第2話「出会い」
まだ前世を思い出せない主人公の幼少期の話が始まります
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今日の幼稚園の給食おいしい、ハンバーグもエビフライも、とうもろこしもおいしい。デザートはプリンで、やわらかくて甘い。
「美味」
お母さんの作るごはんには遠く及ばないけど、給食はやっぱなんか特別感があって好き。
「おいしいー」
周りの子も給食の感想を言っている。
幼稚園の一日の中、僕が一番好きな時間は給食の時間だと思う。変に周りを気にしなくていいし、おいしい食べ物も食べられる。
「ねーねー、ヒロくんさー、このあとの自由時間、いっしょに遊ばない?」
突然の誘いに僕ははしを止めて、口の中の食べ物を飲み込んた。
「うん、いいよ」
隣に座っているめぐみちゃんと一緒に遊ぶことになった。
本当はまだ読み切ってない小説を読みたかったけど、遊びに誘ってくれたし、周りの人は大事にしないといけない。
お母さんの言っていたことは正しい、自分と他人の違いを気にして、壁を作るのはよくない。僕もそう思う。
だから、一緒に遊ばないと。
「ヒロくんはなにして遊びたいの?」
「僕はなんでもいいよ」
砂遊びや追いかけっこなんかより、本を読むのが好きだけど、周りに合わせることは大事。
誘いを断って、ひとりで本を読んでいたら、また、変なやつと呼ばれちゃう。
「じゃあ、本を読んでよ」
「えっ」
いつも鬼ごっこ、ブランコ、砂遊びを楽しんでいるめぐみちゃんから、すごい提案が出た。
なぜ急に普段しないことをしたいのか、よくわからず、僕は固まった。
「鬼ごっことかじゃなくて大丈夫なの?」
「だって、いつも楽しそうに読んでるもん。わたしも気になる」
「そうなんだ」
一人で、寂しく本を読んでいる僕が、そのように見えたのか。
「ヒロくんは漢字読めるでしょ、すごいよ、私はまったく読めないよ。おしえてよ」
他の人と違うのは、良くないと思っていた。
でもそうじゃないみたい。
「うん、ありがとう」
「なかよくしよー、ヒロくんのこともおしえて、友達になろう」
「うん」
口元にハンバーグのソースがついているめぐみちゃんの言葉を聞いて、僕は自分でもわかるくらい、笑顔になった。
僕には、仲のいい友達はいない。
幼稚園に入った時、変なやつと呼ばれてから、友達を作ることより、変と思われないようにすることしか考えてなかった。
ただ、本を読んで、他の人に変なやつと思われないように過ごしていた僕にとって、幼稚園は好きじゃない場所。
周りの子と話す時、変なことを言わないように気を付けて、変な人と思われないようにすることしか考えてなかった。
仲よくすることなんて、考えてこなかった。笑顔なんて、作るしかなかった。
お母さんが言っていたことの本当の意味がわかったような気がする。
僕は周りとの違いに囚われ過ぎて、普通じゃない自分を隠すことしか考えなかった。きっと幼稚園では楽しいことはないと思っていた。
でも、違った。
「ヒロくんすごい笑顔になってるよ」
「それより、めぐみちゃん顔にソースがついているよ。拭いてあげる」
ポケットからティッシュを取り出して、めぐみちゃんの顔を拭く。
初めて、幼稚園の楽しさがわかったと思う。
他人とは違う僕、隠すことしか考えてない僕、そんな僕でも、仲良くなりたいと思ってくれる子がいる。
お母さんは、この大切な楽しさを僕に教えたくて、あの言葉を言ってくれた。今になって、そのことに気づいた。
「めぐみちゃんはどんな本が好き?」
「おもしろいなら、なんでもいいよ」
違いを気にしない、めぐみちゃんの言葉は、簡単に僕の壁を壊してくれた。
僕の張っていた壁は、幼い、脆い、自分から踏み出せない弱さそのものだった。
△▼
「今日の幼稚園はどうだった?」
「今日はとても楽しかった」
「良かった。今日はいいことがあったでしょ」
僕は迎えに来たお母さんと手を繋いで、歩いて家に帰っている。色々話したいことがあるけど、お母さんはなんとなく気づいているみたい。
やっぱお母さんは凄い。
「うん、友達ができた。それで、初めて何も気にしないで、幼稚園のみんなと楽しく遊べた」
「なんかきっかけがあったの?」
「めぐみちゃんが本を読んでと誘ってくれた」
「なるほど、そういうことなのね」
お母さんは、嬉しそうな顔をして、僕の頭を撫でてきた。柔らかい手の感じがとても心地いい。髪の毛越しなのに、肌で感じるよりもとても落ち着く。
落ち着いたおかげか、心の底に溜まったものを吐き出したい気持ちになってきた。
赤信号の横断歩道の前で立ち止まって、僕は口を開いた。
「僕、周りとの違いを気にしすぎていた。周りに嫌われないか、変と思われないか、考えすぎて、壁を作った」
「うん、気にしちゃうよね」
「僕、周りが感じないもの感じたり、聞こえない音聞こえたりして、お母さんとじいちゃんばあちゃんは気にしなかったけど、それを言うと、他の人は変な目で見てきたの。だから、それで周りの人にはそういうことを言わなくなった」
