ガラスの色が見えなくて ✲ 消えた幼馴染と繰り返されるシューゲイザー
山庭A京
第1話 - 青
おばあちゃんに席を譲らなければよかった。
立ちっぱなしで足が疲れた僕は、つり革にぶら下がり後悔する。
乗った頃にはガラガラだったものの、一般の通学範囲に入った今は高校生で席が埋まってしまった。カッコつけるのは疲れるだけ。性に合っていないんだと思う。
心機一転。
バスの車窓には知らない風景。もう少しゆっくりなら見入ることができたのに、バスは停まることなく進んでいく。ついこの前まで新入生だったのが、もう高校2年の6月。
こんな時期に転校するのにも相応の理由がある。
そうやって感慨に浸っていると、良くも悪くもバスに不慣れな僕に注目が集まった。
「あの……君、
「あ」
――というのが、転校初日の僕がやらかしたドジである。どおりで知らない風景だったわけだ。
それから学校に着いて時計を見てみると、朝の
静まり返る学校。僕は職員室を目指し駆け出す。
今も担任の先生が待ってくれているかもしれない。どう言い訳したものか。素直に言えば許してくれるだろうか。
クラスメイトに聞かれたら笑われるだろう。それも良いかもしれない。それでクラスの輪に入れたら最高だ。
希望的観測の妄想をしていたときだった。
「……
いそいそと靴を履き替える僕を呼び止める声。
「もしかして……
「――ッ! やっぱり! 行飛くんだ!!」
不可抗力。こちらに飛び込んできた女の子を胸で受け止めてしまった。彼女の背中に腕を回す勇気はない。
華奢な腕の感触と人の温かみが僕の何かに反応して声が上ずってしまった。
それが単なる好意であることは知っていても、どうしても意識してしまう。
「行飛くん……行飛くん…………」
「え――どッ、どしたの……?」
彼女の声が震えていた。確信する。彼女は泣いている。これはもしかすると単なる好意には留まらないかもしれない。
泣くほどの何かがあったのかと思うと、逆に単なる再会だと感じているこっちが申し訳ない。
高鳴る鼓動は聞こえて欲しくないが、それでもそっと彼女のことを抱きしめた。
「ごめんなさい……けど、嬉しくて……」
「林檎ちゃん……えと、久しぶり」
「うん。久しぶり……! でも、どうして?」
彼女の明るい調子に一安心する。
彼女と最後に会ったのは小学生の頃。髪を短くして男子にまじって遊んでいた彼女も、今では女子高生らしい落ち着いた容貌でこっちが驚く。
むしろ、自分が変わってなさすぎるのかもしれない。
目のやり場が定まらないのは驚いたからだ。驚いたから。
しかし、可愛らしいつむじの見える頭のてっぺんから、足先が少し内向いたつま先まで、どこを見ても彼女の変化を感じてしまい、僕はとうとう視線を外した。
「今日から……ぼ――俺も朝枝高校だから」
「え!? 転校してきたってこと!?」
――そうだ。転校してきたんだった。
「ごめん、林檎ちゃん。お、俺、急いでるから……!!」
――あれ。彼女だって急ぐべき時間なのではないか。
「あ、うん。そうだね……またね」
終始笑顔のまま手を振る彼女。スタッカート調に階段を駆け上っていく後ろ姿を、我知らず時間知らず見入ってしまっていた。下心ではない。ただ目を奪われたのだ。
『綺麗』という言葉は彼女が色気づいたときまで取っておこうと思った。今はまだかわいらしい女の子である。
そんな幼馴染との思わぬ再会で、僕の感情処理は追いつかず、心を置き去りにしてしまったようだった。
次に気がつくと職員室の戸を叩いていた。
「し、失礼します!
「お、きたきた! 待ってたよ!」
「すッ、すみません!」
「いいのいいの。大丈夫。1限は俺の担当だから」
頭を下げる僕を優しくなでてくれたボサボサ頭の先生――そう、彼こそが今日から僕の担任になる
人当たりが良さそうで、隙の多い印象である。担当教科が国語というのも親しみやすかった。
遅れたことへの追求は無かった。気を利かせてくれたのと、単に時間がなかったことの両方のような気がした。
「じゃあ教室行くけど、大丈夫?」
「は、はい……!」
蹴上の低い階段をゆっくり上り、2年生の教室が並ぶ3階へ。他のクラスは授業が始まってしまっていた。
目指す2年2組の教室は遠かった。
「じゃ、俺が先に
このひとりっきりの時間が長かった。
自己紹介の段取りは考えてある。転校してきた理由を上手いこと避けながら、良い印象を与えることができれば御の字だった。
「
現実に引き戻された。浮わついた足取りで教室へ。息を呑み、恐るおそる引き戸を開ける。
およそ30人の眼。60の瞳が好奇心に満ちた色をしていた。
「こっちこっち。はい。自己紹介お願いします」
歩場先生に目を向けるも、逆に目を向け返されるだけ。僕はとりあえずクラスメイトに背を向け、流れに身を任せて粉まみれのチョークを取った。
雲……永……行、飛…………と。
「く、
デモンストレーションなんてあったものではない。だんだん短くなる呼吸ではこれが精一杯だった。
勢いよく頭を下げ、あとは自分にとって良い方向へ転がることを胸のうちで祈った。
誰かが手を叩く。ひとたび沈黙が破られると、教室が拍手で埋まるのは一瞬だった。
「まだ2年生は始まったばかりで、これからいっぱい時間があるからゆっくりみんなと仲良くなってってください…………と、雲永くんの席はあそこ。最後尾」
「あ、はい…………え」
自分の席だけ確認して近づいていった僕を、その隣の席で待ち構える女子がいた。いや、構えられていない。顔を下に向けては時折、上目遣いでこちらを見てきた。
「…………よろしく」
飴宮林檎――彼女と最後に会ったのは正確には7分前。再会して早々で僕に抱きついてきた彼女も、今では借りてきた猫のようなそっけなさでこっちが驚く。
もしもこのとき、僕が〝ガラスの色〟に気付けていたなら――――あんなことは起きなかったのに。
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