第2話 - ノイズ



交友は問題なしの見通し。休み時間ごとに僕の取り合いが勃発したのだ。隣のクラスの人も見物にやってきたほど。

この時期の転入は珍しいから仕方ない。


このぶんだと、人間関係でのトラブルもなく卒業できそうだ。


しかし、心配事はつきない。これから授業に追いつくのが大変そうで気が気でなかった。特に数学。


期待と不安は食べ合わせが悪い。放課のチャイムでようやく気が楽になった。



「雲永くん、部活どうする!?」


「……まだ決めてないけど」


「それならオカ研来てよ! それとも、前の学校で何かやってた?」



古田ふるた――僕のひとつ前の席のお調子者が身体を捻り、今からは俺の授業だと言わんばかりにまくしたてる。放課後だというのに。

押しに押された僕は、助けを求めるように視線を右の席に持っていく。


林檎はさっさと鞄に教科書を入れて、今まさに席を立とうとしていたところだった。僕の視線に気づいて、ぎょっとしている。



「え……何?」


「いやさ、林檎ちゃんは部活なにやってるのかなって」


「――え、待って待ってちょっと待って。雲永くんって飴宮あめみやさんと知り合い?」


「ああ、うん。幼馴染で……小4の頃に林檎ちゃんが引っ越していってそれ以来」


「へぇ、幼馴染ねぇ……」



何やら含みのある返事。つかぬ憶測が繰り広げられているのは見ればわかる。

古田が話を続けようとするも、林檎が被せ気味に話を戻した。



「私は――! 私は部活、入ってないよ」


「そっか。それなら、せっかく誘ってくれたわけだしオカ研覗いてみようかな」


「よっしゃ! 次の活動日、再来週な!!」


「――って、今日じゃないんかいッ!!!!」



彼は最後までお調子者だった。

あっけにとられる僕と林檎を置き去りに、他の男子生徒を引き連れて帰った。おそらくオカ研の仲間だろう。


嵐が過ぎ去った後のような静寂。残された2人で目を見合わせた。



「……林檎ちゃんって家、どっちだっけ」


「いや、私、まだ帰らないから」



彼女はとうの昔に帰り支度を終えていた。僕の次の言葉を待つことなく行ってしまいそうになる。



「ま……待って!」



筆箱だけ鞄に入れて彼女のあとを追う。

僕が教室を出た頃には彼女は階段にさしかかり、僕が階段を降りた頃にはその姿が見えなくなっていた。



「あれ……?」


「行飛くん、こっち」



昇降口のほうではない。反対側の、部室棟へ続く渡り廊下に彼女はいた。



「さっき部活はやってないって」


「部活じゃないだけ。私と先輩の2人だけだから……それよりもさ――」



そう話す彼女は、教室にいたときよりも声を弾ませていた。というより、目に見えて口数が多い。

しかし、それが陰る瞬間を僕は見てしまった。



「――私のこと、みんなの前では名前で呼ばないで」



人が変わったようだった。彼女の性格がいまだに掴めない。昔はもっと溌剌はつらつとしていてわかりやすかったと思うのだが……。



「あ、ああ……うん…………わかったよ」



煮えきらない返事しか出せなかった。


部室棟の2階。〝科学部〟はその最奥さいおうに追いやられていた。透明なガラス窓が扉の横についている。よく見ると拭き跡のある窓。

そこから中を覗き見ていた僕だったが、林檎はもったいぶることなく解錠する。


彼女は真っ先に奥の窓を開放し、両手を広げてこちらに向き直った。



「紹介するね」



はたして紹介しきれるのか、こんな部屋を――というのが第一印象。

部室へと足を踏み入れた僕を、圧倒的な情報量エントロピーが襲ったのである。


6畳ほどの空間……のはずである。中央には長机。左右の壁には天井まで棚が伸びており、正確な面積は知れない。

さて、この棚というのが、表紙を見てみる限り科学分野の専門書、ならびに先輩たちがまとめたレポートのファイル……果てはSFの海外小説までもが並んでいた。

感嘆の声を漏らすばかりである。


ここまでは科学部らしい内容。しかし、ネオンテトラの水槽、ギターとスピーカー、コピー機ほどの大きさの機械、そして誰かの鞄。しっちゃかめっちゃかの部室だった。

最後に至っては明らかに私物だ。鳥のぬいぐるみキーホルダーが付いている。



「え~とね、まずはお魚ちゃんたちの紹介かな。ヒレが曲がっちゃってるのがリリィで、その手前の大きいのがシュシュで――」


「――ちょ、ちょっと。これってみんな名前がついてるの!? 見たところ10匹くらいいそうだけど……!」


「うん……変、かな?」


「いや、よく覚えられるな~って」



それは本心の50%。残りのもう半分は――いや、やめておこう。

林檎は1匹ずつ丁寧に可愛がりながら餌をやっている。きっと魚が好きなのだ。そう、きっと。



「このギターは?」


「触っちゃダメだよ。先輩のだから」


「先輩……?」



そのとき、表の扉が開いた。



「は――!? 誰、そいつ……!!」



開口一番に『そいつ』呼ばわり。

金髪にブルーのメッシュ、その派手な髪色に釣り合うほどの美貌――3年の女子だった。涼し気な目元がこちらを睨む。



「噂をすれば。先輩、この子は幼馴染で――」


「――林檎ッ!! 男は連れ込むなってアレほど……!!」



先輩、と呼ばれた彼女は話を聞かずに扉を閉める。かなりの勢いで閉まった扉は横の窓をも揺らした。



「待ってください先輩!!」



林檎が慌てて出ていこうとするのに押されて、僕は例の大きな機械に手をついてしまった。

カチッ、という手のひらの感触。何かのスイッチ。



「――――ッッ!!!!」



それは突然の出来事だった。


突然。


突然。しかし、まるで最初からずっとそうであったように……。



僕は、バスの中にいた。

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