第10話
危機が去り、緊張の糸が切れた彼は、その場にドタっと座り込んだ。
「た、助かったぁ〜……」
思わず安堵の声が漏れる。
九死に一生を得るとは正にこの事。
身の危険が無くなった事で次第に平静を取り戻すと、今度は怒りが込み上げる。
「何だよ、アイツ。○○リ神かよ。あんな奴が住んでるなら、不快の森とでも看板出しとけ、クソが!」
怒りに身を任せて暴言を吐く。
だが、それも長くは続かない。
危険な生物が身近にいると分かった以上、何かしらの対策が必須。
いつまでも文句を言って手をこまねいている訳にはいかない。
「はぁ〜〜〜……」
長くため息を吐き、無理矢理心を沈める。
(……珈琲飲もう)
状況を整理する為にも一息つきたい。
思えば朝から動きっぱなしだ。
限界を超えて走り続けたせいで身体もボロボロ。
切り傷、擦り傷も多数ある。
大きな怪我がないのは奇跡といって良いだろう。
疲れ果てた身体に鞭を打ち、泉の水で傷を洗う。
荷物から救急箱を取り出し、傷口に絆創膏を貼り、湯を沸かしながら、珈琲豆を挽く。
湯が沸いたら、ゆっくりと珈琲を淹れ、まだ熱いままだが、火傷しないように気を付けながら口に含む。
珈琲をゆっくりと喉の奥へ流し込むと、乾いていた身体に珈琲が染み込んでいくのが解る。
そして、乾きが癒えた事で頬を伝う涙。
「生ぎででよがっだぁぁぁ……」
心からの声。
本当に死んでいてもおかしくなかった。
想像を絶する恐怖体験からの解放。
珈琲を飲んで得た安堵感。
様々な感情が彼の中で濁流となり、許容量を超えた涙腺は見事に決壊。
珈琲を飲んでは涙を流す。
何とも奇妙な光景だが、今はそれを咎める者はいない。
珈琲を飲み終える頃には涙も出切り、ようやく今後の思案が始まる。
(森に入るのは必要最低限にしよう。入っても日陰は避けて、森を抜けるのは……現実的じゃないな。他にもアイツみたいな奴がいるかもしれないし、何日掛かるか分からない。キャンプは森から見え辛い場所に移動して、できれば鳴子とかバリケードが欲しいな。その為には材料が必要で。材料を集めるには……結局、森に入るしかないのか、クソ)
圧倒的な資材不足。
それを補う為には森に入るかしかない。
八方塞がりな状態。
だが、異世界に来て二日。
たったの二日だ。
諦めるにはまだ早い。
元の世界から持ち込めた備蓄もまだある。
(取り敢えず泉の周りを移動しながら、森を抜けられそうな場所がないか探そう。それが駄目なら……)
周りが見えなくなるほど考え込んでいると、脳内会議はそこまでとばかりに腹が鳴る。
朝から珈琲しか口にしていない。
腹が減るのも当然だ。
しかし、此処に長居はしたくない。
大丈夫だとしても落ち着かないのだ。
心情を優先し、荷物を纏める。
集めた資材をバックパックから出し、荷物を詰め直す。
テントを片付け、集めた資材は現地の物を使い纏める。
罠用の枝や薪はツタで束ね、木の実は大きな葉で包み、こちらもツタで結ぶ。
これで自身の荷物も集めた資材も持ち運べる。
準備を終えれば、もうこの場所に用はない。
この場を後にし、あの生物が去ったのと逆方向へ足早に進む。
少しでも離れたい。
理由はただそれだけだ。
空腹を抑え、歩みを進める。
気付けば日が傾き、空も夕焼け模様。
流石にそろそろ空腹も限界。
テントを張るのに良さげな場所を探し、荷物を下ろす。
そして、取り敢えず何か口にしようと備蓄の干し肉を取り出すと、ある変化に気付く。
(……ん? 量が減ってる?)
先程は急いでいた為、気付かなかったが明らかに量が減っている。
不気味なのは食い荒らされた訳ではなく、綺麗に一部だけ無くなっていた事。
今日どれほど流したか分からない嫌な汗を再びかき始めると森の茂みの方からガサガサと音がする。
慌てて目を向けると、そこに居たのは見たこともない生物。
その生物を見た彼は固まり、声を失うのだった。
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