変なことだとわかってから、何かよくない気配を感じても、何かいやなものを感じても、知らないふりをするようになった。
「ヒロちゃんは何も悪くないよ」
お母さんはやさしく手を握って、僕の話に耳を傾けてくれた。
「それ以外でも、僕、色んな漢字読めたり、算数ができたりするから、周りと違って、普通じゃない。それがとても気になって、とても、距離を感じてた」
家の中ではなにも気にせずにいることができた。でも、家の外に出てわかった。
普通の人は目に見えない変なものを感じたりしないし、変な音も聞こえない。僕くらいの子は、漢字そんな読めないし、計算もそんなできない。
そう、僕は普通じゃない。
それを気にして、隠そうとした。幼稚園でも、変なやつと呼ばれてから、話すこと減らした。
でも、気にしていたことは、あまり大きなことじゃないと今日気づいた。
「この話前もお母さんにしたけど、あの時お母さんが言っていたこと、今日になってわかったと思う」
「良かった、ヒロちゃんは賢いから、すぐ理解できたのね」
数か月前にお悩み相談の時に言われたことを、今日になってわかった僕、あまり賢い気はしないけど、お母さんは僕を褒めて伸ばしているから、気にしても仕方がない。
「周りに変と思われないようにするとか、いろいろ悩んだけど、もっと仲よくすることを考えた方がいいって、今日気づいた」
「それじゃあ、今日は記念日だね」
「一年中記念日になっちゃうよ」
お母さんは楽しそうに僕の話を聞いてくれている、とても楽しそうな顔だ。僕もお母さんと話している時はこんな顔をしているのかな。
「よく考えたら、言葉話せない猫ちゃんと仲良くなれる人もいるし、違うところを気にしないで仲良くできている人いっぱいもいる。僕がそんなに悩む必要はなかったな」
「そうね。でも、ヒロちゃんは悩んだことで成長したのよ。これからも色々悩むことはあると思うけど、いつでもお母さんに相談してね」
「うん、ありがとう」
いつでも僕のお話を聞いてくれるお母さん、お母さんがいなかったら、僕はどうなっているのだろう。
そんなことは考えたくないな。
「でも、もっと話せる友達が欲しいな」
「めぐみちゃんは違うの?」
「めぐみちゃんは大事な友達、でも、僕と同じようなお友達も欲しい。何か感じると言っても、みんなよくわからないし。変な音が聞こえると言っても、耳が大丈夫かと言われる」
お母さんは僕の言葉を聞いて、楽しそうに、小さく笑った。
「きっとできるよ。今日は出来なくても、いつか必ずできる」
「本当?欲ばりじゃない?」
「考えも話も合う友達なんて、みんなが欲しがるものよ」
お母さんの言葉に、僕は安心して、とても落ち着いた気分になった。
たまに感じる嫌な気配、聞こえる変な音、なんか簡単に読める漢字、答えがわかってしまう算数、他人ができないことができてしまう僕は普通じゃないのはわかった。
これからも、よく悩んでしまうと思う。
でも、こんな僕でも、友達ができるなら、そんなに怖くない。
「そうね」
「ん?どうしたの、お母さん」
お母さんはとても悩んでいる顔をしていた。何か難しいことを考えているように見える。
「めぐみちゃんにはどんなお礼をした方がいいのかな」
お母さんはとても普通なことを考えていた。感謝の気持ちは大事。
僕は今日の給食のプリンをめぐみちゃんにあげて、色々漢字を教えて、感謝の気持ちを伝えたけど、めぐみちゃんの好きなものはたしか…
「めぐみちゃんはイチゴが好きと言ってた」
「なら、帰りにイチゴを買って帰ろうか。ヒロちゃんは食べたいフルーツある?」
「バナナ食べたい」
△▼△▼△▼△▼
生きてきた5年間、色々悩みがあったけど、今が一番困っていると思う。
「やっぱ、嫌かな」
お母さんは不安そうな顔をしている。僕も多分とても悩んでいる顔をしている。なぜこうなったか、昨日の僕なら、絶対予想できなかったと思う。
「いきなり、結婚のお話なんて嫌だよね。ヒロくんは別にお父さんなんて欲しいと思ったことないよね」
「うん、いらないと思う」
日々成長している僕が2秒の思考で出した答えは、ノーだった。
「そうだよね。まぁ、別にヒロちゃんがいらないと言うなら、この話は終わりにして、断っておかないと…」
少し躊躇うも、お母さんは諦めたような顔をした。
予想できなかった。お母さんが結婚のお話をするなんて。
男とか結婚とか、興味なさそうなあのお母さんが、結婚のお話をしている。太陽が西側から昇っていることよりもありえない話だと思っていた。
最近さらに頭が回るようになった僕だが、まったく理解できない流れになっている。なぜこんな話になっているか、気になってしかたがない。
朝食の芋粥とスクランブルエッグを食べ終え、僕は素直に疑問を口にする。
「お母さんこそ、なんで結婚のお話をするの?好きな男でもできたの?」
「好きな男とかではないよ、ただ、結婚するのは悪くないかなと思って」
お母さん検定1級の僕ならわかる、今のお母さんは恋をしている顔をしていない。結婚願望のなかったお母さんが急に結婚を求めたくなった可能性も低いはず。
