第7話 - それは白昼夢のようで
「――――んふぁッ」
知らない天井……とは使い古された表現だが、寝起きで知らない天井に出くわすと、確かに混乱する。
「まさか失神するとはなぁ……」
ギターを抱えた
科学部……時刻は17:12。大丈夫、そこまで寝てない。
「はぁ……
隙間なく並んだパイプ椅子で横になっていたためか、身体のふしぶしが痛い。先輩が寝かせてくれたのであろうが、いっそのこと膝枕とか――などと考えてしまう自分が恥ずかしい。
「流石に音量は落とした。殺人犯にはなりたくないから」
「あはは……どうも」
しっかりと棘のある冗談を飛ばす先輩は、あいも変わらずにギターをかき鳴らす。
それはノイズ。ロックやメタルとは違うギターの音だ。
先輩は俯いたまま、微塵も動かずにただ黙々と演奏を続ける。唯一、足でリズムを取っているのかと思えば、いくつもの機械を踏んで制御している様子だった。
機械のスイッチをいじると、音が変わっていった。
これが噂に聞くエフェクターなのか、と、音楽に疎い僕からすれば未知の世界を垣間見ている気分だ。
邪魔をしていたつもりはないが、先輩は手を止め、こちらを向く。
「改めて聞くけど、〝シューゲイザー〟って知ってる?」
「いえ……すみません。バンドの名前ですか?」
「いや、ジャンルの名前」
――シューゲイザー。
いわゆるデスメタルとかEDMとかいったものとは別ベクトルのかっこよさを感じる。ベクトルという言葉を使うのは癪だが。
しかし、この音の凄まじさからして激しい音楽なのだろうと推察する。
「……聴いてみるか。ほら」
彼女は僕の真隣に座ると、イヤホンを差し出してきた。このご時世に有線だ。
しかし、彼女は片方を自身の耳に入れた。もう片方を僕に。
「え……? えッ、それって……なんていうか、いいんですか?」
イケないことが始まりそうだ。何がどうイケないのかは言語化できない。
先輩は返事をしなかった。僕の目の前でイヤホンを持ったままスマホを操作している。
僕も無言で受け取った。僕があれやこれやと意識して失言してしまうほうが問題だ。
おそるおそる、イヤホンを左耳に差し込む。
いや、やっぱりこういうのは恋人同士がやること――――。
思考が真っピンクに支配されたとき、イヤホンから鮮烈な風が吹いてきた。いや、落雷にも近い衝撃。
シンバルの音が近づいてきたかと思えば、それを蹴散らすようなギターが追い抜いてくる。ドラムは少し軽いものの力強い。
ギターはザクザクと刻むような音圧を放つ。ベースも一丸となる。
されど激しいわけではない。ギラギラと輝くような眩しい音ではあるが、そこには柔らかさがあった。
軽快なギターフレーズが挟まれ、歌が入ってきた。
二度目の衝撃。歌、ギター、バックには柔らかい風のようなコーラス。
イントロと違い、ギターは自由奔放な子どものようにメロディーラインを駆け回っている。
――――『美しい』。
ふと、そんな印象を受けた。
爽やかな曲調ながらも、耽美的な奥深さも感じる。
ふと、この曲が
華やかで、浮き沈みのある人間のようで……そして儚い。
息を呑むが、息を呑む音すら聞こえない。
圧倒的な音量があっというまに僕の頭をかき回し、そして嵐のように去っていくのだった。圧巻。
「…………せ……せんぱい。これは」
「アタシはリプトンも好きだけど……大好物はこのシューゲイザー」
いたずらっぽい笑みを至近距離で破壊力。
シューゲイザーとの出会い、天敵である藤刈先輩の新たな一面との出会い。
ただでさえ考査後で疲れ切っている上に、様々なことが折り重なって僕はもう限界だった。
「先輩……藤刈先輩」
「なに」
「藤刈先輩はこの科学部でギターの練習をしてたんですか」
「うん。そしたら林檎が入部してきて、ついでに面倒見てる」
――おそらく、ついでなどではない。藤刈先輩は本気で林檎と接している。そうでなければ、僕を林檎から遠ざけたりはしない。
「藤刈先輩は、その…………僕と林檎ちゃんの仲のことはどう思ってますか」
「…………藤刈先輩っての、なんかしっくりこないな」
「へ?」
「……
「あ……え……あ、え、ゆ、ゆずせんぱい? って、え。そういうことですか」
「なにテンパってんだよ。お前には林檎がいるだろ」
「――!!…………はい!」
これは認めてくれた……ということなのだろうか。
何がきっかけとなって許してくれたのかはわからない。
今日の出来事なのかもしれないし、僕の話を林檎がしていたことかもしれない。
「ゆ……柚先輩」
「名前を呼んだからにはちゃんと用があるんだろうな」
「はい……今日はありがとうございました」
ん、と短く答える先輩にお辞儀をして部室を出る。数学は林檎と
――タイムマシンが野暮に感じるくらい、素敵な白昼夢のような時間だった。
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