ただのいぬ
まだ日も高い午前一時。
僕らが目指していたのは奈落の底だった。
もうすぐ終わる僕らに怖いものは何もなくて、どれだけ恐ろしい快楽の穴にも好奇心のまま飛び込むことができた。
首元でくぐもったような息遣いが聞こえた。吐く息に当てられてその部分が熱くなる。
もっと深くして。
初夏の盛り。エアコンは入れてない。窓も締め切ってる。彼の体温はまた高くなる。呼吸するたびに肺を焼くような甘美が流れ込んでくる。
彼の匂いだ。
薄暗い部屋では、窓からの光源を頼りに互いの顔を見ることも覚束ない。
彼は酷く揺れていた。
表情には大きな葛藤が潜んでいたが、僕はそれを見ないふりをしてそのまんま。きっと僕と目を合わせたら泣きそうな顔をするんだろうな。
目を閉じて思わず漏れてしまう声だけで彼との意思の交換を終える。
彼は殆ど独りよがりな思考に陥っていて、僕の身体は当てつけの先とばかりにその動きは俊敏に鋭利になっていく。
僕が死んだら君は悲しいんだよね。
分かるよ。
だって僕がそういう風にしたんだから。
それでも彼は僕の言う通りに、僕と死ぬことを辞めない。辞められないし、辞めさせないから、これは絶対以外の何物でもない。
そんな先のことをつらつら考えるけど、取り敢えず今を楽しみたくて、そんな難しいことは忘れて頭を空にした。
セックスってなんて楽しいんだろう。
彼は相変わらず泣きそうな顔で、切なげな声を辞めようとしない。普段崩さない丁寧な口調の彼も、今ばかりは母親に甘える子供みたいに一生懸命に僕に体を預けてくる。
湧き上がるものは何処までも熱を増していく。これ以上望むべくもないけど、何処までも満たされていく幸福の輪廻循環は続く。
ああ幸せ、幸せ。
青春の渦中で死ねる幸せ。
青いままその身を地に落とした果実の一粒となること。
人の手に摘まれる前に、自らの意思で終わりを迎えて大地と化すこと。
そのなんて幸せなこと。
燃え尽きては火をくべて、僕らは不死鳥も真っ青になるくらいに燃え続ける。
やがて彼は眠ってしまうけど、まだ日は完全に落ちていなかった。
彼が目覚めてからも、僕らはそのままだった。
今度は決して、火が消えないように。徐々に徐々に育てていく炎が決して絶えないように。優しく優しく触り合う。
光源はもう無い。お互いの顔も見えない。だから彼は不安そうな手つきで僕の頬を撫でるし、首元に頭を預けたり顎を載せたり忙しない。
僕は時折り彼の背を撫でながら、耳の裏へとゆっくり舌を這わせる。
彼が背に回してくる手に、瞬間的に力が入る。グッと締まって、それからまた和らかな抱擁へと戻る。
彼はあまり自分からキスをしようとしない。慣れていないらしい。大学生にもなってそれは、と思ったが、今ドキ流行りの草食系男子と言うらしい。
いつもキスをするのは僕からだ。入れるのは彼なのに、リードはいつも僕のものとなっている。
でも、それも良いから、別に。
彼は犬だ。僕の忠犬ハチ公君。僕の言うことしか聞かないし、僕を心から性愛と親愛で求めてくれてる。
僕が耳元で囁くだけで、彼は僕の事しか考えられなくなるし、今すぐ僕の元へ飛んで来たい欲求を抑えて抑えて、そして僕がよしと言ってから僕の与えるモノだけを貪る。
犬か。
「先輩……」
彼の目が僕の視線を捉えた気がした。実際それは勘違いではなくて、暗闇に慣れた視界には正しく濡れた犬みたいな彼の情けない顔があった。
欲望に溺れている顔。僕無しでは生きられないような、酷く頼りない顔。
僕を抱いているのに、僕に抱かれている事を自覚している、弱く弱く弱く……あぁ、駄目だ。
苦しさはない。切なさはある。
そこに少し、幸せとは違う翳りを感じてしまった。
「やめた」
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