結婚というものに対しての執着がない、男女の好きもないのに、結婚なんてする必要あるのか。そんな結婚に何があるのか。
好きでもないのに、結婚なんて、僕にはドラマでよくある財産目当ての結婚くらいしか思いつかないけど、お母さんはそんなこと考えない。
それ以外の目的での結婚なんて、何があるのか。
まさか
「お母さんまさか、僕のために結婚した方がいいかなとか、考えているの?」
体を前に乗り出し、僕は少し強い口調でそう言った。
「えっ、いや、別に、まぁ、私がいなくなった時とか父親いた方がいいかなとか、ヒロくんにとって父親がいる家庭の方がいいのかもしれないとか、ちょっといろいろ考えたりもしたけど」
「おかあーさん」
「はい」
少し焦って早口になったお母さんに、僕は感情のこもった言葉で呼びかけた。
ちょっと目線を逸らしているお母さんを見て、可愛いと思う同時に色々言いたいことが湧いてくる。
「僕は別にお父さん欲しいと思ったことはない。お母さんがいなくなった時なんて、考えなくてもいい。爺ちゃん祖母ちゃんがいるし、僕は一人でもやっていけるし、お母さんはなくならない、ずっと一緒」
「うん」
お母さんは僕の言葉を聞いて、少し安心した顔になった。
ちゃんと毎年健康診断で問題なしなのに、なくなった時のことを考えるお母さんの考えをどう思うべきか。確かに生きていれば、事故とか、色々あるけど。
僕のために色々考えてくれたのは嬉しい。
いや、それより、確認しないといけない。お母さんが結婚を考えるようになったきっかけを。
誰が、何が、きっかけになったのか
「その男とは何回会ったの?」
「1回」
「1回?」
やはり誰かがきっかけになったのか。
それより、1回で結婚のお話になるのか?どんな出会い方をしたのか全く想像できない。
「いや、その、まずヒロちゃんに会わせて、見てもらわないといけないと思って」
「なるほど」
僕の意見を大切にしてくれるのは嬉しい。お母さんは優しい。
もはや、女神様。
ん、それだと僕は女神の息子か。違う違う、今考えるべきことは違う。
「どんな人なの?」
「娘が一人いて、なんか、とても不思議な人」
子供がいるのか、それで不思議な人。んー、イメージできない。
「年齢は?身長は?どんな感じ?」
「年齢は28歳かな、身長は多分170台?180の可能性もあるかな。公園で話しかけられたけど、なんか、不思議な人で、最初はなんか貴族かなと思っちゃった」
「外国人?」
「日本人だよ」
28で、日本人で、貴族のような雰囲気がある人?
やはりまったく、想像できない。人物像が、どういう風に会ったのか、どんな会話をしたのか、なぜ結婚の話になったのか。
「結婚のお話はお母さんからしたの?」
「話は相手の方から来た。正直ビックリしちゃったけど、ヒロちゃんにとってそんな悪くないかもしれないと思って、PPトークだけ交換した」
僕想像力豊かの方だと思っていたけど、まったくどんな流れだったのか想像できない。
お母さんが公園で話かけられて、結婚を検討する。天と地がひっくり返るようなものだ。
そもそも初対面で結婚の話になるのか?結婚詐欺?
普通はデートのお誘いのナンパだと思うけど、娘がいるなら真剣に家庭を作りたい可能性が高いのかもしれない。
正直、僕がお父さん欲しいとお願いでもしない限り、お母さんは絶対に結婚を考えないと思っていた。お母さんも結婚はしないと言っていた。
きっと、何かあるのだろう。
「今日、その人に会うことは出来る?」
「えっ、今日?あっ、ちょっと聞いてみるね」
お母さんは急いでスマホを取り出し、操作し始めた。
僕はそのままテーブルに肘をつき、考え始めた。
今日会っておかないと、こんな気になる状態では夜眠れる気がしない。最優先で解決すべき話だと、体がそう言っている。
適当に断るのが本来僕がする選択だが、母の変化を目にして、躊躇った。
どんな人なら、どんな状況なら、お母さんが結婚を考えるのか、それが気になってしまった。
お母さんからもっと話を掘り下げて色々聞けばいいかもしれないが、直接目で確認しないと、お母さんがなぜ結婚を検討するか、その気持ちの根本と全体がわからないと思う。
僕の直感がそう言っている。
「何時くらいがいいかな?」
「今日幼稚園休みだから、いつでも、できれば早い方がいいかな」
「わかった。えっとね、午後2時くらいになると思うけど、場所はどこがいいかな」
どこで会うか、それはあまり考えなかったけど。結婚のお話をするとしたら、相手に会うとしたら。
「こっちの家でも大丈夫かな」
よくわからない相手の家にいくのは嫌だし、外でこういう話をするのもなんか違う。相手がこっちに来るべきだと思う。
「いいの?相手はどこでも大丈夫と言っているけど」
「大事なお話だから、ここでしようと思う」
男が苦手なお母さんが、結婚を考えるような相手だ。ちゃんと確認しないと。
「わかった」
やはり、とても不思議な話だ。
あのクソ男のせいで傷ついたお母さんが、見知らぬ男性に対して、無意識に避けようとするあのお母さんが、結婚を…
