ナンセンスなんて知らないよ


りゅーちゃん:今から会える?


股臭浮浪少女:何処で会う?


りゅーちゃん:『てるはれ』んとこ


股臭浮浪少女:すぐ行く


 メールを切り上げて、ふと後ろを振り向く。シャワーだけ借りた『ブルーハウス』の看板が、ネオンの光でゆらゆら反射してる。


 何の気無しにシャッターをくる。


 パシャリと音がなって、切り取られた景色は僕が見たものとはまるで違っていた。


 風情もなく、味もなく、ただの錆が生えつつある街角のステンレスの合板。それだけだった。


「ステンレスのくせに錆が生えてるってことは、大分変えてないな、この看板」


 すっかり暗くなった夜の街を歩く。


 すれ違う人は皆んな同じ表情をしていて、笑顔なんてほんの数人。他は全て人形みたいな思考の読めない暗い顔。

 

 滅入るような事だった。気分転換にはならなそうだ。もう少し、表の通りから離れて歩こうかな。


 そんな時、『はち服』の店頭でふと視線を起こす。


 自分の服を省みて、大分汚いなと一式丸々着替えることを決心。


 全国規模でチェーン展開をしている『はち服』は、コストが良心的かつデザインもシンプルで癖がない。


 貰った手提げにそれまで着ていた衣服を納めて、浅い紺色の半袖に黒い短パンの簡素なスタイルに変身した僕は、街のより静かな方へと歩いて行く。


 風に乗って運ばれてくるのは、香ばしい食材と、それを燻す煙の匂い。そこへ微かに人の汗の匂い。それも段々と薄くなり、やがて景観を埋めていた、軒を連ねる店の数々はいくつも姿を消して、ポツンと離れた場所に立つ、一軒の居酒屋が姿を現した。


 電飾のまだ生きている下半分しか看板の文字は読むことが出来ないが、僕はその名を知っている。


「リュー君」


 その看板の下には、一人の少女の姿があった。


 手元で小さく手を振りながら、彼女は口の端を綻ばせて、僕の名を呼んだ。


「ごめん、待たせた?」


「ううん、今来たところ」


「そっか、ハイこれ」

 

 僕の手に握られていた手提げに書かれている、『はち服』のロゴを見つめる彼女。


「何?これ」


「家に置いといて。僕の服」


 彼女は両手でその手提げを受け取る。何か大切な宝物を貰うように、大事そうにそれを抱える。


「私にくれるの?」


「まぁ、使ってもいいよ」


「嬉しい」


 彼女は顔を上げた。月の光が彼女の顔で反射しているのかと思ったけど、空には月の姿はなかった。


「大事にするね」


 僕を真っ直ぐ見るその目。思わず顔を背けたくなるような気がするけど、それは気のせいだ。


 僕の顔が迫った時、彼女が目を瞑る姿が一瞬見えた。


 彼の唇とは違う。僕がリードするでもなく、彼女は自然に僕を受け入れてくれる。


 対等なキス。


「……入ろっか」


「うん!!」


 彼女は僕の腕に自分の腕を絡ませて、僕より少し大きく歩幅をとって、大股で弾むように進む。


 きゅっと結ばれた手指に感じた温かいものは、直ぐに夏の魔法で熱を増していく。


 その度に彼女の手は、握る力も増していくのだった。


 

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