第5話 - 一緒に帰ろう



さて、そろそろ時間のはずだ。


歩場ほば先生の許しを得た僕は、昇降口で林檎の登校を待っていた。

待っていた、というより休んでいたが正しい。思えば、20時間ほどずっと学校に意識がある。慣れない場所で初対面を繰り返しているのだからなおのこと。

身体的な体力はあるものの、精神的な摩耗がだんだんと辛くなってきたところだった。



「…………行飛ゆきとくん?」


林檎りんごちゃん。おはよう」


「えっ? どうして、行飛くんが……? え? 行飛くんなんだよね?」


「今日から俺も朝枝あさえだ高校だから」


「…………『俺』って言うようになったんだね」



最初は僕を見つけては戸惑い、そして狼狽えていた彼女だが、ここにいる雲永くもなが行飛ゆきとがあの日の行飛だとわかってくれたのか、そっと寄ってきた。

これまでの2回の出会いとは温度感が違う。冷たいわけではない。火傷してしまいそうなくらい熱かったものが、人肌ほどの温もりになったというか……。


ともかく、僕は林檎と出会い直すことができた。

あとはこの関係を先輩に知られることなく、科学部から彼女を連れ出す。


――少なくとも今日は、最後まで一緒にいたい。


僕の知る飴宮あめみや林檎りんごがそこにいると、確かめたい。



「林檎ちゃん、教室に入ったら名字で呼んだほうがいい、かな……」



林檎は小さく「えっ」と声を漏らす。一瞬、黙した後、笑顔で頷いた。

その一瞬にどんな逡巡があったのか、僕には知る由もない。



「さてと……先生~!」


「おっ、なになに。いい感じじゃない」



廊下の影でスタンバイしていた歩場先生に声をかける。いきなり現れた担任に林檎は

転校初日とおそらく科学部登校をしているであろう生徒を相手に茶化せるのが、人当たりが良いと評判にされる所以だ。



「せ、先生……」


「今日はどうする? 無理しなくても全然いいよ」



先生は膝をかがめて、林檎と目線の高さを揃えた。良い回答を引き出すのに時間はかからなかった。



「行飛くんと一緒なら……」



その返事を聞き、こっちのほうが嬉しくなった。

彼女には悟られぬように心の内だけで喜んだ。報われた、という気持ちでいっぱいである。


エゴかもしれないが、林檎にはかつてのように明るくあって欲しい。







「――雲永くん、部活どうする!?」



自己紹介は前回と同じようにこなし、1日の授業をすべて終え、そしてまたこの時間がやってきた。

前の席の古田ふるたがにやけながら尋ねてくる。



「決めてない。誘ってくれるの?」


「ふっふふふ……ようこそ! オカ研へ!!」



まだ入ると決めたわけでもないのに、彼は勝手に話を進めてくる。

今日という日を数周して気付いたことだが、古田からは嫌な印象を感じない。



「考えておく。今日は用事があるから」


「おう! 再来週に活動日があるから、そン時にでも見に来いよ!!」



――単なるお調子者に見えて、絡みがしつこくないし、むしろ爽やかな気分になれる。


授業を18コマ分受けた疲れが多少は楽しさに置き換わるが、これでは足りない。

古田を見送って隣の林檎を見やった。声を潜めて、名前で呼びかける。



「林檎ちゃん。今日、一緒に帰らない……?」


「あ…………ごめん」



林檎はすでに帰り支度を済ませていた。これから科学部へ向かうことも、3回目の僕にはよくわかっている。

つまり今日この後、林檎に大事な予定があるわけではない、ということだ。



「今日は林檎ちゃんといっぱい話したくて。休み時間は話せなかったし」


「う、う~ん……」



彼女は困ったように視線を下げる。困らせているのは百も承知だ。

僕は頭を下げて頼み込む。



「今日だけでも……お願い!」


「………………わかった。一緒に帰ろ」


「――やった!!」



今度は声に出して喜んだ。

大急ぎで鞄に荷物を詰め込んで、林檎と一緒に教室を出た。


思えば、2周目まで歩幅を合わせて歩くなんてしていなかった。



「これって聞いてもいいのかな……行飛くんはなんでうちの学校に来たの?」


「え! あ、うん……ちょっと色々あってさ……」


「ごめんね。行飛くんだって、本当は転校なんて嫌だったんだろうけどさ――」



瞬間、僕は林檎と2人になったような錯覚に陥る。

学校の廊下、他の生徒たちは背景だった。



「私、また行飛くんと出会えて嬉しいの」



こちらに振り返り、にっ、とはにかむ林檎の姿がまぶたの裏に焼きつく。

彼女はいつの間にこれほど魅力的な女性になっていたのだろうか。今になって7年という空白の時間が惜しい。本当に惜しい。



「ぼ――俺も。嬉しい」


「無理しないで。『僕』でいいんだよ。私の知ってる行飛くんはそうだもん」



だが、それ以上に今という時間が至福でたまらなかった。



「……林檎ちゃんは変わらないね」


「行飛くんも。昔のままの行飛くんで嬉しい」



会ってなかったこの7年間のことは互いに触れなかった。自分たちが知っているそれぞれを、ひとつずつ確かめ合う。



願わくば、この幸せな時間がほんの少しでも長く続きますように。

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