それも、特に恋愛とか、強い好意とかが見えないのに。
お金に困っているわけでもなく、生活での不便があるわけでもない、それなのに、結婚を。
相手が石油王だろうが、大統領だろうが、そのイメージができない。
結婚が、僕のためになる可能性があるかもしれない、お母さんならこれだけでも結婚を考えるかもしれない。でも、きっと一瞬考えてみるだけだ。
僕が欲しいと言ったわけでもないのに、特に出会いを求めているわけでもないのに。
お母さんがその結婚を、考えてしまう何かがあるはずだ。
「大丈夫みたい」
「ありがとう、お母さん」
回答を出すためには、その何かを直接目で確かめないと。
▽▲
気づけばこんな時間になっていた。
午前はお母さんと一緒に映画を見て、お昼はチーズカツカレーを食べた。
そして今、13時45分
直接目で確かめると言っていたのに、結局お母さんに色々聞いてしまった。
娘を連れた男の名前は北龍輝、結婚相手を探しているのは、養女の娘のためと言っていたらしい。
会ったときは、公園で見かけたお母さんに急に話かけて、雑談を少しして、お母さんに子供がいることを知って、結婚のお話を提案してきた。
初対面の女性にいきなり結婚を申し込む、養女の母親をいきなり決めにいく、普通じゃない。一目惚れでも、そこまではいかないはずだ。
一体なんだろう。
相手は、男一人で子育てに苦労しているらしい。お母さんは彼のお話を聞いて、今まで拒否していた結婚について色々考えてしまった。
子供のためなら、一つの選択肢として考えてもいいかなと。
確かに、一人親の家庭が、恋愛より家庭を優先して結婚相手を探すのはある話だと思う。母子家庭も、父子家庭も、苦労することはある。
お母さんは美人だから、今までも色んな男からそういう話を持ち掛けてきたことがある。
そういう男に嫌悪感を抱いているお母さんは、彼らを避けるために既婚者になるのも、結婚を検討した一つの理由と言っていた。
でも、これが理由ではないはずだ、これだけでは、結婚を検討しない。
そして、この二つだけが理由なら、僕が父親を持つことに興味がないと分かった瞬間、躊躇わずに話を断っている。
だけど、お母さんは僕がいらないと言った瞬間、一瞬躊躇した。あのまま、結婚しない選択で終わるはずだった、でも、僕はその躊躇の理由を知りたかった。
そして、その理由は、直接目で確かめないとわからないと直感が言っている。
外れたことがない僕の直感を信じよう。
「ふー」
気持ちを落ち着かせるために深呼吸をする。
不安になる必要はない、直接目で確かめたら、結婚のお話に反対すればいい。そこに、結婚する必要性がなければ。
「ヒロちゃん、もう着いたみたいよ」
「はーい」
時計の針はすでに13時55分を指している。まだ落ち着かない気持ちを抑えて、足を動かして、玄関の方に歩いた。
再び深呼吸をして、玄関の前で立つ。お母さんが扉の鍵を外したのを見て、僕はスリッパを用意して上がりの方に置いた。
準備は万端、怖がることはない。とても急な話で、いきなり会うことを選んだが、大丈夫なはず。僕はまだ5歳の幼稚園児だけど、周りの子より賢いし、大丈夫、頑張る。
ん、来たか。
「来た」
僕がそう言った数秒後、扉の向こうから足音が聞こえるようになった。
大きな足音が一つ、小さな足音が一つ、聞こえる足音から相手の姿を想像し始めるが、気づけば相手はもう扉の前についていた。
「ピンポーン」
玄関のチャイムが鳴った。
「開いてますよー」
お母さんの言葉に反応するように扉が開いた。
「こんにちは、琳さん、お邪魔します」
「はい、どうぞー。あっ、こんにちはー」
一人の男が扉を押して入ってきた。
存在感が強い、これが最初の感想だった。
一言では表せない、落ち着いた雰囲気の男が、ゆっくりと家に入って、扉を閉めた。
顔は普通ではない、かといって、モデル雑誌に載っている美形やイケメンとも違う。
清潔感を感じさせる身だしなみ、一つ一つの顔のパーツは普通のように見えるが、それらは綺麗に磨かれているように、完璧に顔面に配置している。
なるほど
僕は納得してしまった、お母さんが言っていた不思議という評価に。
そう思って男を見つめていると、男は何かに気づいたように僕を見つめた。男の黒い瞳は確かに僕の何かを捉え、見つめている。
深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている
ふと、頭にその言葉が過る。そして、僕はその言葉に反応するように、男の瞳の奥にあるものを見抜こうと、見つめ返した。
僕の目線は、何にも邪魔されることなく、男の中にある何かに届いた。
「初めまして、北龍輝です」
男の言葉が、僕の目線を止めた。
北龍輝さんの挨拶に反応するために、僕は口を開く。
「はじめまして、荒木尋斗です。5歳です、よろしくお願いします」
4人もいるはずの空間なのに、なぜか、僕と北龍輝さんの二人だけが存在しているようだ。
