第8話 - Dreams Burn Down



日曜日の部室。窓からは昼下がりの陽気と新緑の風が吹き込んできた。

陸上部か何かのホイッスルの音がときおり聞こえるだけの、静かな時間。



「――いよっしゃあ!!」



僕は我慢できずに声を上げた。スマホ片手に立ち上がってガッツポーズ。

突然にはしゃぎだした僕に林檎が視線を投げかける。彼女は読書中だった。



「ねぇ……それって楽しい?」


「まあね。こうやってガチャで当たりを出すために努力するくらいには」



僕が強引に引き当てたのはSSRの人権キャラ。課金以外のどんな手を使ってでも欲しかった。〝5回目〟で当たってくれたのは運が良い。


休日とはいえ、毎度毎度およそ10時間も繰り返すのは骨が折れる。



「それにしても……週末も科学部に来てたんだね」


「うん。先輩との約束だから……毎日学校に来いって」



今日は部室に柚先輩のギターが無かった。林檎によると、明日もスタジオを借りて練習するようだ。



「ひとりの日は読書?」


「……いろいろ」



――いろいろ。僕の誘いよりもその『いろいろ』、そして先輩との約束のほうが大事なようだ。


彼女が視線を本に戻すと、また静かな時間が訪れる。

教室にいるときに林檎が素っ気ないのは元からであったが、ここ数日はとくに寡黙だった。



――静かな林檎も、良い。



どこか彼女を意識して落ち着けないもので、棚の本を手にとって読もうとしてみるも、専門用語が頭に引っかかってすぐに読み進めなくなる。次。

今度は英語だった。次……いや、この際、ファイルのほうを見てみよう。

転校初日に目をつけた通り、これは科学部の先輩が残した実験レポートで間違いない。得意の速読で目を通していく中、あるページが目に留まった。



『時間遡行を観測する現在について』



読み応えがありそうだ。SFどころか学校の理科系科目も苦手意識のある僕は身構えて、それに挑む。

文量自体は少なかったため、集中力を保ちながら何周か読めた。



ざっと要旨をすくい上げる。


まず、これは実験ではなく仮説であること。

次に、時間は未来から過去へと流れていること。これは時間を観測する我々から見た相対的な変位…………とか何とか記述されていた。

最後に、観測対象が量子状態的な時間遡行をした場合、観測対象が消失する場合とそうでない場合があること。



――つまり、例えば僕がタイムマシンで過去に戻ったとき、その部室から僕が消える場合がある……と。


いくつかの要因が挙げられていたが、その中でも次の説は興味深かった。


『――ここでは広く共有された運命という概念を引用する。過去において運命が大きく左右されると、観測対象が現在において観測されるための因果的整合性が崩れるためと考えることもできる』



「…………運命、か」


「行飛くんは、運命を信じる?」


「え」



無意識のうちにそう呟いていたみたいだった。林檎は問いかける。不意打ち。

科学的な話を読んでいたのに、突然、哲学じみた宗教的な答えを要求される。



「……わかんないな。考えたこともなかった」


「自分が生まれる前から、こういう人生を歩むことは決まっていた……そんな気持ちになることはない?」


「うーん、やっぱりわかんない」



便宜上、時間遡行ごとの記憶のまとまりを〝ループ〟と呼ぶことにして、柚先輩に壁ドンされたループのことを思い返した。

無事に林檎と出会い、そして柚先輩に取り入ることはできたが、それでも林檎のことはまだ何もわかってはいない。


林檎が〝運命〟なる言葉に興味を持つとは。

小学生のころはクラスで一番明るい子だった。こうやって読書をする姿も当時からすると想像つかないほど。



「林檎ちゃんは…………あるの? そういう気持ちになること」



彼女は僕に目を合わせる。口は横に結んだまま。

あの時の目だ。


『――私のこと、みんなの前では名前で呼ばないで』


僕にそう語ったときの、冷たい表情。あの時の目で、僕を凝視する。それとも、僕の向こう側に何かが見えているのだろうか。

彼女の胸中はついぞ掴めないまま、彼女が椅子から立ち上がる。僕はそれを見上げる形で、彼女の言葉に耳を傾けた。



「あるよ。行飛くんと出会ったとき、これは運命だって思ったもん」



僕はそうは思えない――転校してきたのは運命なんて大層なものじゃない。個人の問題と、ちょっとした偶然。

僕たちを引き合わせたのはちょっとした偶然。

バスで乗り過ごしたこと、同じ担任のクラスになったこと、タイムマシンでそれを知った上で林檎と出会い直したこと。



「だって私、ずっと行飛くんに会いたかったから」



彼女は部室の窓を閉じた。

磨りガラスは青に染まっている。青に染まっていることはわかっても、その先の景色を見ることはできない。



「……行飛くん、どこにもいかないでね」


「もちろん。約束する」



――なんだろう。これはなんなんだろう。


指切りをした僕の胸は、理由しれず高鳴っていた。

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