色褪せることなく、残っている。生まれた時の記憶だけではない、初めての母乳、初めてのお買い物、他の記憶も残っている。


「これだけだったら、常人離れの記憶力を持っている天才と思えたかもしれないけど」


 まだ一文字も進んでない日記帳を見つめながら、俺は子供の頃の記憶を思い出して、無駄の感傷に浸る。


 昔プレゼントされた鍵付きノートを見つけて、なんとなく、日記を書き始めようと思った。椅子に座って、ノートの表紙に荒木尋斗と名前を書いて、ページをめくって、自分についての自己紹介を最初に書こうとした。


 それで、昔のことを思い出して、自分が他人と違うところを思い出して、他人とは、記憶力が違うことを思い出した。


「でも、昔のことの記憶は尋常じゃないくらい鮮明に蘇るのに、勉強した知識を思い出すのはなぜか普通の人とそこまで変わらない」


 失敗体験と黒歴史を百パー思い出せるのに、知識はちゃんと復習しないといけない。脳みその中どうなっているのだろう。


 考えれば考えるほど、自分は普通の人とは違う。記憶の話でも、他人と違うところはもっと他にある。


「そういえば、今日も歴史の問題を間違えたな」


 その違いは、まるで最初からあるように、思い浮かんでくる謎の記憶。


 何かを見たとき、何かをする時、ふと出てくる知識や記憶。

 幼い時は違和感があまりなかった、出てくる頻度もそんな多くなかったから、自分のものとして認識していた。忘れていたものを思い出しただけのような感覚だった。


 あの時は、才能とか、普通じゃないけど、才能ある人間ならできること物と思っていた。


 だけど、年齢が増えるごとに、出てくる記憶の量と質が変わり、僕の認識も変わった。


 これに悩まされることは数えきれない程あった。

 歴史の授業や社会の授業で、偉人の名前を書く時、地名を答える時、脳内に浮かんだ正解のはずの答えが間違っていることは多々あった。


 普通の人間の思い込みではない、俺はその答えの詳細や理屈まで覚えている。

 テストで点数を失わないためにも、それを上書きできるように、必死に勉強した。だけど、何故かもう一つの答えを間違いではなく、もう一つの正解として認識してしまう。


 謎の記憶に助けられたこともあった。数学の公式、漢字の書き方、理科の実験、社会や歴史に関係のないものなら役に立っていた。

 式を見れば、なんとなく答えが出る。漢字を書こうとすれば、自然に書ける。初めての問題のはずが、何故か正解がわかってしまう。


 間違いでも、正解でも、はっきりとした、明瞭な記憶が出てくる。


 3歳4歳の僕なら深く考えることはなかった、でも、一度おかしいと気づけば、違和感は残る。

 まるで、自分の中に、もう一つの存在があるかのような感覚。


 本当の意味で、他人と違うことに気づいた時に、自分のことがたまらなく恐ろしくなった。


 人間を形作る記憶の異常は、肉体の異常なんかより、ずっと恐ろしいものと感じていたから。


「これだけではない」


 俺はそう言いながら、初めて自分のための日記に文字を書いた。


 自分の悩みをぶちまけるように、スラスラとシャーペンを動かして書いた。

 日記の最初の1ページだからか、自分という存在について振り返って、感傷的な気分で悩みを掘り起こしてしまった。


 思い出してしまったものをそのまま、吐き出すように、手を動かす。


 それに合わせるように、自分の中のものを掘り起こす。


 そう、悩んだものは、他にもあった。

 勝手に出てくる記憶や知識は使えるものを使って、正体についてはできるだけ追及しないようにした。

 結論を出したら、何か嫌なものに直面しないといけないと直感して、答えが出ないように、気にしないようにした。


 それでも、暇なときには考えてしまう。そういう話になった時には思い出してしまう。


 まぁ、それはいい。


 違いは、他にもある、抑えられない感覚だ。


 周りの人間にはない、変な感覚。

 何か言葉を当てはめるとすると、第六感や霊感だろう。記憶や考えは抑えるようにできるけど、感覚は違う。


 指をぶつけてしまえば痛いし、辛いものが口に入ったら辛い。

 過去の痛みは記憶となるが、痛みという感覚は消えない、何かあればちゃんと作動する。


 家の中にいる時は感じることは少ない。だが、外を歩くと大半の時間は何かを感じ取っている。


 曲がり角から誰か飛び出ることをなんとなく察知することや、森の中に何か不浄な存在がいると感じたこと、なんとなく明日は雨とわかってしまったこと、数えきれないほど、五感では感じ取れない何かを感じたことがある。


 助けになったことは多くあった、今はもう体の一つの機能として馴染んでいる。

 だけど、他人と違うことで悩んだことも多かった。


 人間は誰しも違いを持っている。

 身長、知識量、学校の成績、社会での地位、立場、人種、国籍、多くのものがある。だけど、霊感なんてものは、やっぱ異常な違いだ。


 相談すれば、馬鹿か中二病に見られる。

 疑わないようにしている人がいても、何か結果が出たわけではない。こういう超常的な話を信じ切っている人がいたら、逆にその人が中二病じゃないかと僕が疑ってしまう。


 目に見えるものではないし、病院で検査しても異常はなかった、努力でどうにかなるものでもない。教科書やWikiに科学的な説明は載ってないし、調べても胡散臭いものしか出てこない。


 俺だってそうだ、テレビの番組に出ている霊能力者なんて、胡散臭くて、馬鹿にしてしまう。

 だから、相談したところで、何も変わらなかった。


「それは違うな、母さんに相談した時は、変わった」


 問題が解決したわけではない、この感覚がどういうものか分かったわけでもない。


 でも、打ち明けて、全てを話しても、変な顔せずに全てを受け入れてくれると言って、神社とお寺の人に色々聞いてみるとやる気を出してくれる母が家にいるだけで、気持ちも心も大きく変わる。


 お母さんだけではない、どんな話も興味津々に聞いてくれる妹も、そして、今はいない、何もかも知っていそうな龍輝さんも。


「こうして、日記を書きながら、片手間に思い出せるくらいには、この感覚のことを受け入れられるようになったしな」


 そう言って、手を動かし続けていたが、何かを思い出したように、手が止まった。


「ありがとう」


 部屋にいるのは俺一人だが、感謝の気持ちを口にしてしまった。いや、口にしないといけなかった。


 謎の記憶のせいで、接し方に困っていた時期もあったが、家族への感謝の気持ちは消えることがなかった。


「変に記憶の悩みとか書いても仕方がない、家族への感謝を日記に書こう」


 俺はそう言って、丁寧な字で日記の続きを書き始めた。


 さっきまでよりずっと筆が進む。


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日記は長続きしない

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