彼は玄関から上がる素振りを見せることなく、扉の前に立って、僕のことを見つめていた。
お母さんは僕たち2人を見守るように隣に立っている。
結婚のお話をしに来た人が、玄関に入ってきてから、お母さんを見ることなく、僕を見つめている。色々考えてしまいそうな状況だが、僕はなんとなくわかってしまった。
この人は普通じゃない。
瞳を覗き込んだ時に見えたものを、僕はまだ理解し切れてないけど、徐々にわかってきた。この人が、僕が普通ではないと見抜いた時、僕もこの人は普通ではないと見抜いた。
「よろしくね、私のことは北でも、龍輝でも、呼びやすいように呼んでください。君のことはなんと呼べばいいかな」
「尋斗で大丈夫です、龍輝さん」
落ち着いた彼の声は、僕が見えたものに合致していた。
落ち着いているが、とても強い声。彼の本質そのものを表している。
天にも届く大樹、自分の日陰で生命を酷暑から守り、風に合わせて葉を揺らし、兵器や猛獣とは異なる、誰にも否定されない強さを持っている。
いや、この例えでは彼の本質を完璧に表現できない、表現しきれない。
ダイヤモンド?いや、鋼だ。
足りない部分を言い表すなら、これだ。
普通の人とは違う、同じ人間でありながら、同じく血と肉で出来ているのに、存在の質が違う。至上の素材であり、何にもなれる、一度鍛え上がれば折れることのない何かになる。
脳から、心から、直感から、何かから、さっき覗き込んで見えたものから、この男に対する理解が止まらずに出てくる、より正確に出てくる。
まるで、初めて、同類に出会った心情だ。
普通という群れから突き出した者が、初めて、同じく普通から外れている者を見た時、鏡を通して自分を見つめるように、その者を通して自分を理解するように、思考する。
いつも以上に回る脳に、いつも以上に出てくる考えに、僕はブレーキをかけられずに
「琳さんの言っていた通り、尋斗くんは礼儀正しくて、才能ある凄い子だ。私の想像以上に」
「ええ、自慢の息子です」
僕を褒める言葉を聞いて、お母さんは思わず笑顔になった。そのことに気づいた僕は、ようやく回転し続けた思考を止めることが出来た。
初めての体験に、さらに不安が強まる。
僕はただ、他人が見えないものを感じ取れたり、漢字や計算が簡単にできたりするだけだと思っていた。でも、今のは、それらに該当しないものだ。
思考の回転の速さも、出てくる思考のパターンも、初めてのものだ。
まるで、もう一つの脳があるようだ。
自分の中にあるものの正体が理解できず、不安になるが、今考えるべきことを思い出して、僕は再び目の前の男、龍輝さんを見つめた。
「龍輝さんは、なぜ、何のために、僕のお母さんと結婚したいと思ったのですか」
僕の言葉に、龍輝さんは一瞬目を見開き、考える様子を見せた。
僕の質問に真剣に悩み、約十秒の沈黙が経ち、龍輝さんは口を開く。
「結婚を考える最初のきっかけは、父から貰いました。病で苦しんでいた父は、私が家庭を築き、幸せになることを願いながら亡くなりました」
父親のことを思い出す龍輝さんの顔は、隠しきれない哀愁と優しさがあった。彼が父親を愛していることがわかる。
「不器用な私は、父親に、結婚をして幸せになる約束をしました。それが、最初のきっかけです。もう一つは、この子です」
龍輝さんは左手を背後に置いた。
「こんにちは」
何の起伏もない、冷たい声の挨拶が聞こえた。
そこで、僕は初めて違和感に気づく。
聞こえていた小さな足音、あまり龍輝さんに目線を向けていないお母さん、四人がいるはずのこの空間、違和感の正体は、龍輝さんの背後に隠れるように立っている女の子だ。
龍輝さんの後ろに隠れているからまだ左半身の少ししか見えていないが、見た目からして、僕と大して年齢が変わらない、いや、僕より1つ下かもしれない。
ずっと集中力を龍輝さんとお母さんに向けていた僕は、彼女の存在を思考に入れていなかった。
今になって、僕はようやく、お母さんはさっきからずっと、この女の子の方を気にしていることに気づいた。
この子が、お母さんが言っていた、龍輝さんの娘。
「はい、こんにちはー」
そう考えていると、お母さんはこの子の挨拶を返した。それにつられるように、龍輝さんに頭を撫でられているこの子は、一歩前に出た。
白いボアジャケットにリボンのついた黒いスカート、暖かい服装をしている。そう思いながら僕は彼女の顔に目線を向けた。
黒い長髪に、黒い瞳、綺麗な白い肌、右の泣きぼくろ、そして人形のように静止している、何一つ感情を見せない無表情。
冷たい
それが、心の中で最初に出た言葉で、最初の印象だった。
肌で感じる冬の冷たさとは違う、人の、心の冷たさ。全てを拒絶しているような壁が彼女の周りにあると錯覚してしまう、いや、拒絶というより、受け入れない、相容れない方が近いかもしれない。
その冷たさに、どこか見覚えを感じる。
「ヒロちゃん」
「あっ、そうだ、はじめまして、こんにちは」
彼女の冷たさに目を奪われたせいで、挨拶を返すのを忘れてしまった。
しかし、彼女の眉は一つも動かなかった。それを見た龍輝さんはやさしく彼女の頭を撫で、こっちの方を見た。
「北芽衣、私の養女だ」
北芽衣、初めて聞く彼女の名前より、僕はさっき感じた既視感を思い出した。彼女から感じた冷たさは、鏡で見たことがある。
そう、家に出て、幼稚園に通い始めたころの僕が、幼稚園のトイレの鏡で見た自分から感じたものだ。
家族以外の人だらけの場所で、普通じゃない僕が、ただ自分と家族だけを心に入れ、それ以外の全てを受け入れなかった時にあった、冷たさ。
相容れないと勝手に思い込んで、不必要だと考えて、周りと自分を切り離した時にあった冷たさ。
まるで自分だけが、異界からやって来た異物のように感じていた時にあったもの。
まだそんなに時間が経っていないが、今の俺にとっては幼い考えによって、生み出された意識の壁。
それは、集団から外れるようになる異物が持つ冷たさだ。
自分から既に消えているその冷たさが、彼女から強く感じる。
「山奥で見つけたんだ、両親は既に亡くなっていて、身寄りもいなかった。そこで、寂しかった私が養子に迎えた。父も可愛い孫娘ができたことに喜んでいた」
僕は芽衣を見つめながら、龍輝さんの言葉に耳を傾けた。
「今は、この子と二人で暮らしている。不自由のない生活だが、芽衣は、私以外の人に心を開いたことがまだ一度もない、外出でも他人とのコミュニケーションを最小限に抑えている。芽衣にとって、心の中には私という1だけがあればいい、そうなってしまっている」
龍輝さんの言葉を聞いて、僕は、少しだけ目の前の女の子がなぜこんなにも無表情なのかを理解できた。
そして、さっきよりも、この子の冷たさを感じ取れるようになった。
視覚と聴覚だけではない、別の感覚も感じ取っている。
彼女を見つめるほど、理解を深めるほど、冷淡さを感じる。今触れた冷たさは氷山の一角だと思い知らされる。
きっと、彼女には僕よりも深い、普通じゃない何かある。
「芽衣には、私以外の人との繋がりが必要だ」
確かにそうだ、一目でわかる。龍輝さんがいなくなったら、この子の繋がりはゼロになる。
「この子には友や恋人、色んな人に出会って、幸せな人生を歩んでほしい。その第一歩が、家族だ。もう一人養子を迎えるか、この子と友達になれる子を探すことも考えて少し試したが、難しくて、なかなか上手く行かなかった」
難しいはずだ。これほどに他人を拒絶している子の心の壁を壊してくれる同年代の子は、そう簡単に見つけられない。幼稚園児で、そんな凄い子は普通いない。
探している間に時間が過ぎて、壁がさらに厚くなる。年齢が離れては関係性が難しくなる、年齢の差とい壁が加わってしまう。
「幼稚園にも少し通わせた、でも、この子と仲良くなれる子はいなかった。私は学校や外の人は難しいなら、家族も探すべきと考えた」
心を閉ざしている彼女が、外で友達を作るのは、難しい。
僕もそうだった。幼稚園では、外では、変な奴と思われないようにすることしか考えていなかった僕にとって、仲良くなろうと自分から考えて行動したことはなかった。
家に帰りたいという気持ちだけがあった、家族さえいれば十分と思ってた。
作る必要はないと考えたものは、できない。
既にある家と比べて、家族と比べて、外の人は、他の者は、どうでもよかった。僕のことを変なやつと言ってくる人と、仲良くする必要なんてなかった。
初めて友達ができた時まで、頑なに盲信していたものが絶対ではないと知るまで、そうだった。
「そこから、婚活相談所にも行ってみたりした。理想は、芽衣と同年代の子がいる母子家庭で、色んな人に会ってみた。それでも、あまり上手くいかなかった」
そうか、だから、家族だ。
人が生まれて持つ、一番繋がってしまう関係だ。一つの家で一緒に暮らせる、そう簡単に切れない関係。嫌なことがあっても、向き合わないといけない関係。
心を開かない彼女が、最初に必要な人間関係は、龍輝さん以外の家族だ。
「そんな時に、公園で君のお母さんに出会った。一目でわかったんだ、いい母親だということを。私が幼い頃に亡くした母親にそっくりだった。子供のために全力を尽くし、信じたものを突き通せる、素敵な女性だ。琳さんなら、この子を託せると思う」
「いや、そんな、まだまだ未熟者です」
急に褒められたことに、少し慌てる母親を見て、僕はもう一度芽衣の方に視線を向けた。
きっと、重なるように見えたのだろう。あの時の僕と、この女の子を。
お母さんがいなかったら、いい友達に出会えなかったら、僕もこんな感じになったかもしれない。
それだけじゃない、お母さんにもしもの事があったら、お母さんがいなくなったら、僕は前よりもっと、壁を作って、心を閉ざすだろう。
それをわかって、お母さんは考えたのだろう。父親、兄弟姉妹がいる家庭が、僕にとって必要なのかもしれない。
そして、目の前の女の子を助けてあげたいと
「そうか」
僕は小さな声でそう言った。
これは、きっと特別な出会いだ。
お母さんが結婚を考えた理由は大体理解できた。
心を閉ざした女の子が目の前にいる、娘のために頑張る父親が頭を下げてくる、例えそこに恋や好意のような感情がなくても、検討する理由は十分にある。
お母さんが目の前の事を見て見ぬふりをするわけがない。
あとは、僕が決めるだけだ。
この二人についてもっと知ろうとするか、この話を終えてしまうか。
知りたかった理由について理解できたような気がするが、まだ何か少し引っかかっているような気がする。
さっきの言葉を聞いて、龍輝さんは、なにか急いでいるように感じた。
冴えている頭が、何かを見つけだそうと思考を巡らせる。
さっき、男の中、龍輝さんの中で見えたものを思い出す、思い出すべきでないものを思い出す。
「龍輝さん」
「はい」
5年も生きて、僕は色んなものを感じたことがある。鋭い気配をした何か、焦げ臭い何か、森の中に潜む何か、直接目で確かめたことはない、でも、それらの感覚は覚えている。
しかし、さっきの僕は見えた何かを忘れた。いや、無意識に見なかったことにしようとした。
黒く、絡みつく、蝕む、危ないなにか
「龍輝さんは、重い病気があるのですか」
僕の言葉が出た瞬間、芽衣は動揺したように体をピクリと動かし、龍輝さんの手を強く握った。龍輝さんは苦笑し、右手で頭を掻いた。
「龍輝さん、大丈夫ですか?」
二人の様子を見て、お母さんは心配した声でそう問いかけた。
「大丈夫ですよ、そんなに重い病気があるわけじゃない。ただ、数年前に少し事故が起きて、それ以来あまり健康な体じゃなくなっただけです」
「それなら座った方が、私水持ってきます」
「大丈夫です、日常生活も運動にも支障はありません、武術の鍛錬も毎日できていますから。そう心配する必要はありませんよ」
龍輝さんは右手で拳を握ってポーズを取りながら、慌てたお母さんを落ち着かせようとそう言った。
確かに、体格を見ると鍛えてある健康な感じだ、まったく不健康な感じがしない。
でも、一つは確かだ。龍輝さんは先の自分を心配して、自分の娘に何かしてあげられないかと急いでいる。
僕の目にはそう映っている。
「尋斗くんは鋭いね」
「ちょっと急いでいるように見えただけです」
龍輝さんは予想外の返事を聞いたように、少し目を見開いた。そして、微笑んで芽衣の頭を撫で始めた。
「そうだね、私は少し急いでいるかもしれない。人生は先のことはどうなるかわからない、だから、先延ばしにせず、今やらないといけないことは、今果たす。まだ友達の一人も作れない娘が、友達を作れるように応援したい。この子が幸せに生きられるように、何かをしたいんだ」
そう話す龍輝さんは優しい目で芽衣を見た。その眼は、お母さんにそっくりだった。優しい、暖かい、母性溢れる眼差しだ。
そんな時間が数秒過ぎると、龍輝さんは僕の方に目を向けた。
「尋斗くんの聞きたい答えは聞けたかな」
「はい」
全てを知れたわけではない、でも、知るべきことは知った。
龍輝さんは答えを伝えた、目の前の女の子は沈黙を選んだ、お母さんは僕の答えを聞きたい。次は、僕が答えを出す番になるだろう。
「私は君の父親にはなれないだろう、尋斗くんは一人でもやっていける、母親を支えられる優秀な男子だ。琳さんも、男の手を借りなくてもいい強い女性だ。この家には父親という存在がいなくても、幸せに過ごしていけるはず」
龍輝さんは真剣な眼差しでそう語りかけてきた。
まだお互いのことをそんなに理解していないはずなのに、彼は信じて、僕とお母さんに高い評価を持っている。
「それでも、私とこの子の家族になって欲しい。芽衣には私以外の家族が必要だ、私がいなくなった時にこの子を繋ぎとめる家族が必要だ。琳さんはいい母親で、尋斗くんはいい兄になるだろう。二人に会わなかったら、きっと、他にこんなに素敵な親子に出会えなかった」
彼の声には、一つの揺らぎもなかった。真剣で、純粋な、願いだった。
午前の僕は勘違いをしていた。
目の前の男は、恋を求めていない、妻も求めていない、そして、新しい養子を求めているわけでもない。
求めているのは、娘を助けてくれる存在、自分がいなくなっても、娘を助けてやれる人。
彼は娘のために何かをしたいという思いで動いている。
いや、父の願いのためにも、家庭を求めたかもしれない。でも、恋愛や情欲を求める願望はこの男からは見えない。まるで、その選択をどこかに置いてきたかのように。
「まだお互いのことを理解していないのに、答えを出すのは無理な話だろう。だから、ゆっくりでいいから、お互いのことを知って、またいつか、その答えを聞かせてくれないかな」
龍輝さんはいつのまにか、片膝立ちになって、僕の目線の高さでそうお願いしてきた。
まだ幼稚園生の僕を、1人の男として見ているように。
イエスかノーの二択の選択だ、お母さんと自分二人の幸せな現状で満足している僕にとって、ノーほど簡単な選択はない、断っても、龍輝さんは別の道を探しに行くだろう。
ノーを選べばいい。少し前の僕ならあまり迷わずにそうしたはずだ。
だけど、それでは何かを逃してしまうような気がする。そして、何かから逃げてしまうような気がする。
お母さんが、今まで、あんな躊躇した表情を見せたことがあったのか。
目の前の女の子ほど人間を拒絶している冷たい存在を見たことあるのか。
そして、龍輝さんほどの人間を僕は見たことあるのか。
ない、ない、ない
それなら、これも一つの選択だろう
「家族になってみましょう」
僕は少し明るい声でそう答えた。
「「えっ」」
「んっ」
少し驚いた声が三人から聞こえた。
龍輝さんは驚きをすぐに顔から消し、芽衣は顔を変えずに龍輝さんの手を強く握りしめ、お母さんは驚いたままだった。
無理もない、僕でも、驚いている選択だ。
めちゃくちゃな流れだ、初対面の人に、まだそこまで知らない人に、会話と印象だけで、これほどの速さでこんな選択肢を取るのは普通じゃない。
でも、僕はこの答えは正解ではなくても、間違いではないと思っている。
「ヒロちゃんは大丈夫なの?」
お母さんは僕の選択への疑問をそのまま口にした。
理性的に考えたら、あまりにも早い決断だ。
友達を飛ばして、いきなり恋人として付き合ってみるようなものだ。でも、実際になってみないとわからないことはいっぱいある、長くて浅い探り合いより、直接深く踏み込んだ方が、相手を知ることができる。
それに、僕の外れたことのない直感は、間違いではないと言っている。
「お母さんは?」
「私は、そうね。まだ会うのは二回目だけど、芽衣ちゃんのことは好きだし、龍輝さんはいい人だと思う。上手く行くかはわからないけど、芽衣ちゃんの家族になるのはそう悪くないと思う」
お母さんは気持ちと考えを整理しながら、そう答えた。
突然持ち掛けられた話に対しては疑問があるはずなのに、二人と家族になることに、嫌悪を感じていない。
今目の前にいる人が、別の人だと成立しなかった気持ちなのだろう。
「尋斗くんは、いいのか」
龍輝さんは僕の目を見つめながら、そう、再確認をしてきた。
彼から求めたはずなのに、その言葉はどこか断って欲しいように捉えられる。いや、そう簡単な選択ではないと、伝えようとしているのか。
「だめだと感じたら、その時はまた言います。でも、今は、この二人なら信じられる。そういう気持ちで選択をしたつもりです。龍輝さんもそうしたのでしょう?」
「あぁ、その通りだ。血の繋がりも、何の繋がりもなくても、家族にはなれる。私と芽衣がそうしたように。しかし、それでも、早い選択だったと思う」
龍輝さんはもう一度、僕の意思の再確認をしようと、見つめてきた。
「はい、まだ玄関から上がってもいないのに答えてしまいました。もっと時間が経ってから判断した方が良かったかもしれません。でも、今決断すべきことだと思いました」
きっと、“今はまだわからない”や“また今度”のような答えはノーになるだろう。今目の前にいる女の子にとって、世界は、そのように映っている。
全てを受け入れていない彼女にとって、そのような選択は、無視してきたものに等しいはずだ。
覚悟のない選択肢が、響くはずもない。
「龍輝さんを父親として見るのは、きっと無理だと思います。でも、仲良くなれるような気がします。僕が芽衣ちゃんにとっていい兄になれるかはわかりません、でも、いい友達になりたいと思いました」
絶対的根拠が存在しない、でも、それでいいような気がする。
仲良くなるきっかけは、強い理由や根拠が必要とは限らないものだと、僕は思っている。
お互いを知るのは、踏み出て、初めて出来るもの。後悔や拒否は、この判断の後でも、できること。
だからこそ、踏み出すことが何よりも届く。
「ありがとう。琳さんは?」
龍輝さんは知りたい答えを得たかのように納得した顔をして頷き、お母さんの方に問いかけた。
「芽衣ちゃんとは仲良くなりたいから、大丈夫ですよ」
「もし、違うと思ったなら、いつでも断ってください」
龍輝さんは、最終確認をするようにそう言った。
「はい、それより、そろそろリビングにあがりませんか?」
「そうですね、お邪魔します」
龍輝さんは予想外の答えを聞いたように、初めて大きな苦笑を見せ、芽衣の手を繋いで靴を脱ぎ、玄関から上がった。
お茶の準備をするために、キッチンに早歩きで行ったお母さんを見てから、僕は龍輝さんと芽衣ちゃんの方に体を向けた。
「よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
龍輝さんの返事に合わせるように、芽衣ちゃんも頭を動かして頷いた。
突然の出会いに、自分でも予想つかない決断、意外の反応を見せたお母さん、すごい状況だが、なぜか、予想以上に落ち着いている。
きっと、目の前の二人となら、何も気にせずに、仲良くなれると感じているから。
もちろん、不安はある、うまくいかない可能性もある、でも、その時になったら、ノーという答えを出せばいい。
とても不思議な状況だけど、僕の直感が、気持ちが、心が、そう感じている。
お母さんもそう感じたのだろう。
そうじゃなかったら、こんな決断なんて、するはずもない。
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